蛍さんの父がこの世に帰ってみると、蛍さんは静かに寝かされていて、お寺の奥様が傍らで様子を見ておられます。
『あれは如何したんだろう。』蛍さんの父は自分の妻を探して奥の座敷に入って行きました。
妻は相変わらず自分の場所で座布団の上に座り、のんびりとお茶など飲んでいます。
「お前、自分の子を人様に預けて、涼しい顔をしていて、それでいいのかい?」
この隣の部屋の父の声に、蛍さんは父は珍しく母を叱っていると感じました。
蛍さんにしても、未だに母は相も変わらず私には無頓着なままだ、と思わない訳ではありませんでした。
実際に、『何で家の母は自分の子の事を心配しに来ないんだろう?』そんな疑問が少し前から湧いていました。
母はお寺の中に居ないのではないか?、そう思うくらいに蛍さんの母の声は殆どしなかったのです。
ここにこうやって寝かされてから、漸く隣の部屋にいる母の声を聞けるようになり、その存在がお寺内にある事を知るようになったのでした。
私が母親だったら、子供の危難に一番に跳んで来てその身を案じるのに、子供ながらに蛍さんでさえそう思っていたのでした。
『父が言い出すのも当たり前だわ。』
遅いくらいじゃないかしら?そう思うと、彼女にも納得できる父の文句であり注意なのでした。
その内母はこちらへやって来るだろうと蛍さんは思いました。
父の注意も当たり前、無理無い事、当然だと、父の声を聞いた誰もが思いました。
蛍さんが目を開けて襖の端を見ていると、漸く母の姿が襖から現れて来ました。そうして、うろうろと、
この部屋に入ると蛍さん達のいる場所が分から無い筈は無いのですが、母はじーっと見つめている蛍さんと視線を合わせるでもなく、
彼女の傍に来るでもなく、こちらの座敷を横切り玄関に出てみたり、廊下に行ってみたりと、一向に蛍さん達の傍にはやって来ないのでした。
「お母さん、何しているのかしら?」
母の様子を不審に思った蛍さんの疑問に、お寺の奥様も彼女の母に話しかけました。
「お母さん、お子さんはこちらですよ。」
多分私の影になってあなたが見えなかったのよと、奥様は優しく蛍さんに彼女の母を取り成してくれます。
しかし、蛍さんは如何も先程からの母の様子、今の様子と、
自分に対して全く接触して来ようとしない、自分の母という人が不信な人に思えて仕様が無いのでした。