はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

今日の私の過去  1

2017-01-31 | 


アメリカでの生活が始まって

3か月後に長女を出産した私は

仕事を持つ事など

 頭にもなかった、、、。


子供がいたからだけでなく

 言葉も不自由な自分に出来る仕事など

  考えられなかったからだろう、、。


 何かにつけ  

 限界を作りやすいタイプである。



何の話からか、ある日

”お前を工場なんかで

  働かせたりはしない。” 
 と


 ガンと私に言ったバッキーの言葉が

 意外だった為

  記憶に強く残ってもいる。




4年間の海軍での任期を終え

  アメリカに帰って来たバッキーは

高校時代に働いていた

  町のスーパーマーケットで

夜中、

スタッカー (商品を棚に並べる職種)として

  働き始めた。


フルタイムの仕事だったし

  あの頃の、、、(あの会社の?)

   医療保険は条件も良かった。




隔週で給料を貰っていたバッキーは

その度に20ドルの小遣いを私にくれた。

    (因みに 現在は100ドル) 




20ドルを持って

 アパートから歩いていける距離にあった

  セカンドハンドの店で

 服を買い 

  それを着て 

 週末のパーティーに出掛けたりもした。



そんな事に 

 これと言って不満を持ったことはない

、、、から

 働く事など考えもしなかった、、が
 

長女が10か月になった頃

 バッキーと職場を共にする知人 マイクの

  娘さんの子守を頼まれ

  少なからずも そうやって

   収入を得るようになった。




朝 仕事から帰宅するバッキーは

  週に何日か マイクを家に連れても来た。


日によっては 

 バッキーがマイクの家に寄り

   時間を過ごした。


マイクの家に寄ったある日


”マイクの奥さんは 

 よく話をするんだぞ。” 



そう言ったバッキーの言葉に

これと言ってマイクと会話を持つ事のない自分を

    見せられたようだった。

  

 
子守をした2歳半になるマイクの娘さんは

  しっかりした口調で話す子だった。


大きなクリッとした瞳で

  私の顔を じーーっと 見つめ

   その子 キミ―は私の話を聞いてくれ

私もキミ―の話を聞くのは好きだった。




子供に人気の 粉末ジュース Kool Aid (クーレイド)の

  存在を教えてくれたのはキミ―だった。



   


怖いほど鮮やかな色をしたジュースを飲んでは

  口の周りをその色に染めるキミ―、、、。(((ガクガク)))


あの頃は

  着色料がどうのとか

  オーガニックフードがどうの  など聞くこともなく

 その逆に

  ファーストフード店で ”スーパーサイズ” が

    人気を呼び始めもした、、。


   <1ドルで デブまっしぐらの  白人ら> 川柳のつもり


 

話がそれたが

 キミ―との会話は私にとって

  いい英会話の練習にもなっていた  と思う。


声に出す   と言う事が

 大人たちとの中では

  なかなか出来ないのだ、、、。



私の話を聞いてくれる人であるか

その場に適した話題であるか

  頭の中で 

何度も それらを確かめてもいただろうか、、。


  そんなうちに

   タイミングを失う、、、、、、アホ



失敗を恐れる気持ちは大きかった、、、と思う。

 失敗した時の恥ずかしさを

  力にして

学ぶ努力をすればいいが

 殻に閉じこもり

  前に進まないタイプでもあった、、かな、、。







全ては 

 今日の私が思い起こす

     過去の姿であり

程度に違いはあれど

   今の自分でもあるだろう。