神が宿るところ

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秋田市の石敢當

2017-04-01 23:25:30 | 名石・奇岩・怪岩
石敢當(いしがんどう、せっかんとう)。
場所:秋田県秋田市南通みその町ほか。JR「秋田」駅の南西、旭川と太平川に囲まれた、所謂「築山」地区を中心に多数。
「石敢當」は、表札のような石材(石碑のように大きなものもある。)に「石敢當」と刻したものを路傍に設置したもので、「敢當石」あるいは「散當石」と刻されたものもある。沖縄県に行くと、そこら中に見られるものだが、元々は中国発祥の民間信仰に基づくものらしいので、沖縄県・鹿児島県に多いのはわかるが、次いで多いのが秋田県なのだという。それも、秋田市の南通及び楢山を中心にした地区に集中している。幕末から明治初期にかけて建てられたものが多く、大正期の調査で47基、最近でも30基はあるだろうとされている。
「石敢當」は、読み下せば「石、敢えて當(当)たる」となることから、この石に当たると魔物の身体が砕けるという民間信仰から来たものという説が有力のようだが、人名という説もあって、由来の詳細は不明。「石敢當」が設置されているのは大体、丁字路の突き当りで、これは、魔物(沖縄では「マジムン」)は直線的にしか進めないと信じられているため、魔物がぶつかるところに置かれることになったもののようだ。
では、何故、秋田市内に多いのか。どうやら、江戸時代末期、藩校の教授として招かれた儒学者の中に「石敢當」に詳しい人物がいて、久保田(秋田)藩の武家の子弟に伝えられ、幕末の不安な時代に建立ブームが起きたのではないか、と考えられているようだ。特に、所謂「築山」地区は「内町(うちまち)」、即ち武士が多く居住する町で、侵入してきた敵を惑わせるため町内に丁字路やクランクが多く作られていたことも要因の1つらしい。家の建て替えや道路整備などで古い「石敢當」は減りつつあるようだが、比較的最近に作られたと思われるものも見かけるので、秋田の1つの文化として残してほしいとも思う。


写真1:「石敢當」。これは、秋田市内で最も大きいとみられるもの(場所:秋田市南通みその町)。


写真2:同上。オベリスクのような形で、撮影時には道路上にあったが、その後、後ろの住宅の敷地内に移されたようだ(場所:秋田市南通築地)。


写真3:同上、ただし、「敢當石」となっている。壁面に埋め込まれたもので、丁字路の突き当りにある(場所:秋田市楢山本町)。


写真4:同上。「石」の字が少し変わっている(場所:秋田市楢山本町)。


写真5:同上。これも「敢當石」。クランク状の道路際にある(場所:秋田市楢山登町)。


写真6:同上。3分の1くらい土に埋まってしまっている(場所:秋田市千秋明徳町)。


写真7:同上。これは「散當石」。「総社神社」の近くにある(2015年9月26日記事参照。写真は再掲)(場所:秋田市川尻みよし町)。
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