多分、あれはもう兄に食べられる事はないんだわ。そう思うと気が沈みます。
けれど、と思い直してみます。兄は最後まで私に意地悪で、私の事を嫌っていたんだわ。
そう考えると何だか兄への気持ちが吹っ切れて、嬉しいような気分にもなってきます。
母の作ってくれるお菓子は私1人の物になるんだわ、もう兄に気兼ねして手を引っ込める事も無いのだわ。
そう思えば兄の事を悲しむ事も無いのだと。兄は溺れそうになっていた私にあんなに酷い事を平気でしたのだから、
これは兄に下された天罰なのかもしれない。きっと兄は罰が当たったのだ、だから普段なら母に叩かれても平気なのに、
こんなに酷く騒動になる変な事になったのだわ。
これはやはり兄という人が悪い人だったという証なのだ。だからこうなったのだ。
妹は兄に天罰が下ったのだと思うと、少しは気が楽になるのでした。
例え兄が死んだとしても、それは私のせいじゃないわ。私に意地悪をした兄自身のせいなのだと。
妹は努めて今後の兄のいない快適な未来を考えてみます。ふわっとした幸福感に胸を躍らせようとします。が、それでも、
胸には何だか後ろめたい罪悪感のような物が確かに場所を占めているのでした。
妹は敢えてその罪悪感の方を感じないでおこうと決めました。あんな意地悪をして、私は酷く苦しかったのだから、
兄は兄自身のせいでこうなったのだ。たとえ死んでしまってもそれは仕方が無い事なのだと。
ぼーっと考え込んでいる娘の傍に母が戻って来ました。
母もまた、お店の人に水を貰う間、息子が娘にしていた酷い仕打ちを思い起こしていました。
『あの子は如何してあそこまで酷い事が平気で出来たのだろう。』
今までもよく妹の事をあれこれと構ってはいたけれど、どちらかというと妹を世慣れさせるために、せっせと仕込んでいたのだとばかり思っていた。
兄本人もそう言っていたではないか。小学校では違うから、今の内に妹を強い子にしておくんだと。
でも、今日のあの子のあの様子では、まるで妹が死ねばいいというような雰囲気だったと、
何だか胸の中に息子に対する異様な恐怖めいた感情が湧いてくるのでした。
あれが本当に自分のお中を傷めて生んだ我が子の本性だったのかと思うと、
いっそあの子がこのままになってしまった方が妹の為であり、世の為人の為なのかもしれない。
そんな事をふと思ったりするのでした。
しかし、それでも、あの子が嫁ぎ先の跡取り息子である事には違いありません。
その子を失うという事をしてしまった自分は、嫁として、母として、取り返しのつかない事をしてしまったと、
これが本当に後悔先に立たずであると、彼女は人生最大の不幸に見舞われた悲劇に、目の前が暗くなり、
もう自分に明日は来ないと悲嘆にくれるのでした。
がっくりとして水の入ったガラスのコップを手に持ち、母は娘の座っている傍らによろよろと腰を下ろしました。