あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ミラン・クンデラ著「無意味の祝祭」を読んで

2015-05-16 12:46:10 | Weblog

 
照る日曇る日第780回


 巴里のリュクサンブール公園を散歩する男たちの群像が、(もちろんその相方の女性との交渉も含め)、できるだけ長くなり過ぎないように抑制された筆致と短さでスケッチされた哲学的短編小説でして、まあ要するに、「人世の本質は無意味であり、我らはその無意味な日常を楽しむに如かず」と結論付けているようだが、んなこたああんたに言われなくとも、生まれ落ちたときから分かってらあな。

 詰らん、詰らん、詰らん、まるで近頃の世の中のような、あるいはまたおらっちの人世のように詰らん小説である。

 それでもそんな無味乾燥な古典的テーゼを最後に露骨に打ち出してくるまでに、著者はいろいろな挿話を繰り出して、それでなくとも退屈な小説をできるだけ盛り上げようと努めているのだが、フルシチョフの回想録に出てくるというスターリンの「24羽のヤマウズラ」という挿話だけはちょっと面白い。

 ある日スターリンが猟に出かけたら、森に24羽のヤマウズラが木に止まっていた。生憎12発しか弾の持ち合わせがなかったので、とりあえず12羽を撃ち殺してから家に弾を取りに帰り、また現場へ戻って、残りの12羽を撃ち殺した、という。

 この自慢話を聞かされたフルシチョフたちは、全員でトイレの中で「そんなバカな、スターリンは大嘘つきだ!」などとと罵り合うばかりで、誰ひとりこれを独裁者のジョークとは思わなかったというのである。

 スターリン時代のソ連でジョークを吐けるのは、スターリンだけだったことが分かる。



       1週間前730円でニトリで買った目覚まし時計1時間遅れだったといま気が付いた 蝶人
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アベマリア~短歌詩その2

2015-05-15 14:17:13 | Weblog


「辻征夫詩集」を読んで~照る日曇る日第779回~「これでも詩かよ」第138番


序歌
アベチャンはアベマリアに変身か これぞ驚天動地!これぞコペルニクス的転回! 蝶人


午後7時の記者会見で、我が国の宰相アベチャンが、いつの間にか別人にすり替わっていることを私たちに知らせたのは、ほかならぬ官房長官だった。

このきわめて有能な策士は、
「本日午後2時、総理大臣のアベシンゾウさんが他の誰かに取って代わられていることが判明しました。その背景等につきましてはただ今私の責任において粛々と調査中であります。真相が判明し次第発表いたしますので、国民の皆様におかれましては冷静に、軽挙妄動することなく、暫時お待ちください」
と云ってのけたのだ。

「軽挙妄動することなく暫時お待ちください」だって。
あのアベチャンが、誰かに乗っ取られたんだぜ。おラッチの大好きなアベチャンが。
誰が落ち着いて見物していられるかってんだ。

フナッシーやパンダには及ばずとも、全盛時代のヒトラーを凌ぐ国民の圧倒的支持を集めていた我らがアベチャンは、先月の国連総会で「我が国は本日ただ今、日米安保条約を破棄し、憲法を改定して非武装永世中立の共和国になります」と演説したのだ。

どうしても憲法を改定したい。どうしても日米安保を破棄したい。
アベチャンときたら大したもんだ。祖父にも父にも出来なかった天下の大業、回天の大事業を一夜にして成就してしまった。

これぞ驚天動地! これぞコペルニクス的転回!
1945年以来国民の多くが夢にまでみた本邦の真の独立と新時代への画期を高らかに宣言したアベチャンは、現行憲法を改正せよという声に真正面から応えたのみならず、
一躍国内のみらず世界をリードする大政治家として、かのケネディ大統領を上回る空前の人気を博していたのだ。

ところが彼が特別機で羽田に到着し、内外の記者に取り囲まれたときから妙な具合になった。
いつもならいかなる質問にも思いがけない文節でぶつ切りにする奇妙な日本語で流暢に答えていたのに、一言も発しないで胸に十字を切った。
靖国神社にしか行ったことのない熱烈な神道信者が、異教の神に祈りを捧げたようだった。

