Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

青葉若葉の季節、6

2016-10-29 21:37:25 | 日記

 さて、そう待ちくたびれる事もなく、何時ものように両親の真夜中の喧騒で目が覚めました。

何時もはうんざりして、早くまた寝てしまいたいと思うのですが、

今回は耳を澄まして両者の言い分を聞こうと私は布団から身を乗り出してみます。

何だ、かんだ、と2人の言い争い(怒鳴り合い)が聞こえてきます。

 私は、仲が良いのかな?これはじゃれ合っているのかな?ふざけたり、揶揄い合って楽しんでいるのかな?

そんな事を考えながら話の内容や、声の調子、物音等等しばらく念入りに聞いていました。

そして、これは、やっぱり普通に喧嘩だなと結論すると、溜息、やおら布団に潜り込んで、

早くまた寝てしまいたいと目を閉じて思うのでした。

 夜中煩くて目が覚めると、目が冴えてしまってなかなか2度寝が出来ません。

睡眠不足とまでは言いませんが、そんな点でも甚だ迷惑に感じていました。

精神的にも、肉体的にも、子供に負担を掛けていると親は気付いていたんでしょうか。

私だっていい加減、腹が立つのが分かってもらえるかと思います。

 それで、翌日妹に両親の喧嘩は仲が悪いからだ、と私はハッキリ言ったものです。

昨晩、お姉ちゃんは注意して聞いていたけど、仲が悪くて喧嘩しているとしか思えなかったと。

妹の方は昨夜の喧嘩を聞いていたのかどうか、そう、と答えて特に反論はしてきませんでした。

 そんな妹とのやり取りがあって、学校で友人にもそんな話をして、

妹の言い分は言い分として、私は確認してみたけれど、やはり自分の見解に変化は無かったと告げるのでした。

 友人は、妹さんに言ったの、小1なのに可愛そうに、と言うので、

そうかなぁと、私。

事実そうなんだし、じゃあ、私の意見が間違っていたと妹に言った方がよかったの?

と、聞くと、友人もそれはどうとも言えないけれど、と、言葉を濁してしまうのでした。

結局、Junさんの家庭の事だから、とこの話はそれ以上掘り下げた話題にはならないのでした。

 それから4、5日して、私がただいまと家に入ると、座敷から祖父の声がしました。

待っていたというような感じで、こっちまで来てくれと言います。

私は祖父が自分を呼ぶなんて珍しい事と思いながら座敷に入って行きました。

 「お前、妹が可愛そうだと思わないのか。」

祖父はいつになく怖い顔をして私を睨むと、一言だけ、そんな事を言いました。

 祖父に冷たくあしらわれるのは、5年生の時の交通事故以来です。

あの時も怖い顔をしていましたが、今回は2度目でした。

滅多に見ない祖父の怒りの形相に、やはり私は悪かったらしいと反省してしまうのでした。

 多分、両親の喧嘩の事を、2人の仲が悪いせいだと妹に言った事が悪かったのだな、

と大体察しが付きました。

その事について察しはついたのですが、私はこの時祖父に謝ったかどうか覚えがありません。

ごめんねと言ったかもしれませんし、しょんぼりして気を付けるねと言うと、そのまま部屋を出てきたかもしれません。

そして、妹の事は妹の事として、私の立場は誰も考えてくれないのだなと寂しく思ったものでした。

 それでも、私の小学生の頃には祖母がいて、私は祖父母2人の仲睦まじい姿を見る事が出来たこと。

その為その記憶が良い思い出として私の中にはあるので、結婚に対しても憧れを持つことが出来る。

しかし、両親の不仲だけを見る事になる妹は、

結婚に対して失望感だけしか持たない事になるんだと察しが付くのでした。

 そうか、だから両親は本当は仲が良いという事にしてあるのだなと、祖父の真意を私なりに汲み取るのでした。

それにつけても、上って損だなと私はげんなりするのでした。

年を食っているだけに真実が分かってしまうと。 

 


誕生日ですね

2016-10-29 21:25:37 | 日記

 特にこれといって記念になる日が思い浮かばないので、自分の誕生日ですね。

自分の人生がはじまった日、一番の記念日といえば記念日です。

 物心つくと1年のサイクルがあるのが分かり、

昨年もこんな事があったと思い、翌年にはやはりこういった事が行われたと再確認したものです。

寒くて暗い冬、春になって家の中が明るくなって、衣類も風も軽やかになって、

冬の後の春が来るのを待ち焦がれ、春の暖かさを満喫したものです。


青葉若葉の季節、5

2016-10-29 13:52:26 | 日記

 さて、この時期、妹の方は如何だったかというと、

私が中学1年の時だったと思うのですが、やはり妹に両親の喧嘩の事を聞いてみたことがあります。

何故突然、妹に聞いたかというと、

両親のことを相談した友人に、妹さんにもどう思っているか聞いてみたら、

妹さんは違った事を言うかもしれないわよ、と言われたからでした。

 それで、お父さんとお母さんが喧嘩をしていて嫌だね、というような事を訊きました。

すると、妹の方はケロッとして全然という答えでした。

え!、と驚いた私は、はじめ妹が両親の派手な喧嘩の事を知らないのではないかと思いました。

何しろ2人の喧騒は真夜中の事ですから、妹は寝ている訳です。

 夜中の喧嘩の事よ、寝ていて知らないんだ?

と言うと、知っている、という返事です。当たり前だわという感じでした。

えー、それでどうして嫌じゃないの?と聞くと、

「お姉ちゃんこそ如何して嫌なの?」

と、妹の方は平然とした中にも憮然とした感じで言うのです。

しかも嫌だというお姉ちゃんの方がよっぽど不思議だと言わんばかりに不満げでした。

姉妹で如何してこんな見解の相違が出来たのだろうと、私にも不思議でした。

 「仲がいいから喧嘩してるんだよ。」

と、続けて妹がしらっとした感じで言うので、

瞬間、眉間に皺を寄せて私は絶句してしまいました。

 確かに『仲が良いほど喧嘩する』という言葉はありますが、

中1の私にすると、あれは如何聞いても仲の良さからくる喧嘩とは思われないのでした。

実際、両親はお互いに青アザなど作っている時もあり、

そんな時は恥ずかしくて外を歩けないとこぼしていました。

 一体だれが小1の妹にそんな間違った見解を教えたのか?

妹と話した私にはそんな疑問が残ってしまいました。

 そして、思案投げ首、首を傾げた私は、

次回の2人の喧嘩を、妹のいうような別の観点で確り検討してみようと思うのでした。

 


青葉若葉の季節、4

2016-10-28 15:37:02 | 日記

 祖父母の仲の良かった記憶とは逆に、両親の方は私が中学1年の頃まではよく喧嘩をしていたものです。  

それは、祖母が亡くなってから見られるようになりました。

母にすると一番の憂鬱の種であった姑が居なくなり、家での煩わしさの矛先が父に向かったのかもしれません。

母から祖父の悪口はあまり聞いたことがないので、母も祖父には好感が持てたようです。

 両親の喧嘩は夜間私たち姉妹が寝静まったころに始まります。

夜中に起こされることがしばしばありました。

こうしょっちゅう仲が悪く、煩いのなら、いっそ離婚すればよいのに

と、遂に怒った私は思ってしまいました。

それが小6~中1にかけての頃でした。

 Gさんと話をした時は、この両親の不仲がまだ記憶に新しい時期でした。

祖父の具合の悪さ、心配事があったせいでしょうか

中2になる前後の時期、両親の喧嘩は影を潜めていました。

 私はこの時期の両親の不仲の事を思い出すと、かつて読んだ小説、

題名は忘れましたが「2人のロッテ」かもしれません。を思い出します。

 「世の中の子供は、両親が離婚して困っている子と、両親が離婚しないで困っている子と2種類ある。」

というような言葉が文中に出て来て、そこまで本を読み進めて来た私は、

その言葉を目にした途端、ハッとして胸を打たれました。

驚くと共に大層共鳴し、この言葉を書いた作者に心酔したものです。

 この作家、子供心が酷くよく分かっていると感銘を受けました。

私の場合はもちろん後者でした。

 実際ある時の事です。

母は私に、

「お父さんとお母さんが離婚したら嫌よね。

と言うので、私は即

「ううん。

と答えました。

 すると私の即答と、多分予想外だった私の答えは、母を酷く面食らわせたようでした。

え!っとばかりに驚いていました。

 私にすると日頃の2人の喧騒が相当迷惑だったので、

ここぞとばかりに、ちっとも苦にならない、むしろ歓迎すると言ったものです。

 そこで母は、尚も片親になってしまうのよと未練がましく言っていましたが、

私はどうしてそこまで我慢するんだろう、こんなに子供に嫌がられてまでと思ったものです。

両親の不仲を見せつけられる子供の方が、よっぽど嫌だとうんざりしていたものです。

 口幅ったいことを言うようですが、

親はいくら不仲でも、子供の前で喧嘩はしない

事ですね。

 実際、祖父母の仲睦まじさがなければ、両親だけを見ていたならば、

私は結婚したいとか、結婚に対しての夢を持ったりしなかったと思います。

また、離婚に際してあっさりとしていて、子供の感情を深く考慮する事が無かったのは、

自分のこの経験からでした。

子供にとって不仲な親でいたくない、それが大きな理由でした。

 

 

 


遠足の思い出

2016-10-28 10:32:19 | 日記

 遠足には自身はもちろん、子供の付き添いでも多く参加しました。

どれを書いてもよいくらいに沢山の思い出があります。

 ほんの小さな頃は、やはり自分が園児で母に付き添われて行った事。

並んで昼食を食べた子が、自分の持っているお菓子を羨ましそうに見ていたので、

その子にそのお菓子を上げてしまった事。

私もなかなか買ってもらえないお菓子でしたが、何時も買ってもらうからと見栄を張って、

というよりも、その子が気にしないようにそう言ったのですが、今から思うと随分偉そうですよね。(反省するかな)

多分、もうその子は覚えていないでしょうね。

 腹痛を起こしていけなかった遠足、その遠足の作文を書くことになり大弱りした事。

家にいた事を書くとよいと先生に言われ、退屈、退屈の連発で、つまらなかった事をつらつらと書いた事。

何をしても退屈が付いているので、読んでいて気が滅入ると先生に言われた事。

その時の遠足が雨で酷かったと、級友達には行かない方が良かったよと言われて、

何だか1人機嫌良くなってしまった事。

遠足の朝、集合場所だった校庭に迄は行って、腹痛で休みたいというと、

当時、仲良しだったけー君の事を皆に囃されて、何で皆知っているんだろうと不思議に思いながら、

け―君が気にしないよと言ってくれて嬉しかった事。

 遠足に長距離を歩いて、こんな遠足もあるんだと1つ経験したと思った事。

ある時は山歩きのコースがあり、自分が山歩きが好きだと自覚できた事。

知らない土地で地図を片手にグループ行動して、成長したんだなと思った高校生の頃。

等々。

 お母さん同士の話で、顔見知りができた子供の付き添いでの遠足。

細かく書くと、1つ1つにエピソードが付いて、それぞれに1章分書けそうです。