Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

花見、7

2016-11-26 20:22:29 | 日記

 私の話というのは、サークルの春合宿で、め―さんにお互いに好きだと言われた言ったという話でした。

それで、と、友人はその後どうしたの?と聞くので、

それだけよ、その後、私は翌日直ぐに帰って来たもの、と答えます。

 なあんだ、Junさんのいい事ってそんな事なの。と言われて、

いい事でしょ。だって好きな人に好きだって言ってもらえたのよ。と私は笑顔で言います。

好きな人に好きだって言われた事ある?

 友人は苦笑して、ぽそっと、無いけど、と言うので、

ほらー、あまり無いでしょう。

だから嬉しかったのだと私は淡い恋心を軽く主張するのでした。

 大体、好きだなんて、好きな人に面と向かって言えないわよ、恥ずかしいもの。

緊張して上がってしまうから、言葉も出てこないわ。

無理に言葉を言おうとすると苦しくって倒れそうになるし、失神しそうになるでしょ。

それが、すんなりとお互いに言い合えたというのが、言い合う事が出来たというのが嬉しいのよ。

 私は言いながらその時の場面を思い出して、るんるん気分でした。

ああ、この幸せを噛みしめていたい。と、陶酔してしまいます。

が、傍らの友人の事も忘れません。

 それで、と、私は友人の詳しい話を聞こうと促します。

友人の方の話は忘れてしまいましたが、やはり嬉しい事があったという事でした。

そんな幸福な話に花を咲かせていると、消えていた友人が戻って来ました。

 3人揃って、腰を据えてじっくりと桜の花を鑑賞します。

何処の桜の木が見事だとか、青空の具合がどうとか、白い雲のかかり具合が如何なら良いとか、

絵でも描きたい気分だねと話し合います。

 

 

  私はこの時、天にも駆け上って行きそうな気分でした。

この青春時代を謳歌したい。めーさんとの事で、過去の男の子との確執が全て解けたような気分でした。

それだけめ―さんの存在は大きくて、この嬉しい春、花盛りの春の公園で、晴天の下、

誰かが付き合ってくださいと言って来たら、私はすんなりとOKした事でしょう。

この時、私は異性とお付き合いする心の準備が整ったのでした。

でも、こんな時に限って誰も何も言っては来ない物なんですね。

全く何も起きずに青春時代の花見は過ぎて行きました。

 

 

 

 


花見、6

2016-11-26 12:01:38 | 日記

 「Junさん、今日は何だか違うね。」

凄く嬉しそうだと友人の一人が言うので、

お天気が良いからとか、お花が満開で綺麗だからと私は答えます。

うふふ、と、微笑んで、そういうあなたこそ嬉しそうだ。笑顔が輝いているけど、何かあったの?

と、逆に私は質問してみます。

昼食後、もう1人の友人はふいにちょっと用事が出来たと、その場から姿を消してしまい、

私達は残された2人でにこやかに話しをしていたのでした。

 彼女の方は、春休みに帰省した時に何か嬉しい事があったようでした。

詳しい事は話してくれません。

私の方は、うふふと眩しい日差しに目を細めながら、事の次第を言ったものかどうかと、

如何しようかと迷います。微笑みながら

「好きな人から好きって言われた事ある?」

と、ちょっと聞いてみます。

 彼女はドキッとしたようでしたが、私の質問には答えずに、

Junさん、何かあったの?と、私の事情ばかり知りたがるのでした。

 花開く桜の花が微笑ましいので、そのうっすらとしたピンク色が愛おしいので、

桜っていいねぇ、こんなに桜がいいものだとは今まで思った事も無かったと私は言います。

春だねぇ、もう今日は皐月の空色で、すぐに5月が来るねぇ。

そうすると若葉の季節になるねぇ。

そんな事を言って回想しながら私は今の気候の良い季節

この幸福感を心行くまで堪能したいのよと言うのでした。

 彼女はJunさん、やっぱり何かあったね?言ってよ、話してよと、

やはり幸せそうな笑顔を浮かべて言うので、

私は内心、お互いにいい事があったのなら、言ってもよいかなと思います。

友達同士で互いの幸福感を分かち合うのもよいかなと思ったのです。

 

 


冬季限定

2016-11-25 12:07:00 | 日記

 冬季限定のチョコレートですから、溶けやすいものですね。

生チョコレートとかですね。

思い当たるものがないので検索してみました。

見慣れたチョコレートではBacchus(バッカス)がありました。

これって秋冬限定商品だったんですね、知りませんでした。

昔は洋酒の味に大人の味と憧れたものですが、今はそれほど欲しいと思わなくなりました。

大人になったからかもしれませんね(笑い

近年は同じ洋酒のシリーズチョコレートでカルバドス(りんご酒)を食べたことがあります。

今年も新商品を目にしました。ストロベリーブランディのチョコレートです。

食べてみたいなと思いました。楽しみです。

 ここで訂正です。

ストロベリーブランディのチョコレートは昨年の物だったようです。

買いに行ってみると、ラズベリーリキュールのチョコレートでした。

悪しからず。


花見、5

2016-11-24 16:26:45 | 日記

 花を見る花見も好きでしたが、新芽、柔らかな緑、黄緑の萌黄を見る事も私は好きでした。

だから、そこに何かしらの欺瞞があったとしても、私は無下に新芽を突っぱねたり、折り曲げたり、傷つける事が出来ないのでした。

この芽吹いた芽に何かしら意味があるのなら、大切にして、それなりの答えを返さなくてはいけないと思うのでした。

言葉ではない問いかけに、「考えてみます。」

と、保留の言葉を言う訳にもいかず、幼い私には返す言葉が無いのでした。

 窓辺で私は引き続き考えてみます。

『中学最上級生か

この言葉を思い浮かべると、小学校最上級生の時の事が思い浮んできます。

 「忠告しておくよ、君と同じように人が考えていると思わない事だね。」

ふいにあの時のきー君の言葉が胸に浮かんで来ました。

そうか!

