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父のはなむけ

2010-11-04 08:58:17 | 父の懐
昨日は国民の祝日・文化の日、実の父の誕生日でした。終日折にふれ亡くなった父を思いました。祖父は明治天皇様がお生まれになった日に父が生まれたことを喜び、父に『圭三』と名をつけたと聞かされました。『圭三』を分解すると『十一十一三』となります。その意味するところは『大正11年11月3日』です。

今回平戸に帰宅した間、ちょっとしたシロアリ騒動で応接間が使えず、座敷を利用しました。どなたの目に触れるのも、大きな扁額『積善の家に余慶あり』です。金色の紙に墨々とした雄渾な行書体の、それこそ余慶あふれる額です。37年余り前東京で結婚式を挙げて平戸に帰ってきた夜、見上げて涙あふれた額です。

結婚式の前夜父はささやかなお別れの家族会を開きました。その時嫁ぐ娘への父のはなむけが『積善の家に余慶あり』でした。奇妙にも耳に残っている言葉は『娘を柿本家にやってしまうわけではない。』、それから『家庭とは与えられるものではない、築いていくものなんだ。』、そして『今あるところが極楽浄土なんだよ。』と言って『極楽浄土』と認めた色紙を手渡しました。その小さな極楽浄土の色紙はそれからの私の人生を何時も見つめていたと思います。そして平戸に到着した私達に柿本の両親が寝室にあててくれた座敷にその扁額『積善の家に余慶あり』はかかっていたのです。緊張していた私はふと実の父に出会ったような不意を突かれて涙がこみ上げてきました。『ここに嫁に来たんだ』と思ったものです。

柿本の父から額を譲り受ける約束をした時はとても嬉しかったことを覚えています。私達の家は昭和63年に新築(?)しましたが、最近の家は欄間が低くてかけられるかどうか心配しました。でもミサワホームが善処してくださって鉄で素晴らしい長押用の受けを作っていただくことが出来たのです。その黒鉄がまた金色で縁が黒い額にぴったり!だったんです。それで時を経て金色の色相に深みを増したこの額を見上げるたびに実の父を思い、柿本の父を思い、色々な方々のご親切を思うというこの頃です。

コメント
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