一人が欠けたとしても表現することは十分に可能なはずだった。だが語り始めてすぐに息が苦しくなった。風景がかすみ、修飾が見当たらない。主人公の動作はぎこちなく、意思を反映させることも難しかった。自分にコントロールできると思ったのは過信だったのか。今にも主人公は躓いて転倒してしまいそうだった。小説の体をなすこともできず、誰もが目を離してしまうかもしれない。
改行担当が行を空けた。
段落担当が字を下げた。
そして僕のパートがかえってきた。
(いつもならあいつが主人公の声で生き生きと語り出すのに)
地の文の僕は何をどう話せばいいのかわからない。あいつがいなければ何もできなかったのか。今さら気づいたところで手遅れなのだ。僕は主人公の声を主義を主張を、何も知らない。小説をどう表現していくべきかわからない。客席からの冷たい視線を感じる。ここに心躍らせる物語はない。もう疲れた。改行してくれ。
改行担当が素早くスペースを空ける。
段落担当が続けて全角スペースを空ける。
また逃げ場がなくなった。
強い地声があれば言葉の尾をつかみ取って、どこまでも疾走していくことができるはずだ。だけど、僕には地に足をつけて言葉を引っ張っていくパワーが足りない。主人公の横顔を街の風景の中に映して遠回しに心情を語ること、小さな仕草を積み重ねることによって愛を浮き立たせること、本当はそんな地力が必要なのだろう。僕はそんな風には生きてこなかったのだ。いつもあいつの声のあとを補足するばかりだった。結局はあいつの声だけを頼っていたのだ。今日、僕らは結末まで持たないだろう。もう駄目だ。おしまいだ。ここで解散だ!
(お、お前、熱は下がったのか……)
絶望しかけたその時だった。
首に葱を巻き付けて「あいつ」が現れた。
あとは俺に任せろ。一瞬そんな顔をして彼は堂々と舞台の真ん中に立った。(きっとあいつはこうなることがわかっていたんだな)
「教えてくれ! 僕はどうすれば出られるんだ」
小説が声を上げると客席の目は輝きを取り戻した。
「まるであなたがそれを望んでいるみたい」
「どういう意味だ?」
「わからない? あなたは迷うことを楽しんでいるの」
「まさか」
「慣れすぎたのよ。すっかり居心地がよくなったのよ」
「違う! 僕は出かけるんだ!」
「旅行者気分でいられると思っているのね」
「旅行とおでかけは違う!」
「同じよ。カテゴリをよく見ることね」
「いったい何の話だ?」
「とぼけないで! カテゴリに縛られているのは誰なのかしら」
「そんなつもりはないね。僕はただ詩歌が現れるのを待っていただけだ」
「それは小説とは違うの?」
「話したくはないね」
「私にとっては日記でも何でも同じよ。言葉は言葉じゃないの」
「同じなものか」
「ずっと迷路を楽しんでいるくせに」
「パズルなんて嫌いだ」
「それだって言葉遊びじゃない。ここは炬燵の中なのよ」
「違う。僕は自由なんだ!」
「自由なんてまだあるとあなたは本……」
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