今朝、パソコンを開け筆者が運営するブログで、2011年に掲載した「初のツーショットを激写」と題した記事のページビューがトップになっていた。13年前に書いたものであるが、いまだ検索され読まれているのは嬉しい限りである。
懐かしさもさることながら、七宝作家と写真家、「土田兄弟」の珍しいツーショットは貴重な一枚としてしっかり記憶に残っている。その一枚はいまも大事に保存している。土田兄弟とのご縁については13年前の記事に書いているので、お時間があれば検索し乱文であるがお読みいただければ幸である。
御両人とも現役としてそれぞれの業界で活躍されている。写真家の土田ひろみさんは、先日横浜でエルサレムに関した写真展を開催された。一方、お兄さんの善太郎さんは七宝作家として個展などを開催されている。ともに傘寿を超えて現役バリバリ。よきお手本として見習いたいものである。
【写真は、右が土田ひろみさん、左がお兄さんの土田善太郎さん】
写真/ 渡邉雄二
撮影場所/ 七宝焼工房「アンクルゼット」(西宮市)
以下、2011年7月18日にブログに「初のツーショットを激写」と題して掲載した記事です。
偶然にもこんな写真を撮ることができた。
見てのとおり、おじさんのツーショット。それも同じポーズで写真におさまっている。よく似ている、と思われるだろう。見てのとおり、双子さんなのである。
以前、夙川ソーシャルカレッジで「七宝焼きワークショップ」で登場いただいた土田善太郎さんと、その弟さんである土田ひろみさん。そもそも七宝作家の善太郎さんと知り合ったのは、路上で声をかけたことが始まりである。
弟さんのひろみさんとは、20数年前(現在から言うと40年前)にあるスポーツ用品メーカーのコマーシャル撮影で何度かハワイに一緒したことがきっかけで、今でもお付き合いをさせていただいている。土田ひろみさんは、著名な写真家である。
当時、ハワイで一緒しているときに、「兄貴が西宮で七宝焼きのアトリエをもっているよ」と聞いていた。冗談に「双子だからよく似ているんだよな~」って。
それを覚えていたお陰で、数年前(15年程前)に夙川周辺でお兄さんの善太郎さんを見かけたとき、ひと目みて"この人だ"と。ひろみさんが言ってたお兄さんに間違いないと思い、とっさに声をかけた。それから縁は異なものでお付き合いをさせてもらっている。
昨日(2011.7)、善太郎さんの七宝焼工房に顔出すと、弟さんのひろみさんが来ておらた。久々の再会である。大阪芸術大学(当時)の客員教授をされているので月に2回くらいは来阪ということであった。ソファーに座って昔話から始まり話題はどんどん広がっていったのを覚えている。
今回は、チラシにあるように8月2日(2011年)から、大阪の福島の堂島川沿いにあるLADS GALLERYでの展覧会の打ち合わせに、ということだった。
土田ひろみさんは、コマーシャル撮影の写真家ではない。ドキュメンタリー作家として世界を歩いた人である。その中で特に強く土田ひろみを世に出した作品がある。1975年ごろから「ヒロシマ」の原爆をテーマにした記録撮影が話題を呼んだ。
この「ヒロシマ」は、三部作から構成されていて、第一部が「ヒロシマ1945~1979」。第二部は風景「ヒロシマ・モニュメント」。そして資料編として「ヒロシマ・コレクション」がある。
この第三部は、広島平和記念資料館の収蔵、寄託された被爆資料を撮影したものである。その「ヒロシマ・コレクション」が今回の写真展である。
そして、B面として、土田さんのヒットテーマになった「俗神」もあわせて展示されることになっている。
昨日会った時も首からコンパクトな一眼レフを掛けておられた。むかしから標準レンズだけでとり続けている人である。だから、被写体に一歩も二歩も近づき、微笑みかける。そしてシャッターを切る。そんな撮影スタンスをもつ写真家である。
久しぶりにお会いして、あの微笑みは変わってなかった。尊敬する写真家であり、よき大先輩。おふたりに乾杯したくなった。
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