太刀割石(たちわりいし)。
場所:茨城県日立市十王町黒坂。行き方は前項参照。
「黒前神社」が鎮座する「竪破山」(たつわれさん)のハイキングコースを登ると、コース沿いに巨石が散在し、それぞれに名がつけられている。古くから神仏混淆の山岳信仰・修行の山だったようで、中でも圧巻なのは、「黒前神社」参道から外れて左の道を進んだところにある「太刀割石」である。縦直径7m×横直径6m×高さ2.5m、面の周り20mという黒雲母花崗岩の巨石で、まさに太刀で斬った片側が横倒しになったような形で、その断面も綺麗な平面となっている。伝説によれば、寛治元年(1087年)、奥州合戦のため遠征途上の八幡太郎こと源義家が「黒前山」に登り、「黒前神社」に戦勝祈願をした折、白雲に乗った神から宝剣を授けられる夢を見た。目覚めると一振りの太刀があり、その切れ味を試そうと、傍らの巨石を目掛けて振り下ろしたところ、巨石が真っ二つに割れたという。この神については、「黒前神社」の祭神である黒坂命、あるいは征夷大将軍・坂上田村麻呂とするものがあるが、いずれにせよ蝦夷征伐の功労者であり、源義家はこれを勝利の前触れであるとして喜び、勇躍して奥州に向かったという。「黒前神社」の縁起では、この割れた巨石の片側に「南無釈迦牟尼仏」、もう一方に「南無八幡大菩薩」という金文が現れたので、釈迦堂と八幡社を建立した、ということになっている(「釈迦堂」は「甲石」の前に今もあり、「八幡社」は現存しないが、「太刀割石」の前にあったらしい。)。もちろん、実際には太刀で斬れる訳がなく、植物の根が石の節理や割れ目に侵入して開口し、片方が倒れたものだとみられている(いつ割れたのかは不明。)。ただし、確かに不思議なものであることは間違いなく、水戸藩第2代藩主・徳川光圀もわざわざ見に来て、「最も奇なり」と驚き、「太刀割石」と名付けた(黒前山も「たちわり」が訛って「竪破山」になった)という。
なお、「竪破山」ハイキングコースでは、「太刀割石」のほか、「神楽石」、「甲石(堅破和光石)」、「舟石」、「胎内石」、「畳石(腰掛け畳石」)、「烏帽子石」と、「不動滝(奈々久良滝)」、「剣滝」、「龍馬滝」があり、これを「七奇石三瀑」と呼んでいる。
写真1:「不動岩」(横8m×縦3m×高さ1.5m)
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写真2:「不動岩」上の不動明王石像。足元に樋を引いて、水が流れるような仕掛けがあったらしいが、訪問時には水はなかった。
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写真3:「烏帽子石」(横7m×厚さ1.5m、上部斜面の縦3m)。源義家が被っていた烏帽子に似ているというもの。
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写真4:「手形石」(横0.9m×縦1.4m×高さ1.5m)。細長く抉れたところがあり、源義家の手形であるという(いくら何でも手にしては大き過ぎ)。
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写真5:「畳石」(横8m×厚さ2.5m)。畳を4段に積み重ねたように見え、ここに源義家が腰を下ろして休んだという。
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写真6:「太刀割石」。以前には「磐座」として、石の周りに注連縄が張られていたという。
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写真7:同上、後ろから見る。
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写真8:「竪破山」山頂。展望台もある。
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写真9:山頂から少し下がったところにある「胎内石」。黒坂命が蝦夷征伐の帰路、山麓で休んでいたところ、1人の童子が現れ、馬に乗せて山を駆け上り、この岩窟の中で休ませたという。
場所:茨城県日立市十王町黒坂。行き方は前項参照。
「黒前神社」が鎮座する「竪破山」(たつわれさん)のハイキングコースを登ると、コース沿いに巨石が散在し、それぞれに名がつけられている。古くから神仏混淆の山岳信仰・修行の山だったようで、中でも圧巻なのは、「黒前神社」参道から外れて左の道を進んだところにある「太刀割石」である。縦直径7m×横直径6m×高さ2.5m、面の周り20mという黒雲母花崗岩の巨石で、まさに太刀で斬った片側が横倒しになったような形で、その断面も綺麗な平面となっている。伝説によれば、寛治元年(1087年)、奥州合戦のため遠征途上の八幡太郎こと源義家が「黒前山」に登り、「黒前神社」に戦勝祈願をした折、白雲に乗った神から宝剣を授けられる夢を見た。目覚めると一振りの太刀があり、その切れ味を試そうと、傍らの巨石を目掛けて振り下ろしたところ、巨石が真っ二つに割れたという。この神については、「黒前神社」の祭神である黒坂命、あるいは征夷大将軍・坂上田村麻呂とするものがあるが、いずれにせよ蝦夷征伐の功労者であり、源義家はこれを勝利の前触れであるとして喜び、勇躍して奥州に向かったという。「黒前神社」の縁起では、この割れた巨石の片側に「南無釈迦牟尼仏」、もう一方に「南無八幡大菩薩」という金文が現れたので、釈迦堂と八幡社を建立した、ということになっている(「釈迦堂」は「甲石」の前に今もあり、「八幡社」は現存しないが、「太刀割石」の前にあったらしい。)。もちろん、実際には太刀で斬れる訳がなく、植物の根が石の節理や割れ目に侵入して開口し、片方が倒れたものだとみられている(いつ割れたのかは不明。)。ただし、確かに不思議なものであることは間違いなく、水戸藩第2代藩主・徳川光圀もわざわざ見に来て、「最も奇なり」と驚き、「太刀割石」と名付けた(黒前山も「たちわり」が訛って「竪破山」になった)という。
なお、「竪破山」ハイキングコースでは、「太刀割石」のほか、「神楽石」、「甲石(堅破和光石)」、「舟石」、「胎内石」、「畳石(腰掛け畳石」)、「烏帽子石」と、「不動滝(奈々久良滝)」、「剣滝」、「龍馬滝」があり、これを「七奇石三瀑」と呼んでいる。
写真1:「不動岩」(横8m×縦3m×高さ1.5m)
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写真2:「不動岩」上の不動明王石像。足元に樋を引いて、水が流れるような仕掛けがあったらしいが、訪問時には水はなかった。
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写真3:「烏帽子石」(横7m×厚さ1.5m、上部斜面の縦3m)。源義家が被っていた烏帽子に似ているというもの。
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写真4:「手形石」(横0.9m×縦1.4m×高さ1.5m)。細長く抉れたところがあり、源義家の手形であるという(いくら何でも手にしては大き過ぎ)。
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写真5:「畳石」(横8m×厚さ2.5m)。畳を4段に積み重ねたように見え、ここに源義家が腰を下ろして休んだという。
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写真6:「太刀割石」。以前には「磐座」として、石の周りに注連縄が張られていたという。
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写真7:同上、後ろから見る。
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写真8:「竪破山」山頂。展望台もある。
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写真9:山頂から少し下がったところにある「胎内石」。黒坂命が蝦夷征伐の帰路、山麓で休んでいたところ、1人の童子が現れ、馬に乗せて山を駆け上り、この岩窟の中で休ませたという。
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