何時しか蛍さんはまた畳の縁に座って木の壁を見つめていました。
そっと横を向くと本堂の入り口、光が差し込んでくる明るい戸口が大きく開いている場所が見えます。
あそこまで行って外を眺めてみようかな、そんな事を考えていると、
「蛍、起きて大丈夫なのか?」
と父が戻って来ました。父は廊下の入り口から濡れタオルを手に持って入って来ましたが、
寝ていると思っていた蛍さんが起き上がって座っているので、少しは元気が出たのかとほっとします。
しかし子供の事、少し良くなると動き出す習性も分かっていましたから、
実際はどういう状態なのだろうかと案じてもいました。蛍さんの傍らに来て、直ぐにタオルで頭を巻いてみます。
「冷たくて気持ちいいだろう。」
確かにそれはひんやりとして気持ちの良いタオルでしたが、彼女はぶるっと震えが来てしまいました。
蛍さんは、冷えたタオルに気持ちよさよりも寒さを感じたのです。
「何だか寒い。」
父は蛍さんのこの言葉に、何をこの真夏に馬鹿な事をと思いましたが、試しに蛍さんの頬や手を触ってみると、
なるほど彼女の体はひんやりと冷え込んでいます。
無理も無いか、真夏とはいえ暫く廊下で寝ていたのだから、しかも、あの世の1歩手前まで行って来たんだから、
そうかもしれないなと思いました。
暖かい、本当は夏なので暑いなのですが、座敷の部屋の方へ彼女を移そうと思います。
蛍さんの方は見上げた父の目が赤いので、お父さんの目赤いよ、と父に言います。
彼女は如何したのかなと思いましたが、そうかお父さん酔っぱらっているのだなと顔をしかめます。
「お寺でお酒を飲むなんて行儀が悪いよ。」
と父に文句を言いました。父は確かに飲酒していましたが、こんな時にまでこましゃくれた物言いをする娘に、
お前結構元気じゃないかと苦笑いしながら、さあ、抱っこしてやるぞと蛍さんを横にして抱え上げ、
少々無理をしてそのまま運びます。蛍さんも成長してかなり重くなりました。それでもこの位と父は運んで歩きます。
この時父の目は確かに赤く、目尻には零れそうになる程涙を溜めていました。
せっかくここまで育てたのに、もしかするとまたあの世界、もっと先の世界にまで行ってしまうのかもしれない。
そう思うと胸中ぐーっと締め付けて来る物が有ります。その度合いは兄妹の時より酷い位だと思うのでした。