奥様は今度は障子の陰から顔を出して、夫の住職さんを呼びました。
ちょっとちょっと、と、廊下に呼び出して、やって来た住職さんと奥様は2人でぼそぼそと何やら相談していましたが、
2人で一緒に蛍さんの所へやって来ると、どちらから言うとも無く、
「あなたね、もうここにはいないのよ。」
だから皆にはあなたが見えないんです。私達2人だけにしか見えないのよ。と言われます。
「つまり、あなたは亡くなったのよ。成仏してね。」
あっさりそう言われても、蛍さんにその出来事が理解できるはずが無いのでした。
さて、蛍さんを奥様に任せて部屋に戻ろうとした住職さんが、おやっと言われます。
「いや、未だそこ迄は行っていないようだ。」
「え、そうじゃないんですか、私は手っきりそうだと思いました。」
と奥様が室内を覗き込む住職さんに話しかけると、住職さんはその子はまだ成仏までは行かないようだ、
そうひっそりと奥様に言って、ほらっと、手で促して室内を見る様にと示します。
ささっと奥様は室内を覗き込んで、あらっと微笑みます。それからこちらの不安そうな蛍さんに視線を戻し、室内を眺め、
そして急に涙ぐんで顔を伏せると、廊下のこちら側にしんみりと戻って来られました。
そして蛍さんを見るともなく肩を落とすと、その場にしゃがみ込んで涙を落とされるのでした。
『未だだけれど、あの様子ではそう遠くないわね。』
奥様はこちらの蛍さんに因果を含めておいた方がよいと思い、蛍さんを見て落ち着いて話をされるのでした。
「あなたは確かにまだあの世には行っていないようだけど、時はもうすぐです。」
心の準備をしておきましょう。おばさんが手伝って上げるからね。時が来たら真っ直ぐに行くんですよ。
さっき居た砂の世界や、伯父さん、叔母さんの居た世界には寄らずに、直ぐにあの世へ行くんですよ。
時が来たら分かりますからね。微笑んで心配ないからと、そう蛍さんに言い含めるのでした。
何だか清浄な奥様のその様子に、蛍さんの気持ちも清水に洗われていくような心地がします。
そして、清らかな蓮の花が咲くようなこの廊下の雰囲気とは打って変わって、
隣の室内の様子は、まさに愛憎渦巻くどろどろとした人間模様の様相を呈していました。