鹿島神宮 東の一之鳥居(かしまじんぐう ひがしのいちのとりい)。通称:明石浜鳥居。
場所:茨城県鹿嶋市明石676。国道51号線と茨城県道255号線(鹿島港線)の「スタジアム北」交差点から県道を東~南東に約850m進んで左折(東へ)、約140mで左の道路に入って、約300m。駐車場なし。海岸の堤防の傍に建てられているが、サーファーが大勢来ていて駐車スペースが占領されていることが多い。
常陸国一宮「鹿島神宮」の「一之鳥居」は東西南北にあるが、現・鹿嶋市大船津の「西の一之鳥居」(「鹿島神宮」2017年10月7日記事の写真1)以外はあまり知られていない。東は現・鹿嶋市明石の海岸、北は現・鹿嶋市浜津賀の神戸森、南は現・茨城県神栖市の「息栖神社」(2017年12月2日記事)の大鳥居が兼ねているとされる(元は「息栖神社」の旧地である現・神栖市日川にあったという。)。
「鹿島神宮」の「東の一之鳥居」は、社殿の北東約3.7kmの明石浜にあり、祭神の武甕槌大神が出雲国で大国主命と国譲りの話し合いをした後、上陸した場所とされている(なお、武甕槌神に限らず、神が海からやってくるという伝承は多い。)。「鹿島神宮」は現在、西側から境内に入るようになっているが、御手洗池が境内北東側にあることからして、本来の入口は北東側だった可能性がある。また、東は朝日が昇る方向であり、ここも初日の出を見に来る人が多いという。このようなことから、4つの「一之鳥居」のなかでも、特にパワー・スポットとされることが多いようである。
蛇足:「東の一之鳥居」の西、約740m(直線距離)の高台に「鹿嶋灯台」があって、現在も海上交通の安全を見守っている。鳥居前から西(海の反対側)を向くと、木々の上に灯台の先端部分が見える。
鹿嶋市のHPから(鹿嶋の意外を巡ろう!)
写真1:「鹿島神宮」東の一之鳥居
写真2:「敬神」石碑
写真3:道しるべ。中央に「鹿嶋大神宮」、右に「北 いそはま(現・茨城県大洗町)」、左に「南 てうし(現・千葉県銚子市)」と刻されている。
写真4:堤防上から見る鹿島灘。写真ではわからないが、この日も大量のサーファー。自動車のナンバーを見ると、湘南や横浜ナンバーが多い。
場所:茨城県鹿嶋市明石676。国道51号線と茨城県道255号線(鹿島港線)の「スタジアム北」交差点から県道を東~南東に約850m進んで左折(東へ)、約140mで左の道路に入って、約300m。駐車場なし。海岸の堤防の傍に建てられているが、サーファーが大勢来ていて駐車スペースが占領されていることが多い。
常陸国一宮「鹿島神宮」の「一之鳥居」は東西南北にあるが、現・鹿嶋市大船津の「西の一之鳥居」(「鹿島神宮」2017年10月7日記事の写真1)以外はあまり知られていない。東は現・鹿嶋市明石の海岸、北は現・鹿嶋市浜津賀の神戸森、南は現・茨城県神栖市の「息栖神社」(2017年12月2日記事)の大鳥居が兼ねているとされる(元は「息栖神社」の旧地である現・神栖市日川にあったという。)。
「鹿島神宮」の「東の一之鳥居」は、社殿の北東約3.7kmの明石浜にあり、祭神の武甕槌大神が出雲国で大国主命と国譲りの話し合いをした後、上陸した場所とされている(なお、武甕槌神に限らず、神が海からやってくるという伝承は多い。)。「鹿島神宮」は現在、西側から境内に入るようになっているが、御手洗池が境内北東側にあることからして、本来の入口は北東側だった可能性がある。また、東は朝日が昇る方向であり、ここも初日の出を見に来る人が多いという。このようなことから、4つの「一之鳥居」のなかでも、特にパワー・スポットとされることが多いようである。
蛇足:「東の一之鳥居」の西、約740m(直線距離)の高台に「鹿嶋灯台」があって、現在も海上交通の安全を見守っている。鳥居前から西(海の反対側)を向くと、木々の上に灯台の先端部分が見える。
鹿嶋市のHPから(鹿嶋の意外を巡ろう!)
写真1:「鹿島神宮」東の一之鳥居
写真2:「敬神」石碑
写真3:道しるべ。中央に「鹿嶋大神宮」、右に「北 いそはま(現・茨城県大洗町)」、左に「南 てうし(現・千葉県銚子市)」と刻されている。
写真4:堤防上から見る鹿島灘。写真ではわからないが、この日も大量のサーファー。自動車のナンバーを見ると、湘南や横浜ナンバーが多い。