慈眼山 福蔵院 光福寺(じげんさんふくぞういんこうふくじ)。通称:梶内観音。
場所:茨城県筑西市梶内761。茨城県道54号線(明野間々田線)と同357号線(谷和原筑西線)の「黒子」交差点から357号線を南に約1.4km。駐車場有り。
寺伝によれば、貞観元年(859年)、第3代天台座主・慈覚大師により創建された。正徳元年(1711年)、定観法印が阿弥陀堂を建立して再興。元は「赤城山 光福寺」と称していたが、明治初年に「慈眼山 福蔵院 光福寺」と改称した。現在は天台宗寺院で、本尊は行基作という十一面観世音菩薩立像(像高15.15cm)。安産・子育てに御利益ありとして参詣者が多い。また、当寺院の御朱印は住職のユニークな絵入りで人気があるとのこと。なお、南北朝時代、南朝方の関城主・関宗祐の四男・梶四郎祐郷は梶内に出城を作り(現「赤城神社」付近)、当寺院の観音菩薩を熱心に信仰したという(関城は、落城前の興国4年(1343年)まで北畠親房が留まり、歴史書「神皇正統記」を完成させたことでも有名。なお、関城の落城により、関宗祐・祐郷父子は戦死した。)。
写真1:「福蔵院」境内入口。寺号標。
写真2:本堂前
写真3:本堂
写真4:巨大な石碑。本堂裏に御影石による石窟が造られ、石造の観音像が祀られているとのこと(拝観有料)。
写真5:石仏
写真6:「赤城神社」鳥居(場所:筑西市梶内136。「福蔵院」の北西約250m(直線距離)。駐車スペース有り。)。
写真7:同上、社殿。祭神:盤筒男命。由緒不明。明治6年村社。
場所:茨城県筑西市梶内761。茨城県道54号線(明野間々田線)と同357号線(谷和原筑西線)の「黒子」交差点から357号線を南に約1.4km。駐車場有り。
寺伝によれば、貞観元年(859年)、第3代天台座主・慈覚大師により創建された。正徳元年(1711年)、定観法印が阿弥陀堂を建立して再興。元は「赤城山 光福寺」と称していたが、明治初年に「慈眼山 福蔵院 光福寺」と改称した。現在は天台宗寺院で、本尊は行基作という十一面観世音菩薩立像(像高15.15cm)。安産・子育てに御利益ありとして参詣者が多い。また、当寺院の御朱印は住職のユニークな絵入りで人気があるとのこと。なお、南北朝時代、南朝方の関城主・関宗祐の四男・梶四郎祐郷は梶内に出城を作り(現「赤城神社」付近)、当寺院の観音菩薩を熱心に信仰したという(関城は、落城前の興国4年(1343年)まで北畠親房が留まり、歴史書「神皇正統記」を完成させたことでも有名。なお、関城の落城により、関宗祐・祐郷父子は戦死した。)。
写真1:「福蔵院」境内入口。寺号標。
写真2:本堂前
写真3:本堂
写真4:巨大な石碑。本堂裏に御影石による石窟が造られ、石造の観音像が祀られているとのこと(拝観有料)。
写真5:石仏
写真6:「赤城神社」鳥居(場所:筑西市梶内136。「福蔵院」の北西約250m(直線距離)。駐車スペース有り。)。
写真7:同上、社殿。祭神:盤筒男命。由緒不明。明治6年村社。
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