そう言いながら妹の名を言って、大変だと沖を指さして急ぎます。兄はせっせと泳いで妹の救出に向かいました。
彼は泳ぎながら、海水浴に来る前に、読んだばかりの救助法の本の内容を思い浮かべて反芻します。
よしと、バタバタ騒ぐ妹の傍をぐるぐる泳いで、頭にちょんと触れてみます。
妹は兄さんの顔が見えたので、伸びて来るその手に必死にしがみつこうと暴れます。
兄さんと叫ぶと水がガバッと口に入ります。息が出来ない苦しさに益々恐怖が増してきてパニックに陥るのでした。
しかし、兄はすぐそば迄来ているのに、今助けてやるからね、安心してねなど言いながら、全然自分を救い上げてくれないのでした。
兄に伸ばす自分の手を払いのけるようにして逃げてみたり、自分の頭を小突いて背中に回ったりと、随分と意地の悪い事をするのです。
自分はもうかなり海水を飲んで息も絶え絶え、もうこのままでは本当に海中に沈んで溺れ、息絶えて仕舞いそうです。
妹は、漸く現れた兄の顔に希望の光を見出したのに、その兄に拒まれて酷く失望して、余計に精神的なダメージを受けることになりました。
がっくりと気持ちが折れて、手足が重くなり水を掻く元気も無くなってきました。
もうだめだ、全然助けてくれない酷い兄、兄は本当に意地悪だったんだ、私の事が嫌いだったのだ。
よく分かったと思って自分の命を諦めかけた時、
「馬鹿!、何してるんだ!」
妹を苛めるな!と、母の声がして、ふいに視界が明るくなると、母の手の中に自分は確りと抱きかかえられていたのでした。
妹の溺れている現場に着くや否や、母は兄を思いっきり罵倒して叩くと、
もうぶくぶくと泡しかないような中にぐったりとして沈む、力ない娘を抱き上げると、
後も振り返らずに急いで岸へと戻るのでした。
胸にはぐったりとして力なく、涙か海水か分からないような濡れそぼった顔をした娘が、確りと抱えられていました。
ざぶざぶと波を蹴散らす音を立てて波打ち際までたどり着き、抱えた娘の体重が増してくると、
母も漸くドキドキと緊張した胸の高鳴りを感じるのでした。手も足も震えて、娘を落とすように浜に上げると、
自分も砂浜に倒れ込むようにして座りました。動機も息も苦しくて、短い時間でしたが疲労困憊してしまいました。
それでも母としての責務から、気持ちを落ち着けて傍らの娘に声をかけました。
「大丈夫?苦しくない?。」
娘の方も水を飲んでいましたが、息はまだある内の救助でしたから、はあはあ言う内には少しずつ落ち着いてくるのでした。
周りには海水浴中の子供達の親も戻り、事情を知ると、皆一様によかったよかったと歓喜に湧いてくるのでした。