神が宿るところ

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雨引山 楽法寺

2018-11-17 23:25:09 | 寺院
雨引山 楽法寺(あまびきさん らくほうじ)。通称:雨引観音。
場所:茨城県桜川市本木1。JR水戸線「岩瀬」駅付近から茨城県道41号線(つくば益子線)を南へ約3.7km進み、茨城県道152号線(雨引観音線)に入る(東へ。角に大きな「雨引観音道」石碑がある。)。道なりに約2.4km、終点が当寺院。駐車場有り。
寺伝によれば、用明天皇2年(587年)、中国(梁)出身の法輪独守居士により開山。現在は真言宗豊山派の寺院で、雨引山(409m)中腹にあり、本尊は延命観音(平安時代前期の作で、八臂という珍しいもの。国指定重要文化財)。坂東三十三箇所観音霊場の第24番札所となっており、桜や紫陽花の名所でもある。第33代推古天皇の病気平癒により勅願寺とされ、第45代聖武天皇・光明皇后は安産祈願のため法華経を書写して納め、第52代嵯峨天皇は弘仁12年(821年)の大旱魃に当たり降雨を祈願して霊験があったことから「雨引山」との山号を賜ったという(それ以前は「天彦山」という山号だったとか。)。その後、鎌倉幕府第6代将軍・宗尊親王、室町幕府初代将軍・足利尊氏により再興された。徳川家康からは朱印地150石の寄進を受け、真言宗新義門流関東談林として10万石の格式を称するようになったとされる。現在では、雨乞いよりは、厄除け・安産・子育てに御利益がある寺院として多くの参拝者を集めている。


雨引観音のHP

桜川市のHPから(雨引観音)


写真1:「雨引山 楽法寺」寺号石碑。ここから更に少し上る。


写真2:薬井門(通称:黒門)。「真壁城」の城門だったもので、今も刀疵が残っているという。雨引山一山はかつて26坊・末寺6ヶ寺・門徒43ヶ寺あり、「楽法寺」はその本山(別当寺)で、薬井門が表門として本山の権威の象徴であったという。


写真3:磴道(とうどう)。145段の石段で、一段上るごとに「南無観世音菩薩」と唱えると、登り終えたときに厄が落ち長命になるのだとか。


写真4:仁王門(茨城県指定文化財)


写真5:本堂(観音堂)


写真6:多宝塔。元は光明皇后が建立した三重塔で、嘉永6年(1853年)に多宝塔として再建されたもの。


写真7:地蔵堂。通称:子安地蔵として、安産・子育て祈願の参拝者が多いという。


写真8:東照山王権現宮。元は東照権現と山王権現を別々に祀っていたが、享保12年(1727年)に合祀されたものという。真言宗寺院で山王権現社は珍しいと思うが、毎年4月には「マダラ鬼神祭」(「摩多羅神」(天台宗玄旨帰命壇の本尊)を祀る祭礼)も行われており、元は天台宗の時期があったのではないかと思われる。
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