神が宿るところ

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降魔山 護国院 経音寺

2022-10-08 23:32:49 | 寺院
降魔山 護国院 経音寺(ごうまさん ごこくいん きょうおんじ)。通称:護摩堂、厄除不動尊。
場所:茨城県鹿嶋市宮中2-6-13。国道51号線と茨城県道192号線(鹿島神宮線)の「鹿島神宮前」交差点から、県道を東へ約100mで右折(南へ)、約100mで東側入口。駐車場有り(境内)。正面は南側になる。
寺伝によれば、和銅2年(709年)、明道上人が開基したという。当初は三論宗だったが、中世には真言宗に改宗したらしい。元は常陸国一宮「鹿島神宮」(2017年10月7日記事)境内にあり、室町幕府初代征夷大将軍・足利尊氏が深く信仰し、神宮神前不断の護摩所との勅号を受けて国家安穏の護摩祈祷を修したことから、通称「護摩堂」と呼ばれるようになった。延宝2年(1674年)、「鹿島神宮」大宮司から排斥を受けて現在地に移ったが、幕末の水戸藩の争乱の中、本尊と一部の宝物を除き堂宇・伽藍が焼失、明治12年(1879年)に再建された。現在の不動堂は現・茨城県城里町の「白雲山 小松寺」(2019年5月25日記事)から移築されたものといわれ、天明年間(1781~1789年)頃の建築とされている。現在は真言宗智山派に属し、本尊は五大明王。なお、不動明王は、「成田山 新勝寺」(2014年1月25日記事)の不動明王と同じ木から彫られた「兄弟不動様」とされ、「北関東三十六不動尊霊場」の第29番札所となっている。
蛇足:「鹿島神宮」の神仏混淆は古く、天平勝宝年間(749~757年)に「神宮寺」が創建されたというが、他にも「鹿島神宮」に社僧・供僧として奉仕する寺院が多くあり、特に「神宮寺」・「広徳寺」・「護国院」・「正等寺」・「普済寺」を「宮中五ヶ寺」と称した。しかし、江戸時代末から廃仏毀釈が動きが激しくなり、明治時代に入ると「鹿島神宮」関連の寺院は殆ど廃寺となり、現在まで残っているのは当寺院と「瑞甕山 根本寺」(2017年11月25日記事。中世に鹿島城主・鹿島氏(大掾氏の支流)の菩提寺として再興され、「鹿島神宮」の社僧ではなかったためらしい。)のみという。因みに、当寺院には安政年間(1855~1860年)に始められた「大師板東(たいしばんどう)」という行事があり、弘法大師像を納めた厨子を背負い鹿島郡内を巡拝するというものであるが、明治5年に明治天皇の認可を受けて「鹿島速證講(かしまそくしょうこう)」と改称された。あるいは、こうしたことが当寺院を存続させることになったのかもしれない。


写真1:「護国院」正面(南側)境内入口。「勅願所 降魔山」とある。


写真2:石仏などが並ぶ中に鹿嶋市指定文化財の「板碑」(鎌倉~室町時代)がある。元は「普済寺」にあったものという。同様な板碑は、関東には多いが、鹿島地方に残っているものは珍しいらしい。


写真3:山門


写真4:本堂(不動堂)。平成8年の台風で被害を受け、同10年に修復。鮮やかに彩色されている。


写真5:東側入口


写真6:大師堂。東側入口の正面にある。


写真7:大師堂を取り巻く石仏。所謂「四国八十八ヶ所のお砂踏み」で、四国に行かなくても巡礼したことになる霊場。


写真8:大師堂背後の弘法大師像。
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