いやいや、うまく収まったよ。と、父は蛍さんに言って、
お酒臭い息を蛍さんの顔にほうっと、ため息と共に吐き出しました。
う、お酒臭い。蛍さんは顔をしかめます。
「お父さんお酒を飲んだの?」
蛍さんが聞くと、父はにっこり、おうと答えます。
こんな目出度い時にはお酒が一番さ、お寺さんのやつ、一升瓶を持ってくるから湯呑でグーッと2、3杯飲み干してきた。
と鼻の先まで赤くなって上機嫌です。
「さぁ、これでお前の片付く先が決まったし。なぁ父さん万々歳だったな。」
と後ろからやって来る蛍さんのお祖父さんに声をかけました。
蛍さんがそれと気付いてお祖父さんの顔を見ると、これが不思議でした。
さっきの父と祖父の顔の景色が逆になった様に、祖父は沈んだ冴えない表情をしています。
顔色を失ったように見る影が無い状態でした。
『お祖父ちゃん、急に如何したんだろう?』
蛍さんはお祖父さんの体調が心配になりました。具合いが悪くなったんだろうか?
急に病気になったのかしらと思ったのです。
それほど祖父の顔色は血の気が無く白っぽく、フラフラした様子は放心状態に近い有様でした。
実は蛍さんの祖父は商売人、行商などにもよく出歩いていたので、人との商談をまとめるのは大の得意でした。
また、有名な商売上手でしたから、商談にかけては相当な自信家でもありました。
そこで孫の為にとやおら立ち、自家の不利な立場を口先三寸、上手く相手をやり込めて、
今しも自分が優位に立とうとしていた矢先の事でした。
いやいや、こちらの子が全く悪くて、と、父が平身低頭、平謝りでその場に下手で出て来たものですから、
それまでの祖父の孤軍奮闘の努力もあっという間に水の泡と消えて、
全く無条件で蛍さんの嫁に出る話がまとまってしまったのでした。
「もっと色よい条件で縁談をまとめる事も出来たのに。」
祖父にすると臍を噛むというような気分でした。
「どうしてお前はその場の空気をこちら側に悪い様に変えてしまうんだ。」
祖父はまた怒りが湧いて来たようでした。こめかみにピリピリと青筋を立てると
「家に入ってくる悪い風は皆お前から入って来るんだ。」
わしはもう知らん、そう云い捨てると、
父への癇も極まったという感じで父娘2人の傍をすいっと横切ると、お寺の奥の座敷の方へと向かいました。
振り返って祖父を見送った蛍さんです。
祖父の力なくよろよろ歩いて行く後ろ姿が見えます。その姿を見守っていると、
蛍さんは酷く祖父の容体が気になって来て仕様がなくなりました。