娘が母と交代すると、光君はまだぐっすりと眠っていました。
ふと見ると、奥の座敷は人の出入りがあるらしくバタバタしている様子です。住職さんが廊下に出たり入ったりしているのが見えます。
光君の母は久しぶりにゆっくりと親子水入らずの時を過ごせるので、座敷より我が子です。
何だかほっとして光君の頭を撫でたりします。ぼーっとして窓から入る風に吹かれています。
『お父さん急に如何したのかしら。』
今話していた父の様子が気になって、娘は娘なりに兄が亡くなった当時のことを細かく思い出してみるのでした。
父の留守に母子で海水浴に行った夏の日の出来事です。
兄は小学生でもう泳ぎもかなり達者になり、すいすいと海面を泳いでいました。
妹の方は未だ修学前でした。少し泳げるようになりましたが犬かき程度です。
ましてや広い海の事、安全策を取って浮き輪でのんびり泳いでいました。
その日はうらうらと海面に照り返す日差しが気怠いくらいに海は凪いでいました。
彼女は浮き輪の穴から手や顔を出して泳ぐのにも飽きて来ました。
先日兄が教えてくれた浮き輪の使い方、背中に浮き輪を敷いて頭と腕、足を浮き輪から出すという、
亀をひっくり返したような乗り方に変えました。手でバシャバシャと水をかいて進みます。
こうして浮き輪に乗っかると、青い空と白い雲だけが目のはるか上空を漂って行きます。
普段とは違った別世界の視界が広がり、海に抱かれて揺れるととても気持ちがよくなります。
妹は今までとは趣向の違った海水浴の興に浸るのでした。
目を閉じるとゆらゆら揺れる波の感覚が、揺り籠にいた少し昔を思い出すようです。
こうして目を閉じて揺られる内に彼女は何時しか寝てしまったのでした。
その内風が出て揺れる波も大きくなってきました。高低の感覚が大きくなりましたが、
彼女はそんな事には気付かずに仰向けのまま浮き輪の上ですっかり眠りこけていました。
そして、彼女の浮き輪に揺れの大きな波が襲い掛かりました。
浮き輪の船は見事にひっくり返って転覆し、彼女は海中に放り出されてしまいました。