神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

保呂羽山波宇志別神社 里宮

2015-06-06 23:59:13 | 神社
保呂羽山波宇志別神社 里宮(ほろわさんはうしわけじんじゃ さとみや)。
場所:秋田県横手市大森町八沢木字木ノ根坂200。秋田県道29号線(横手大森大内線)と同265号線(湯の又前田線)の交差点(合流点)の北、約1kmのところを東に入る(「霜月神楽」の案内板がある。)。そこから道なりに南東に約1.3km。駐車場なし。なお、「神楽殿」及び「ほろわの里資料館」には、上記交差点から北へ約4km。駐車場あり。
式内社「保呂羽山波宇志別神社」は、第27代天皇である安閑天皇の家来だった大友右衛太郎吉親が創建したとされ、現在、秋田県内に鎮座する式内社3社のうち唯一、中世にも祭祀が途絶えなかった神社である。現在も大友家が宮司を務めるが、大友家は古代の有力氏族・大伴氏の末裔とされる。「保呂羽山波宇志別神社」は、近世には神仏混淆して「保呂羽山 天国寺 極楽院」という寺号を有していたが、これは別当寺ではなく、あくまでも社家が支配していた。そういう意味でも、稀有な存在だった。佐竹氏が秋田に入封すると、中絶していた式内社「副川神社」と「塩湯彦神社」の再興を任せられ、秋田藩内の神社の大頭職となった。大友家当主が幼少であった折、元は神楽役だったという守屋家も宮司を務めたが、嘉永6年(1853年)に守屋家で行われていた神事の最中に出火した火事で参拝者100人以上が焼死するという大事件を起こしたため、守屋家は追放された。なお、守屋家の伝承によれば、守屋家は飛鳥時代の大連である物部守屋の末裔で、当神社の神霊も守屋家が大和国から分霊したと伝えているとのこと。
さて、県道265号線沿いにある「神楽殿」は室町時代後半の建物と推定され、母屋の前後に庇を延ばす「両流造」は東北唯一、全国でも6棟しかないものだという(国の有形重要文化財)。神事「霜月神楽」は、天正18年(1590年)に大友右衛門太郎吉継が書き遺したという「保呂羽山開山以来之祭祀之次第」によって行われる神楽(国の重要無形民俗文化財に指定されている。)で、元はこの「神楽殿」で行われていたが、現在では大友家宅を兼ねた「里宮」で行われるようになっている。


横手市のHPから(霜月神楽)

公立大学法人国際教養大学地域環境研究センターのHPから(保呂羽山の霜月神楽)


写真1:「保呂羽山波宇志別神社 里宮」入口。ちょっと場所がわかりにくい。県道から少し入るのだが、何となく「隠れ里」の雰囲気がある。


写真2:同上、鳥居


写真3:同上、社殿。扁額は「敬神」


写真4:「神楽殿」前の鳥居


写真5:同上、扇池


写真6:「神楽殿」。かつては「弥勒殿」と称していた。


写真7:「仁王門」(神門)。元和5年(1619年)建立。神仏混淆の名残りだろう。(場所:横手市大森町八沢木。八沢木郵便局の東、約260m)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする