私は、スポーツが大好きで毎週何かのスポーツを観戦している。(最近は競馬ばかりだが)但し、好きなのは「観戦」であって、「スポーツをする」のは苦手。でも還暦まで生きて、いくつかのスポーツは自らやってきたし、学校や職場でやらされたスポーツもある。ということで、私のスポーツ遍歴を振り返っておきたい。
基本的に、私は足が遅くて動きが鈍い、そして「痛み」に極端に弱い。プレーで痛みを感じるスポーツが苦手だ。また運動能力の低さは、母親譲り。(母も運動が苦手だったらしい)しかも「負けず嫌い」という感情が全くない。ただ「恥しい」という感情はあるので、物心ついた幼稚園の運動会では、駆けっこで1番になることよりも、ビリになる方が怖かった。いつも後ろに何人いるかを振り返りながら走った記憶がある。その後、友人達との遊びの中でスポーツをするようになった。
●最初にやったスポーツ(1969-70):サッカー
小学校1~2年。ボール1個で遊べるサッカーはお手軽なスポーツだった。近所の友達とやっていたが、足が遅い私はいつもゴールキーパー。転がるボールは取れるが、浮いたシュートは取れない。当った時の「痛み」が怖くて、いつも逃げていた。(ゴールされた言い訳は、今よく言われる言葉「相手が上手かった」みたいな感じ)
10年後、高校体育の授業でサッカーのヘディングの練習をした時、頭に当てた瞬間に脳震盪のような痛みがあり、うずくまってしまった。ヘディングの恐怖。その時以来、サッカーとは無縁になった。でもプロの試合は時々見る。ヘディングの痛みに耐えてプレーするサッカー選手を大いに尊敬する。平気な顔をしているが、あれは絶対痛いはず。(^^;)
●準優勝経験があるスポーツ(1974):ソフトボール
小学校6年。巨人軍の王、長嶋世代の子供達は野球が大好きだった。小学校の町内会のソフトボールチームに入って、校区大会(16チーム参加)で準優勝したのが、私のスポーツ人生のハイライト。ただ、私自身は懸命に練習したものの一向に上達せず「6番ライト」が定位置だった。当時はバッティングが一番上手いのが4番、それから3番→1番→2番→5番→6番→7番→8番→9番という序列があり、守備位置は「よく球が飛んでくるかどうか」が基準で、王、長嶋の影響もあり、一番守備が上手い人がサード、次がショート→ファースト→セカンド→レフト→センター、そして一番下手な人がライトだった。私の立ち位置は「一番守備が下手で、バッティングはそこそこ」。自分の中ではバッティングは苦手なのに、その後の打順に3人もいた。実は、私より後ろの打順は小学校4,5年の下級生。こんな弱いチームでも準優勝できたのは、投手で四番のスーパースターがいたからで、小6なのに身長170cmもあって、投げれば誰も打てない、打てば凄い当たりというミニ「大谷」選手のお陰。「何もしない」外野手が、大活躍のスーパースターと同じ銀メダルをもらって嬉しかった。(続く)
基本的に、私は足が遅くて動きが鈍い、そして「痛み」に極端に弱い。プレーで痛みを感じるスポーツが苦手だ。また運動能力の低さは、母親譲り。(母も運動が苦手だったらしい)しかも「負けず嫌い」という感情が全くない。ただ「恥しい」という感情はあるので、物心ついた幼稚園の運動会では、駆けっこで1番になることよりも、ビリになる方が怖かった。いつも後ろに何人いるかを振り返りながら走った記憶がある。その後、友人達との遊びの中でスポーツをするようになった。
●最初にやったスポーツ(1969-70):サッカー
小学校1~2年。ボール1個で遊べるサッカーはお手軽なスポーツだった。近所の友達とやっていたが、足が遅い私はいつもゴールキーパー。転がるボールは取れるが、浮いたシュートは取れない。当った時の「痛み」が怖くて、いつも逃げていた。(ゴールされた言い訳は、今よく言われる言葉「相手が上手かった」みたいな感じ)
10年後、高校体育の授業でサッカーのヘディングの練習をした時、頭に当てた瞬間に脳震盪のような痛みがあり、うずくまってしまった。ヘディングの恐怖。その時以来、サッカーとは無縁になった。でもプロの試合は時々見る。ヘディングの痛みに耐えてプレーするサッカー選手を大いに尊敬する。平気な顔をしているが、あれは絶対痛いはず。(^^;)
●準優勝経験があるスポーツ(1974):ソフトボール
小学校6年。巨人軍の王、長嶋世代の子供達は野球が大好きだった。小学校の町内会のソフトボールチームに入って、校区大会(16チーム参加)で準優勝したのが、私のスポーツ人生のハイライト。ただ、私自身は懸命に練習したものの一向に上達せず「6番ライト」が定位置だった。当時はバッティングが一番上手いのが4番、それから3番→1番→2番→5番→6番→7番→8番→9番という序列があり、守備位置は「よく球が飛んでくるかどうか」が基準で、王、長嶋の影響もあり、一番守備が上手い人がサード、次がショート→ファースト→セカンド→レフト→センター、そして一番下手な人がライトだった。私の立ち位置は「一番守備が下手で、バッティングはそこそこ」。自分の中ではバッティングは苦手なのに、その後の打順に3人もいた。実は、私より後ろの打順は小学校4,5年の下級生。こんな弱いチームでも準優勝できたのは、投手で四番のスーパースターがいたからで、小6なのに身長170cmもあって、投げれば誰も打てない、打てば凄い当たりというミニ「大谷」選手のお陰。「何もしない」外野手が、大活躍のスーパースターと同じ銀メダルをもらって嬉しかった。(続く)