Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

ダリアの花、102

2017-03-25 19:32:03 | 日記

  その後、父は息子を懇ろに弔いました。

菩提寺に供養のため銅器製の燭台を寄進したりしました。

巡って来る回忌もきちんと行い、その都度厚く亡き子の供養をして四半世紀が過ぎました。

 時が経つ程に寂しさはつのる様でしたが、思い悩んでも仕様が無い事と割り切り、

努めて息子の事は思い出さないようにして、仕事や趣味に打ち込み、娘にも気を掛けて来たのでした。

 こうして日々の生活を過ごす内に、時の過ぎるのは早い物で娘も大きくなり、嫁に行くと言いだしました。

あれこれ話しは進み、最初の孫を家の後継に迎えると言う段取りも決まり、

幸い娘の長子が男の子となり、我が家の嫡男として娘方より目出度く迎えられると、

これで我が家も安泰となり、事はトントン拍子に進み現在に至ったのでした。

 長いようで短い年月だったなぁと、孫の光の成長を見ながら思う近年です。

こうやって光を育てていると、忘れていた息子との日々が甦って来ないわけは無かったのですが、

孫と息子は違う人間、2人を重ねて見てはいけないと思い、孫の光だけの事をひたすら考えて2度目の子育てをしている祖父の現在です。

祖父では無く父親として接してみますが、若い様でやはり年だなぁと感じる時はあり、体力の衰えを自覚するのです。

が、その分若い頃より経験が豊富に出来ているので、安定した子育てが出来るのでした。

 そして、子よりも孫と世間で言われるように、やはり孫は可愛い物なのでした。

この孫を息子の様に早くに失ってはいけないと、祖父は細心の注意を怠らずに来ました。

片時も孫の傍を離れずに何時も共にいるのでした。友達親子ならぬ友達祖父孫なのでした。

 そんな光君でしたから、何時しか「お○○ちゃん子は三文安い」の兆候がもう小学校というのに表れて来ていました。

しかし、祖父はそれもまあ良いかと思っていました。それも個性というものだ、そう祖父は光君に言うのでした。

人間独創性という物が大事だ、人と違っていて結構、むしろその方が個性があって良いじゃないかという訳です。

 この光君に好きな子が出来たのです。祖父は俄然意欲を燃やして嫁の品定めをするのでした。

孫の嫁は孫、自分の孫にもなるわけですから、光君同様、並々ならない思い入れを感じるのでした。

そんな訳で、蛍さんには厳しい祖父の目が注がれたのでした。

 


ダリアの花、101

2017-03-25 09:34:36 | 日記

 何言う事も無くしんみりと、母娘でおにぎりを口に運んでいると、

浜茶屋の入り口に警察官の人が姿を現しました。お母さんを呼び出すと、上がりましたと一言いい、

顔の確認だけお願いします。と慎重です。

 母は息はありますか?回復の見込みは?ありそうですかと聞いてみます。

警察官に、一応病院に運んでみますが、楽観視はできませんと沈んだ声で言われると、

彼女はやはりだめかとがっくり来ますが、それでも一縷の望みをつないでみるのでした。

 母は一旦娘の方に戻り、動かないように言うと警察の人と浜へ出て、兄の顔の確認をします。

やはりそうでした。それは紛れも無く自分の息子でした。

そうだと言うと、もう動かない彼は直ぐに救急車に乗せられて、病院まで搬送されて行きました。

 母は再び浜茶屋に戻ると、娘と共に荷物を持ち、パトカーで病院まで送ってもらいました。

兄が運ばれた病院に着くと、もう兄の方は安置所に移ったという事でした。

そして、医師から運ばれて来た時にはもう全く見込みのなかった事を告げられるのでした。

 覚悟していた事とはいえ、やはりだめだったかと思うと、母はこの先どうしたものかと思案に暮れます。

夫の所在を警察の人から尋ねられて、何だか上の空で母はあれこれと答え、

そんな母親に、ご主人には私の方から連絡しましょうと申し出る警察の人に、言われるに任せる母なのでした。

 父の方も降ってわいたような災難に、文字通り青天の霹靂、取る物も取り合えず旅先から帰って来ました。

しかし、起こってしまった事は仕様が無いと、彼は驚くほど淡々とした態度でした。

が、3、4日は夫婦でろくに話もできない状態でいました。

 その後母の方は、息子に打撲の跡があった事で警察で事情聴取等されました。

とはいえ、兄が妹に乱暴していた、酷い事をしていた、妹が可愛そうで見ていられ無かった等々、

多くの兄の行動に対する目撃証言があり、母は妹を兄から救助するために、止む無く殴打を行ったという事になり、事なきを得るのでした。

 その間の事情も警察の方から父へ説明が行われ、父にすると手塩に掛けて育て可愛がっていた息子だけに、

息子の妹に対するそんな暴挙の証言等、全く耳にしたくないのでした。

 父は事は全て済んだ事と受け止めると、これから後の事、生きて残された者達の将来の事だけを考えようと決めます。

事があまりに急だったので、彼には涙も湧いてこないのでした。後は唯、亡くなった息子の冥福を祈るばかりです。

 

 

 


ハンドメイドの看板

2017-03-25 09:27:38 | 日記

 以前、ハーブ教室をしていた時に、看板を自分で作りました。

形は既製品の物を買って来て、塗料で色を全体にかけて、教室名はシールを切り取って張り付けました。

形以外は全くのオリジナルです。

ハーブ教室の方は止めてしまいましたが、ボランティアの方は残してあります。

今は別の仕事をしています。こちらの看板も教室名と電話番号などは自作です。

何でも手作りすることが多いので、手間ですね。若い頃ならそれでも楽しく頑張りましたが、

今になるとこういった手作りが億劫になってしまいました。