眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

暴走端末のメルヘン

2024-07-03 01:28:00 | ナノノベル
 小銭を数えるなんて面倒なことだ。手と手が触れ合うことは、リスキーではないだろうか。それよりも間違いのない、現代に相応しい方法というものがある。

「お支払いは?」
「ストイック・ペイで」
 私は常に最先端のやり方を好むのだ。

「少々お待ちください。そちらの方ですと端末が変わりましたので担当を代わります」
 端末が変わった……。
 流石はできた店だ。より処理のスピーディーなものに進化しているのだろう。


「いらっしゃいませ」
 新しい端末を扱うのは、専属のロボットだった。

「専用のアプリをダウンロードしますので、それまでの間、誠に僭越ながら創作メルヘンをお聞かせさせていただきます」
 すぐに終わると思っていたのでこれには少し意表を突かれた。ロボットは、低い男性の声でゆっくりと話し始めた。


『バッドじいさん』

 昔々、あるところにバッドをつけてまわるおじいさんがいました。おじいさんは暇さえあれば他人のページを訪問して、適当に見物してはすかさずバッドをつけました。
「いいことばかりじゃつまらんさ」
 それがおじいさんの口癖でした。人々はおじいさんのことをバッドつけじじい、ひねくれバッド、バッドじじい、あるいはバッドボーイと呼んで憎悪しました。ある夏のこと、バッドじじいは恋をしました。世界が全く新しく変わるような恋でした。その時から、おじいさんはバッドをつけることが少なくなり、反対にいいねをつけることもありました。そして恋心が募るに従って、いいねばかりをつけるようになったのでした。
「いいこともなきゃつまらんさ」
 おじいさんの口からそんなつぶやきが聞こえるようになりました。バッドじじいは死んだ。信念を曲げた。つまらない大人になった。人々はそんな風にささやくのでした。一夏の恋はあっけなく水風船のように弾けました。おじいさんは恋をした自分を呪い、復讐の刃を見知らぬ他人に向けはじめました。バッドじじいの復活です。
「いいことばかりじゃつまらんさ」
 そうしておじいさんは相手に関係なく、バッドをつけてまわりました。
 めでたし、めでたし。

「アプリのダウンロードが完了しました。こちらにかざしてください」

「はい」
 いや。何がめでたいんだ。

 私はサイドボタンをダブル・クリックしてスマホをかざし、決済が完了するのを待った。それは1秒で終わることもあれば10秒くらいかかる場合もある。

タイム・オーバー♪

「時間切れです」

「えっ?」

「お支払いは完了していません。アプリの再ダウンロードが必要です。ダウンロードが完了するまでの間、僭越ながら私のメルヘンを聞いてお待ちください。メルヘンを聞かれますか?」

「スキップってできますか」

「メルヘンを聞かれますか?」

「えーと、できたらスキップ……」

「メルヘンを聞かれますか?」

「はい」
 まあ、ただじっと待っているよりは多少はましだ。


『すっぱ梅さん』

 昔々、とてもすっぱい梅干がいました。すっぱい梅干はどこに行ってもいつもすっぱがられていました。「ここはスイーツな場所。フルーティーなものが集まるところだ。さあ帰った帰った」と追い払われることは日常茶飯事でした。「なんだお前は小粒だからって許されるとでも? 来るなら保護者同伴で来い!」そうして門前払いされることは日常茶飯事でした。どんなパーティーも、どんなフェスも、どんなイベントも、すっぱい梅干を歓迎することはありませんでした。
(自分はここではいらないんだ)そう思ったすっぱい梅干は、自分の街を離れコロコロと石ころのように転がっていきました。何百年とそうしていたことでしょう。ある日、すっぱい梅干は紀州街道の隅で宇宙の彼方から飛んできた隕石と衝突すると一緒に乗ってきた若い娘と恋に落ちました。「僕はカンロ」すっぱい梅干は、自らを偽りました。ありのままの自分では実るものがないと思ったからです。互いの趣味、感覚、母星を少しずつ探り合いながら、ゆっくりゆっくりと何百年という時間をかけて両者は近づいていきました。あと少し。2つの点が宇宙に重なりかけた瞬間、彼女はうそに気づいたように真っ赤に燃えました。
「あなたはキャンディなんかじゃないのね」
「違う。僕は僕なだけだよ」
「うそつき。だいっきらい!」(ここはお前の来るとこじゃない! さっさと帰れ! 保護者をつれて来い!)その瞬間、追い払われて過ごした長い長い歴史が、宙に浮かび上がるのが見えました。まるで決して終わることのない永遠の闇のエンドロールのようでした。甘い幻想はとけて我に返らずにはいられない。
ああ、なんてすっぱいんだ! そして、そのすっぱさこそが自分であったことを悟りました。めでたし、めでたし。

「アプリのダウンロードが完了しました。端末に端末をかざして支払いを完了させてください」

「はい」
 いや、何もめでたくないわ。

 今度こそ。私はスパイのような素早い動作でサイドボタンをダブル・クリックした。画面が少し揺らぎながら水面下で電子的な処理を行っている。もうすぐだ。もうすぐなんだ。これで家に帰って冷凍庫を開けてアイスを食べられるんだ。今か今かと私は端末が認証のベルを鳴らすのを待ちわびている。

タイム・オーバー♪

「時間切れです」

「えーっ?」

「アプリの再ダウンロードが必要です。本人確認が必要です。生年月日の入力が必要です。好きな食べ物の秘密の暗号が必要です。顔写真を送信してください。必要な手続きがすべて完了するまでの間、僭越ながら私のメルヘンを聞いてお待ちください」

「いやいや」

「メルヘンを聞かれますか?」

「いやー」

「メルヘンを、メルヘンを、メルヘンを……」

「もうええわ!」
 そこまで暇じゃないんだよ。


「おかえりなさい」

「やっぱり現金で」

「でしょうお客さん。結局、現金が一番早いんだって」

「そうですね」
 いや、お宅の端末がおかしいだけだけど。
 私は鞄の底から小銭入れを見つけ出して支払いを済ますと無事にお薬を受け取った。これでようやく家に帰ることができる。汗をかいた分だけ、アイスがより美味しくなることを今日の喜びとしよう。









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