神が宿るところ

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麻賀多神社(千葉県成田市台方)(下総国式内社・その5の1)

2012-06-02 23:24:52 | 神社
麻賀多神社(まかたじんじゃ)。
場所:千葉県成田市台方1。国道464号線「宗吾霊堂前」交差点から北へ、約1.5km。駐車場有り。
社伝によれば、景行天皇42年(112年)、日本武尊が東征の折、現・成田市船形に上陸された。このとき、日本武尊は近くの住民を集め、大きな杉の幹に鏡を懸けて祭祀すれば五穀豊穣となると教え、伊勢大神を遥拝されたのが創始という。その後、応神天皇20年(290年)に印旛国造・伊都許利命(神武天皇の皇子・神八井耳命8世の孫)が初めて社殿を創建し、祭神として稚日霊命(ワカヒルメ)を祀ったとされる。また、伊都許利命は、神託により、大杉の根元に埋められていた7つの勾玉を掘り出し、これを御霊代として稚産霊命(ワクムスビ)を併せ祀った。この2神を称して「真賀多真大神(マガタマノオオカミ)」という。更に、推古天皇16年(608年)に、伊都許利命8世の孫・広鋤手黒彦命が現・成田市台方に稚産霊命を遷宮したのが当神社で、当神社を「大宮」、元の神社を「奥宮」という。後に、三種の神器の「勾玉」と同名なのを遠慮して「真賀多」とし、当地が麻の産地であることを記念して、「麻賀多神社」と称するようになったとされる。
あるいは、「まかた」というのは、本来は「真潟」で、「船形」・「台方」の「かた」も同じく、当時は内海(「香取海」)であった印旛沼の入江に鎮座した神であったともいわれている。因みに、当神社の西約1km、印旛沼湖畔に一の鳥居(通称「大鳥居」)がある。この鳥居は、延暦2年(783年)に勅使として大伴家持が参向したときに建立したのに始まるという。その後、61年毎に建て替えてきたが、平成7年に成田市の道路計画により重要神事が行われる浄地「御はしり」の中心部が道路とされてしまい、現在地に移転、石造で建立されたものである。印旛沼湖畔に一の鳥居があり、社殿が印旛沼の方向(西)を向いているということは、神が海(かつて印旛沼は「香取海」という内海の一部だったとされる。)からやってきたということなのだろうと思われる。


千葉県神社庁のHPから(麻賀多神社)

玄松子さんのHPから(麻賀多神社(台方))


写真1:「麻賀多神社」(台方)正面鳥居。鳥居には十六菊の紋が付けられている。傍らの社号標はシンプルに「麻賀多神社」。


写真2:社殿前の石段の傍らには「式内社麻賀多神社(稷山社)」の標柱


写真3:社殿


写真4:ご神木の大杉。通称「公津の大杉」(県指定天然記念物)。当地に遷座してきたときに植えられたといい、樹齢は約1300年。幹周り約8m、高さ約40m。


写真5:「大鳥居」。向って右の石碑には「麻賀多神社神輿渡御之地」と刻され、左に「大鳥居」の由緒が記されている。
コメント (2)
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