思うことを。
練習をする。このことに関して。私は選手に頭を下げて「練習をしてください」というつもりはない。「顧問として不適格だ」と言われたらそうなのだろう。が、自分たちのことではないのか。別に私自身は選手が結果を出して「すごいですね」と言われるためにやっているわけではない。選手自身が「強くなりたい」という想いを持っているのであればそれに手を差し伸べるというだけ。自分自身の評価のためにやるつもりはサラサラない。IHに選手が進んだ、国体に出場したということで給料が増えるわけでもなんでもない。
単純に「強くなりたい」「成長したい」と思う部分をサポートしたい。それだけ。私が高校時代、強くなりたいと思っていた。しかし、指導を受ける環境ではなかった。自分たちで練習計画を立てる。何をやるのもほとんど自分達で進めてきた。もちろん試合の申し込みは顧問の先生にやってもらっていたが、練習に関してアドバイを受けたことは一度もない。教員になろうと思ったきかっけの一つに「本気でやる選手のサポートをしたい」というのがあった。遠回りしてきた分、そういう経験を高校生がしなくて済むようになればと。
「うちで一緒に競技をやらないか」と声をかけることもある。もちろん、進路選択の一つに入れてほしいというレベルでしかない。公立高校だから強烈な勧誘活動はできない。更にはたくさんの選手を一度に集める気もない。自分自身の能力の「限界」があるから。来てもらっても関わる時間が確保できないのであれば失礼だと思うから。私が持っているものを伝えるためにはやはり会話が必要になる。話す時間が限られてくれば強くなる可能性も下がる。そういう環境は作りたくない。
しかし、そのことは「当たり前」ではない。前任校でも何度も何度も言ってきたが「指導を受けたい」と思っていてもその環境にない選手もたくさんいる。進学校へ進むことになればそういう可能性もある。「練習メニュー」の提供はあっても自分たちで考えて練習を進めていかなければいけないということもある。それは「進路」という意味で仕方ないのかもしれない。そういう場合は極力助けてあげたいなとは思う。余計なお世話かもしれないが。
私が近くにいて指導を受ける。このことに関して「指導するのが当たり前」になる。当然起きうる出来事だと思う。しかし、それを「強要」されるのは違うと思う。私の意志の中で「やりたい」と思うから指導をする。指導ができない顧問は「なんで指導しないのか」と言われることはない。が、指導できるからと言って「なんで指導しないのか」と言われるのは違うと思う。自らの意志で「やる」というのが正解だと思うから。
一番最初に書いたように「練習してください」とお願いするつもりはない。やりたくないのであればやらなければいい。練習に来てもらう必要性もないと思う。なぜなら「強くなりたい」と思っている選手と「時間をつぶしたい」と思っている人間は同じ環境下では練習ができないと思うから。どちらか一方だけでやるのは幅が狭いとは思う。「何となく体を動かしたい」という者が「強くなりたい」と思う選手と一緒のスタンスで練習をするのは不可能だから。
そういうスタンスの中で考えると「指導を受ける」というのはやはりと「当たり前ではない」と思う。私が何を求めて指導をするのか。単純にやっているわけではない。「前に進む」ためにやっている。そこだけ。「強くなりたい」と本気で思っている選手がいればそれに応える。そうでなければ応えない。そこだと思っている。
私が「この選手たちのためなら自分の時間を使ってもいい」と思えればやる。そう思わなければやらない。そういう選択肢があってもいいのではないか。
部活動。以前と比べ非常にやりにくくなっている。それだけは確か。多様性を求められる。もちろん、幅はある程度広くなると思う。しかし、すべてを受け入れることはできないというのもある。一人の人間としての感情を持ちながら生きる。そのことさえ許されない仕事であれば「人を育てる」ことは絶対にできない。間違いない事実だと思う。
書きなぐる(笑)。まとまらない。が、思うことはある。
練習をする。このことに関して。私は選手に頭を下げて「練習をしてください」というつもりはない。「顧問として不適格だ」と言われたらそうなのだろう。が、自分たちのことではないのか。別に私自身は選手が結果を出して「すごいですね」と言われるためにやっているわけではない。選手自身が「強くなりたい」という想いを持っているのであればそれに手を差し伸べるというだけ。自分自身の評価のためにやるつもりはサラサラない。IHに選手が進んだ、国体に出場したということで給料が増えるわけでもなんでもない。
単純に「強くなりたい」「成長したい」と思う部分をサポートしたい。それだけ。私が高校時代、強くなりたいと思っていた。しかし、指導を受ける環境ではなかった。自分たちで練習計画を立てる。何をやるのもほとんど自分達で進めてきた。もちろん試合の申し込みは顧問の先生にやってもらっていたが、練習に関してアドバイを受けたことは一度もない。教員になろうと思ったきかっけの一つに「本気でやる選手のサポートをしたい」というのがあった。遠回りしてきた分、そういう経験を高校生がしなくて済むようになればと。
「うちで一緒に競技をやらないか」と声をかけることもある。もちろん、進路選択の一つに入れてほしいというレベルでしかない。公立高校だから強烈な勧誘活動はできない。更にはたくさんの選手を一度に集める気もない。自分自身の能力の「限界」があるから。来てもらっても関わる時間が確保できないのであれば失礼だと思うから。私が持っているものを伝えるためにはやはり会話が必要になる。話す時間が限られてくれば強くなる可能性も下がる。そういう環境は作りたくない。
しかし、そのことは「当たり前」ではない。前任校でも何度も何度も言ってきたが「指導を受けたい」と思っていてもその環境にない選手もたくさんいる。進学校へ進むことになればそういう可能性もある。「練習メニュー」の提供はあっても自分たちで考えて練習を進めていかなければいけないということもある。それは「進路」という意味で仕方ないのかもしれない。そういう場合は極力助けてあげたいなとは思う。余計なお世話かもしれないが。
私が近くにいて指導を受ける。このことに関して「指導するのが当たり前」になる。当然起きうる出来事だと思う。しかし、それを「強要」されるのは違うと思う。私の意志の中で「やりたい」と思うから指導をする。指導ができない顧問は「なんで指導しないのか」と言われることはない。が、指導できるからと言って「なんで指導しないのか」と言われるのは違うと思う。自らの意志で「やる」というのが正解だと思うから。
一番最初に書いたように「練習してください」とお願いするつもりはない。やりたくないのであればやらなければいい。練習に来てもらう必要性もないと思う。なぜなら「強くなりたい」と思っている選手と「時間をつぶしたい」と思っている人間は同じ環境下では練習ができないと思うから。どちらか一方だけでやるのは幅が狭いとは思う。「何となく体を動かしたい」という者が「強くなりたい」と思う選手と一緒のスタンスで練習をするのは不可能だから。
そういうスタンスの中で考えると「指導を受ける」というのはやはりと「当たり前ではない」と思う。私が何を求めて指導をするのか。単純にやっているわけではない。「前に進む」ためにやっている。そこだけ。「強くなりたい」と本気で思っている選手がいればそれに応える。そうでなければ応えない。そこだと思っている。
私が「この選手たちのためなら自分の時間を使ってもいい」と思えればやる。そう思わなければやらない。そういう選択肢があってもいいのではないか。
部活動。以前と比べ非常にやりにくくなっている。それだけは確か。多様性を求められる。もちろん、幅はある程度広くなると思う。しかし、すべてを受け入れることはできないというのもある。一人の人間としての感情を持ちながら生きる。そのことさえ許されない仕事であれば「人を育てる」ことは絶対にできない。間違いない事実だと思う。
書きなぐる(笑)。まとまらない。が、思うことはある。