眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

我々はぶっ通しで働く仕様なのか?

2024-07-17 19:00:00 | いずれ日記
 留学生が、「勝手に休憩をとるな」と注意を受けている。何を言われているか、彼らに飲み込めるだろうか。正社員と呼ばれる人たちは、勤務時間中に談笑したり、喫煙したり、適当にのんびりと過ごす時間もあるように見える。雇用形態が異なると、事情は全く異なるのだろうか。

「我々は水1滴さえ自由に飲めないのか?」

 使う側の立場としては、時給で働く形態だから1分も無駄にさせては損と思っているのだろうか。理屈はわからなくもないが、いくつか疑問な点もある。人間というものを理解できていれば、そんな単純な考えはできないのではないか。逆の立場で考えてもまるで平気なのだろうか。(中にはそんな想像とは無縁の人もいるかもしれない)
 法律上は問題ない。5時間の労働に休憩などなくてもいいと言う人もいるかもしれない。
 しかし、人間の集中できる時間には限りがあるのだ。まず5時間なんてとても無理だ。集中力が持つのは果たしてどれくらいか。高い人で3時間くらい、普通は90分から2時間くらいのものである。それ以上作業を続けていると、動作が遅くなったりイージーなミスが出やすくなる。学校の授業でも、ある程度集中して詰め込んだら、5分、10分の休憩を挟むものである。
 同じ姿勢を長時間続けることには無理がある。高い集中力を持つとされる将棋の棋士を例に見てみよう。延々と地蔵のように背筋を伸ばしていられる棋士は希有である。多くの棋士は、正座から胡座に組み替え、座布団の上に伏せ、天を仰ぎ、脇息にのめり込み、ついには立ち上がって廊下を歩き回るのだ。同じ姿勢を続けるよりもその方が脳を回転させることができるからだ。それほど同じ姿勢を保つことは難しいということの証明だ。人間は、眠る時でさえ寝返りを打たねばならない。そうしたことを踏まえた上で、どうすれば効率的に働いてもらえるのか。問われているのは、人を使う側の姿勢でもある。
 我々はロボットではない。腹も減るし、のども渇く。「腹が減っては戦はできぬ」と言うではないか。少なくとも、水分補給くらいは絶対に必要なはずだろう。







「我々にコーヒー・ブレイクはないのか?」

 2時間も頑張ったら、5分くらいは完全に動きを止めてはどうか。コーヒーでも飲んでリフレッシュすれば、集中力も復活して気持ちよく働けると思うのだが、どうだろうか。
 彼らは歯止めが利かなくなることを恐れているのだろうか。もしもむやみに休憩なんか与えたら、5分が10分になり、ずるずると際限なく休み続ける者が出てきやしないか。途中でいなくなる者が出てきやしないか。ボール遊びを始める者や、カードゲームに夢中になる者が出てきて、収拾がつかなくなりやしないか。正社員以外の働き手をまるで信用することができず、昔の学校の部活みたいにほとんど迷信的に、支配下に置こうとする。仮にそれが本当ならなんと愚かで嘆かわしいことだろうか。
 その結果、我々の労働力は必然的に低下して、残業することになる。そうなれば残業手当も発生する。それでいったい誰が得をするというのか。我々はしあわせになるために生きている。そのためには、不条理な賃止まりや賃下げ賃渋りが改善され、時給で働く中でも適切な休憩時間が認められることが望ましい。

 我々の社会には、従業員のしあわせを優先的に考える会社もある。それとは逆に、一部の優先的な社員の利益の他は全く考えない会社もある。ブラック企業と呼ばれる会社はそうであろう。
 いずれにしろ、我々は現在置かれた環境と向き合いながら、生きる道を探していかねばならない。働き方改革が叫ばれているが、それが必要な間は、我々人間は依然として労働と切り離されることもない。我々が直面する現実には、うんざりするような場面や泣き出したくなるような出来事があふれている。我々はそれに対して一喜一憂するのではなく、我々の目指す理想の実現に向けて、広い視野を持ちつつ歩み続けねばならない。我々の星の歴史の中で、こんなページもあったねと未来のどこかで振り返り笑える時が訪れることを夢見ながら。









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