神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)

2024-10-12 23:33:28 | 神社
鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)。
場所:埼玉県久喜市鷲宮1-6-1。埼玉県道410号線(鷲宮停車場線)「鷲宮駅入口」交差点から西へ約220m。駐車場あり。
社伝によれば、神代の昔、天穂日命(アメノホヒ)とその子神・武夷鳥命(タケヒナトリ)が東国経営のため、供の昌彦・昌武父子と出雲族27人の部族等とともに当地に着き、鎮守として「神崎神社」を建てて大己貴命(オオナムヂ)を祀ったのが最初で、次いで別宮として天穂日命を祀ったが、これが現在の本殿「鷲宮神社」である。その後、日本武尊が東国平定の際に戦勝祈願を行い、相殿に武夷鳥命を祀ったという。ということで、出雲族の草創に係わる「関東最古の大社」と称するが、「六国史」や「延喜式神明帳」には記載されていない(文献上の初見は「吾妻鏡」建久4年(1193年)の記事で、「鷲宮」社殿に血が流れるという事件があり、鎌倉幕府が神馬を奉納したというもの。)。当神社の成り立ちについては、古代、当地に移住してきた「土師部(はじべ)」(素焼きの土器を作る人々)が祀り、社名も「土師宮(はじのみや)」と称したが、この「ハジ」が「ワシ」に転訛して「鷲宮」になったという説も有力。当神社が重要視されたのは、平安時代末期に成立した荘園「太田荘」の総鎮守とされてからとみられ、当神社の周辺に多くの分社があるが、その分布をみると旧「太田荘」地域に集中している。「太田荘」は関東地方の陸路・河川の交通の要衝であり、特に鎌倉幕府以降の武家支配において重要な地域であったため、その総鎮守である当神社の社格が急速に高まったと考えられている。因みに、当神社は天正19年(1591年)に徳川家康から社領400石の寄進を受けているが、この石高は、武蔵国内では武蔵国総社「大国魂神社」(現・東京都府中市)の500石に次ぐものとなっていた。明治元年には准勅祭社(東京十二社)の1社に指定された(准勅祭社の制度廃止後は県社に列格)。現在の主祭神は、天穂日命・武夷鳥命(「鷲宮神社」本殿)と大己貴命(「神崎神社」本殿)。「お酉様の本社」、「大酉元祖」などとも称し、関東地方各地で行われる「酉の市」の本社として、商売繁盛・縁結びなどの御利益があるという。


鷲宮神社のHP


写真1:「鷲宮神社」鳥居(元・二の鳥居)と社号標(「武蔵國 鷲宮神社」)。鳥居は老朽化のため平成30年に突然倒壊したが、令和3年に再建された。新しい鳥居は鉄製で、高さ約8m・重さ約10t。当神社はアニメ「らき☆すた」の舞台地としても有名で、アニメ・ファンからも鳥居再建のための奉賛金が寄せられたという。


写真2:境内参道、桜並木。


写真3:「鷲宮堀内遺跡」石碑。境内から、縄文時代前期(約6000年前)~古墳時代後期(約1500年前)の住居跡、土器などが出土。


写真4:「光天之池(みひかりのいけ)」。龍神が棲むという神池で、永く土砂に埋もれていたが、1999年に復元工事が行われた。このとき、湧き水が溢れ出し、霧となって龍のような雲に覆われたという。


写真5:拝殿


写真6:「鷲宮神社」本殿


写真7:「鷲宮神社」本殿と並んで、向かって左側に「神崎神社」本殿。「鷲宮神社」の堅魚木(かつおぎ)は5本、「神崎神社」は3本となっている。


写真8:境内社「姫宮神社」(祭神:活玉依姫命)。境内には他にも「八幡神社」や「鹿島神社」など多くの境内社がある。


写真9:社殿前にある「寛保治水碑」。寛保2年(1742年)、関東地方は大規模な洪水に見舞われ、翌年、利根川の大改修工事を行った。この石碑は、その完工記念として当神社に奉納されたもの。
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