神が宿るところ

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富士山(秋田県秋田市)

2017-03-11 23:16:51 | その他
富士山(ふじやま)。通称:日本一低い富士山、明田富士(みょうでんふじ)。
場所:秋田県秋田市東通明田。JR「秋田」駅の南、約500mの「明田地下道」(アンダーパス)から東に約380m、「北都銀行明田支店」の角を南に約370m進むと道路が急に狭くなるが、そこから正面の丘が通称「明田富士(山)」。登り口は南側にあるので、更に約420m進んで回り込む。駐車場なし。山頂へは徒歩約5分。周囲の道路は狭く、近くに駐車場もないので、徒歩か自転車利用が便利(JR「秋田」駅から約1.7km)。
静岡県と山梨県に跨る日本最高峰(標高3,776m)である「富士山」は、「不二山」(二つとない山)とも書かれるが、全国各地に「〇〇富士」と呼ばれる山は多い。山形県と秋田県に跨る「鳥海山」も一名「出羽富士」ともいうが、「富士(山)」という名の付く山のうち、標高が最も低いのが秋田県秋田市にある「明田富士」とされている。その標高、35m。山頂には、日本山岳会秋田支部の「日本一低い富士山という標柱が立っている。これは、昭和63年に静岡県富士市の富士商工会議所がその認定を行い、以来、同支部が植林やベンチ設置などの整備をしてきたというものらしい。
さて、「富士山」という名の由来であるが、伝承によれば、鎌倉時代頃、当地には「冨士太郎」という豪族の居館があったという。「秋田市史」では、「富士太郎」の名前は資料にないが、江戸時代以前には「香哥某」の居館があったとしている。香哥氏は、源頼朝に倣って「富士権現」を祀ったため「富士太郎」と呼ばれたのではないかと推測されるが、元亀元年(1570年)頃の合戦で滅んでしまったらしい。因みに、現在のJR「秋田」駅周辺は、近世以前は殆ど湿地帯であり住みよい場所ではなかったが、「富士山」の直ぐ下には太平川が流れており、近くで石器も見つかったとされているので、この辺りは太古から人が住み着いた土地だったと思われる。なお、江戸時代に佐竹氏が久保田城を築く際、「富士山」からも土地取りをしたらしく、元々の大きさの四分の一くらいになってしまったとのこと。
ところで、最近の調査では、愛知県の「佐久島」という離島にも「富士山」があり、こちらの標高は31mで、自然の山としては最も低い「富士山」ということになっている。人工の山で良ければ、秋田県大潟村に「大潟富士」があり、こちらは標高0m。どういうことかと言うと、元々、大潟村は浅い湖だった「八郎潟」を干拓してできた村で、海水面より低い土地も多い。そこに、高さ3.776m(「富士山」の千分の一)で、かつ標高(海抜)0mになるように築山を造ったということらしい。これより低い山はまず無いと思われるのだが、人工の山ということで、国土地理院の地形図には掲載されていないという。


写真1:「(明田)富士山」全景


写真2:同上、登り口


写真3:中腹にある「明田稲荷大明神」祠


写真4:山頂に祀られている「富士大権現」(祭神:木花咲耶姫)


写真5:「日本一低い富士山」標柱。山頂からは秋田市の市街地が見下ろせる。
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