その後、父は息子を懇ろに弔いました。
菩提寺に供養のため銅器製の燭台を寄進したりしました。
巡って来る回忌もきちんと行い、その都度厚く亡き子の供養をして四半世紀が過ぎました。
時が経つ程に寂しさはつのる様でしたが、思い悩んでも仕様が無い事と割り切り、
努めて息子の事は思い出さないようにして、仕事や趣味に打ち込み、娘にも気を掛けて来たのでした。
こうして日々の生活を過ごす内に、時の過ぎるのは早い物で娘も大きくなり、嫁に行くと言いだしました。
あれこれ話しは進み、最初の孫を家の後継に迎えると言う段取りも決まり、
幸い娘の長子が男の子となり、我が家の嫡男として娘方より目出度く迎えられると、
これで我が家も安泰となり、事はトントン拍子に進み現在に至ったのでした。
長いようで短い年月だったなぁと、孫の光の成長を見ながら思う近年です。
こうやって光を育てていると、忘れていた息子との日々が甦って来ないわけは無かったのですが、
孫と息子は違う人間、2人を重ねて見てはいけないと思い、孫の光だけの事をひたすら考えて2度目の子育てをしている祖父の現在です。
祖父では無く父親として接してみますが、若い様でやはり年だなぁと感じる時はあり、体力の衰えを自覚するのです。
が、その分若い頃より経験が豊富に出来ているので、安定した子育てが出来るのでした。
そして、子よりも孫と世間で言われるように、やはり孫は可愛い物なのでした。
この孫を息子の様に早くに失ってはいけないと、祖父は細心の注意を怠らずに来ました。
片時も孫の傍を離れずに何時も共にいるのでした。友達親子ならぬ友達祖父孫なのでした。
そんな光君でしたから、何時しか「お○○ちゃん子は三文安い」の兆候がもう小学校というのに表れて来ていました。
しかし、祖父はそれもまあ良いかと思っていました。それも個性というものだ、そう祖父は光君に言うのでした。
人間独創性という物が大事だ、人と違っていて結構、むしろその方が個性があって良いじゃないかという訳です。
この光君に好きな子が出来たのです。祖父は俄然意欲を燃やして嫁の品定めをするのでした。
孫の嫁は孫、自分の孫にもなるわけですから、光君同様、並々ならない思い入れを感じるのでした。
そんな訳で、蛍さんには厳しい祖父の目が注がれたのでした。