キマグレ競馬・備忘録

競馬、MLB、スポーツ観戦、趣味など気になる事を書いています。

私のスポーツ遍歴2

2025年02月19日 | Sports
私のスポーツ遍歴の続き。中学~高校まで
●中学生の最初の部活(1975):卓球
大学生の従兄に卓球のラケットをもらったのを機に卓球部に入った。これは球が当っても痛くないスポーツ。しかし、3カ月の在籍で退部してしまった。理由は、新入生は入部から半年はラケットを握らせてもらえなかったこと。毎日、腹筋、ランニング、うさぎ跳びの基礎トレーニングの日々。体育館では先輩の球拾いだけ。そして従兄にもらったラケットがシェークハンド型で、先輩から「新入生の癖に生意気だ」と難癖を付けられて(当時はほぼ全員がペンホルダー型のラケットだった)つまらない理由で嫌がらせを受けて退部した。
●中学生の部活2(1976):バスケットボール
卓球部を退部後、同級生の誘いで入部したが、動きが緩慢で練習でも速い動きについていけず、即マネージャーに格下げ。試合や練習のシュート数を数えて、選手毎のシュート率を算出するというつまらない役割に飽きて退部。そのトラウマなのか、バスケットの試合を見ると、その記憶が蘇ってくる。
●高校(1978-81)でやったスポーツ:上記の他に、高校の授業でバレーボール、ハンドボール、ラグビー、陸上、器械体操、柔道
バレーボールは、中学生の頃から授業でやって、校内大会もあった。レシーブはボールが手に当たると痛いし、トスは突き指しそうだし、アタックは飛ぶタイミングが合わず、皆の視線が怖い。私はできるだけ「ボールに触れない」ように逃げていた。
ハンドボールは、敏捷性が要求されるスポーツ。サッカーとバスケットを合わせたような競技で、どちらも苦手だった私に合うはずもなく。
ラグビーの授業では、背がクラスで2番目に高いけれど細身だった私は、スクラムで組んだ相手がクラスで1番背が高く、体重がヘビー級のラグビー部の選手。手加減してもらったが、スクラムを組んだ瞬間に腰にグキッと来て、その場で倒れ込んでしまった。それ以来、ラグビーの怖さを知って「見るだけ」スポーツに降格した。因みに、同級生は花園の全国大会へ行って、2回戦で惨敗。県大会優勝で強いチームだと思っていたが、上には上がいるもの。
陸上は辛かった。わが校にはプールが無かったため(老朽化で撤去?)、夏の授業は陸上。ただひたすら走るだけ。全力で走らなくて良い、走り高跳びは好きだった。
器械体操が苦手だったのは、痛みへの恐怖心のため。鉄棒の落下の恐怖。跳び箱失敗で転落。マット運動もただ痛かった。この運動が何の役に立つのかと思いながら耐えていた。
柔道も授業でやった。練習相手は、いつも柔道部の同級生。彼は優しかった。受け身はゆっくり投げてくれ、こちらが投げると自ら倒れてくれた。試合は嫌いだったが、練習は憩いの時間でした。
(続く)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私のスポーツ遍歴1 | トップ | 私のスポーツ遍歴3 »
最新の画像もっと見る

Sports」カテゴリの最新記事