物事よく取り過ぎてもいけないし、また悪く取り過ぎてもいけない。

父が普段そんな事を言っていた事にも思い当たって、私は軽はずみな答えは返せないと判断するのでした。

 明るい外を眺めていた視線を校舎内に戻してみます。

窓辺に寄りかかって室内に目を移します。

目の前にJさんが座っているのが見えます。

Jさんの斜め前にはせー君が座っています。

教室の前の方にはたー君が、やはり座って本を読んでいるらしい姿が見えます。

 私は誰に言うとも無く独り言のように言います。

「今は無理。」

自分の心の内を覗き込んでみます。やはり今は無理です。お付き合いしようという気持ちになりません。

「もう少し待ってもらいたい。」

嫌いではないから、将来的には考えてもよいと思います。

将来か、と、将来2人が並んでいる姿を想像しようとして…想像できない。

想像できないという事は、

「将来も無理。」

そんな事をぽそッと呟くのでした。将来の事は考えられない。

 自分でもよくわかりません。兎に角、今は無理なのだという事だけは自分にもよく分かったのでした。

 月日は流れて、私は下宿の友達と、大学のある場所の、桜の名所にやって来ました。

この土地で見る桜もこれが最後、皆で見る桜もこれが最後だねとしみじみとしながら、和気あいあいとお弁当を広げます。

皆がお気に入りのフランチャイズのお店で一緒に買って来ました。

それぞれに手にした好みの商品を開いて、青空に咲き揃った桜の花を眺めます。

 ピンク色に染まる木々、その下で人々が集い、点在し、思い思いに花見の宴を楽しんでいます。

地面の上には緑の芝が広がっています。

もう一度目を空に転じると、青空に映える白い雲がなんとも心地よいのでした。

 風も歌っているようで、うきうきとした気分になるのですが、

時折吹いてくる突風がひんやりと冷気を感じさせるので、

短い青春を謳歌した時期が終わるような、

学生時代が後半に入ったという寂しさを、涼し過ぎる風に感じるのでした。

 それでも、と、私は思い直します。

今年のこの春は私にとって格別なとても気持ちの良い春だと。

社会人になる前の学生時代の自由で気ままな最後の春。

家族で来た花見とは違う、気の合う友人同士で連れだって来た花見。

空は晴れ皐月のよう、桜は満開に花開いて、目に新緑の芝生が美しい…

 時に冷たい風が髪やうなじをなじって行っても、

私は今日のこの花見の日を青春時代の最良の日としたいと思うのでした。

何があっても、私は暖かく眩しい春本番の日差しだけを感じていたいと思うのでした。

 髪を風に吹き流し、満足感溢れる笑顔で美しい青い空を見上げるのでした。

感ここに極まれり、という感じでした。

  

 

 


花見、4

2016-11-24 15:21:23 | 日記

 近くの公園は桜の名所なので、春になるとよく家族で出掛けたものです。

花より団子というように、宴を設けて酒気を帯び騒々しい人々もいましたが、

何処の家族も夜桜を見に漫ろ歩きしていました。

城跡の公園なので朱塗りの太鼓橋がありました。当時もう古くなって色は剥げ落ちていましたが、

欄干や橋の形が独特なので、未だ風情を感じる歳ではありませんでしたが、

興味を持って手摺に寄って行くと、その上に上ったりして遊ぶので、濠に落ちないよう注意されるのが常でした。

手摺に上り、濠に向かっておーい等と叫ぶのでした。

 その頃の濠は綺麗だったのかもしれませんが、

歳が上がるにつれて段々と汚れてどろどろの淵溜まりとなって行きました。

めっきり魚が減って、水生生物もいなくなり、自然破壊が問題になっていた頃、

全国的に公害等も問題になって行きました。

 自然保護が言われるようになるとこの公園の濠も手入れされ復活して来ました。

一時は濠の水が無くなるくらいに水が引いた時もありました。

用水路の調査で入水の止水ヶ所が分かり、程無く濠に水が戻り事なきを得たようです。

 用水路の調査から城下町の治水計画など再認識されて、私達の街は歴史ある都市と郷土愛が芽生え、

公園は大切な市民の憩いの場となったのでした。太鼓橋の朱色も塗り替えられて復活しました。

桜以外にも梅など、季節の花を楽しむことが出来、噴水なども設置され、

地方の名所としてその後も整備されて来たのでした。

 そんな風に手を入れて整備される前の公園で、春爛漫の満開の桜の花の下を通ることが、

子供心にも楽しい年中行事だと分かりました。

濠の周りの桜もまだ元気な頃で、濠の縁も土豪の泥むき出しのお堀端でした。

今は桜の木も老化して撤去され、桜は柳の木に変わり、濠端も石積みやコンクリート固め、

手摺の囲いで整然と繋がる形が形成され身綺麗な公園となっています。

 樹木の変遷を見ていると、公園内部の樹木は昔からの物も多く鬱蒼として、

歴史ある貴重な木々が濠に陰影の形を映しています。

花の時期の桜吹雪の舞い散る花びらが濠を埋める姿も麗しいのですが、

薫風の季節の濠に映える緑陰や緑も、これからの夏の季節への期待感、華やぎ

静かな佇まい、落ち着きとして、鮮やかで目に心に滴り入る良さがあるのでした。

 花もそうですが、樹木や木々の新緑も見るものがあって麗しいのです。