最近、漫画やアニメーション、ゲームなど新しい時代の時代劇が映画化され、若い人たちにも人気を博している。
時代劇の復活として、年齢を問わず時代劇ファンは嬉しい。
しかしながら、昭和に馴染んだ世代の者(私)には、いまの時代劇には少々馴染めないのも事実。
馴染めない一番の理由は、やはり「時代背景」にある。いまの時代劇は、時代背景はさほど重要ではない。
見せる観点が違うからだ。やはり、時代感覚の違いだろう。
いまの製作観点は、時代劇文化を生かしつつも、
いまの「テクノロジー」をフルに活用したエンタテイメント性が何よりも重要なファクターである。
我々の世代では、時代劇を観ることが嬉しくてたまらなかった記憶がある。
そんな昭和世代が、ドキドキして時代劇を観る機会がほとんどなくなった。
そんな中、ドキドキする場面に立ち会うことがあった。
その年の「京都国際映画祭」のヒヤリングで、時代劇の巨匠である「中島貞夫監督」の話を聞く機会があった。
お会いするのは当然初めてである。時代劇、やくざ映画ファンとして中島作品観賞は欠かせない、
という時代を過ごした。その巨匠が20年ぶりにメガホンをとるという。
それに関してはまたの機会に紹介するとして、監督の熱い時代劇噺を聞かせていただいた。
中島監督が時代劇をつくるとき、とくに気にすることが「小道具」だという。
時代劇では小道具の代表が「刀」であるのは言うまでもない。刀の製作には監督の目が光る。
そしてもう一つが「草鞋(わらじ)」。これにはびっくり。
草鞋は、その時代の履物で、侍や武士にとっては、いまの時代で言うならアスリートのシューズのようにモノ。
旅に出る、闘いで走り回る場合の動きの時もすべて草鞋である。
時代劇等で使用する場合、当時の草鞋をできるだけ忠実に再現する必要があり、
しかも動きの激しい立ち回りでは昔のままでは当然履物として機能しない。
そこに小道具をつくる人たちの知恵と工夫がある。
いいモノができれば、これが、時代劇をつくるものにとっての喜びにつながり、隠れた資産になっていくようだ。
だから、小道具ながら草鞋への製作には特に注力するという。たかが草鞋 されど草鞋である。
見えないところへのこだわりがモノづくりの「価値」をさらに高めていくように、
一流の監督の “一流たる所以” なのだろう。
※この記事は2017年7月「心と体のなごみブログ」に掲載したものを加筆し転載
リポート & 写真 / 渡邉雄二 トップ写真 / 中島貞夫監督作品画像を借用 ('19年20年ぶりのメガホンで、高良健吾主演の「多十郎殉愛記」)
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