神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

滑河山 龍正院

2014-02-01 23:58:56 | 寺院
滑河山 龍正院(なめかわさん りゅうしょういん)。通称:滑河観音(なめがわかんのん)。
場所:千葉県成田市滑川1196。県道161号線(成田滑河線)「滑河観音脇」交差点の南側。滑河小学校の北隣。駐車場有り。
寺伝によれば、承和5年(838年)、当地の領主小田宰相将治の発願により、慈覚大師(円仁。第3代天台座主)を開基として創建されたとする。天台宗の寺院で、本尊は一寸二分(約3.6cm)の十一面観世音菩薩。この本尊は、後に定朝作の一丈二尺(約3.6m)の観音像の胎内に納められて「滑河観音」と通称され、当寺は「坂東三十三観音霊場」の第28番札所となっている。ところが、当寺の本堂裏から、白鳳時代の様式の、所謂「山田寺式」と呼ばれる瓦が出土した。ここは瓦を焼く窯跡とされた(「龍正院瓦窯跡」)が、瓦窯を自ら持つ「龍正院廃寺」という古代寺院跡とする資料もある。とすれば、出土した瓦の様式から、7世紀第4/四半期頃に遡る古代寺院の後身かもしれないという。なお、永正13年(1516年)鋳造の鰐口に「下総州行河山勝福寺」とあるので、「勝福寺」と称していた時期もあるらしい。
さて、当寺の縁起によれば、承和5年は冷害で大凶作となったことから領主の小田将治が仏の加護を祈ったところ、結願の日に「朝日の前」(朝日姫)と名乗る少女が現れ、小田川の河畔に案内して姿を消した。そこでは老憎が船を浮かべており、川から掬い上げた一寸二分の観音像を将治に与えたうえ、「この淵より湧く乳水を舐めよ」と教えた(これが滑河という地名の由来という。)。その教えの通りにすると、穀物の実りが回復した。この観音像が当寺の本尊であるとされる。また、その観音出現の地が、当寺の西、約300mのところにある「朝日ヶ淵(けさがふち)」で、そこに「観音応現碑」が建てられている。
江戸時代には、天台宗の古刹として「東叡山 寛永寺」の末寺となり、延命開運・安産子育の観音として江戸からの参拝客も多かったようだ。また、仁王像も、享保年間(1716~35年)、門前で火事があったとき、観音堂の屋根から大きな扇で火炎を扇ぎ返し、本堂から下の集落は焼失を免れたという伝説があり、火伏せの仁王尊として信仰されたという(仁王門の注連飾は、このとき火難を逃れた集落の人々が毎年正月に奉納するものと伝える。)。


「天台宗 滑河山 龍正院」のHP

「坂東三十三観音霊場」のHPから(龍正院へ御来山歓迎)


写真1:「龍正院」境内入口


写真2:駐車場の脇、県道沿いに立つ石造の宝篋印塔群


写真3:仁王門。室町時代に再建され、桃山様式を伝えるものとされる(国指定の重要文化財)。


写真4:銅製の宝篋印塔(千葉県の有形文化財)


写真5:本堂(千葉県の有形文化財)


写真6:「朝日ヶ淵」。今は田圃の中だが、かつては利根川の水運も与って当寺への参拝の便も良かったものと思われる。


写真7:同上「観音応現碑」

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