私は三橋経済塾の塾生である。毎月講演会がある。そのうちの4月期の講演VTRを聞いた。三橋さんと東大の鈴木教授の食料の話だった。VTRだからいつでも聴けるので便利だ。
その中でロシアのウクライナ侵攻の話があった。私も、ウクライナ人の抵抗、ロシア人への憎しみが尋常でないことが分かってきている。コメンテーターの橋本徹が、すぐ降伏しろ、そのうちロシアも代替わりするから、また復興するよ、というのんきな考えは間違っている、と思い始めていた。世間も炎上していた。
その講義中、ユーラシア人は紛争死史観、日本人は災害死史観だと聞いた。新しい知識だ。そして講義が終わって、標記の書籍を購入した。「国土学が明かす日本の再興」、と言う本だ。
紛争死史観とは、ユーラシア人の特徴で、この大陸は、災害が少なく、死はほとんど戦争死だそうだ。戦争は、誰かが引き起こす、そしてやられた方は、犯人が分かっているから忘れない、従って、ウクライナ人はロシア人を3百年間も憎んでいる、忘れない。今、ロシアに降伏したら、どんな目にあわされるか、おおよそ想像がつくから降伏なんかしない。
そう言えば、ローマ人の物語を読んだとき、戦争に負けた国は、皆殺しか奴隷になっていた。ソ連に負けた日本は、シベリアに奴隷として連れていかれ、何万人もの日本人が死んだ。ローマの昔からユーラシア人は変っていないのだ。
一方、日本は、災害が多い。地震に洪水だ。こちらは一気にきて、終わるとやれやれ、生き残ったか、さあ、復興だ、とくる、災害死史観だ。自然災害は、犯人がいない。自然を憎んでもしかたがないのだ。日本人の史観がこのようになっているから、太平洋戦争の時、アメリカに原爆や空襲など、無差別殺人をされても、なぜか憎まなかった。これは日本人の持つ災害死史観の問題だそうだ。一方、紛争死史観では、相手を憎む。忘れない。こんな違いがあるのだ。チェ・ゲバラは、広島の原爆ドームを見て、なぜ日本人はアメリカを憎まないのだと不審そうに聞いた。わかるな。
実は現役の頃、同じようなことを思ったことがある。私はガス会社の保安を預かる事業所の所長だった。ガスの災害は、大きく分けると、地震と爆発だ。地震、実はあんまり怖くはなかった。訓練も相当やっていて対応手順は頭に叩き込んでいた、自然相手だが、怖くはなかった。地震の責任もあんまり感じない。一方、爆発はそうじゃない。犯人がいる。ガス会社が起因なら管理が悪い、と行きつく。これは怖い、責任が一気にかぶってくる。この考えの違いが、災害死史観と紛争死史観なのかな。
幸いなことに、私の時は、世間を騒がす爆発はなかった。地震は退職直前に東日本大震災が発生し、対応、幸い、ことなきを得た。紛争死史観と、災害死史観、世界の人の考えが理解しやすくなるよ。