まるで猪八戒の能面をかぶった不審人物が、無言の行を続けているみたいだったが、思えばあの時すでにアベチャンは、見知らぬ誰かに乗っ取られていたのだ。
アベチャンは、なんとアベマリアに変身していたのだ。

聖母マリアよ! 罪多き我をどうか許したまえ。

間奏歌
アベチャンが急に後悔してabbéに懺悔してしおらしく神に祈るようになったからアベマリア 蝶人


もしかすると、有能ではあるが見るからに陰険そうな官房長官が、NYで突然心変わりをした宰相の大脳前頭葉にひそかに脱法ドラッグを注入して、別の人格に変えようとしたのかもしれない。

ともあれ、すべての国民、いな全世界の心ある人々は、アベチャンの回復を願っている。アベチャンが内なるアベマリアをやっつけて、本来の清く正しい共和主義者アベシンゾウに戻るように衷心から祈っているのだ。


終歌
アベチャンぐあんばれ! アベチャンぐあんばれ! 諸国の民草は、アベチャンを応援しているぞ 蝶人




サンジェルマン・デプレには本のなる樹がありカルチエラタンの図書館では耳栓の色を見てナンパができる 蝶人
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小谷野敦著「江藤淳と大江健三郎」を読んで

2015-05-14 13:28:49 | Weblog


照る日曇る日第778回



 これまで里見、谷崎、久米、川端の浩瀚な伝記をあらわしてきた著者による江藤&大江のなんと“ダブル伝記”であるが、「作品論には踏み込まない」といいつつも、随所で作品と対象者への価値判断を行い、それが期せずして副題が示すような「戦後日本の政治と文学」についての個性的な概説になっているのは、著者の一回限りの離れ業だろう。

 総じて江藤への点が辛いのは予想外だったが、大江に対しては1965年の「谷崎朝」の終焉直後から「大江朝」が始まっており、大江は「もしかすると近代日本最大の作家である可能性もある」と断じるのだから、これまた想定外の大判振る舞いだ。

 しかし大谷崎ほどではなくても、大江と三島が近代日本文学の南北朝の代表選手であり、その平成後継者が「村上朝」であることは、そう間違った俯瞰図ではないだろう。本当は「両村上朝」時代の到来を予言していた私にとっては、「龍」選手の超低空飛行が気になる今日この頃だが。 

 江藤は評論家であり、大江は作家だから、両者の文学的達成を同じ天秤にかけることは無理無体だが、少なくとも私の中では、前者の漱石論や「治者の文学論」、「フォニー論」、西郷論、“華麗なる一族”物よりも、後者の疑似私小説の創造世界の魅力に軍配があがる。駄作も数多い作家ではあるが、大江健三郎こそ“我らの時代”を代表する作家だろう。

 最近芥川賞に落選した著者は、「なぜあんな下らない作品が選ばれておのれの秀作が没になるのか」と大いに悲歌慷慨したそうだが、成功している他人への妬みや嫉み、“憧れの大学教授”へのコンプレックスを包み隠さず露出していることも、私は正直でかえって好ましいと思うのである。 

 余談ながら、著者と大江と私の唯一の共通点は、ともに反天皇制の反対論者であることで、「人の上に人をつくる」この制度の一日も早い廃棄なしには、本邦に棲息する人間の自由も平等も自立もありえないだろう。


   なにゆえに人の上に人が立つ人間は生まれながらに平等なのに 蝶人

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神奈川県立近代美術館鎌倉館で「近代美術館のこれからPART1」をみて

2015-05-11 09:01:50 | Weblog



茫洋物見遊山記第178 回&鎌倉ちょっと不思議な物語第340回


 本欄で時折報告していた神奈川県立近代美術館鎌倉館の処遇問題であるが、県と鶴岡八幡宮の間で来年3月をもって閉館するという話になったようだ。

 だが、これはおかしい。現地調査の結果、地下の遺跡に影響を及ぼさずに耐震工事を行うことは可能であるという結論がでたのだから、県は八幡宮との借地契約を延長して工事を行ったうえで現在と同じように美術館としての使用を続ければいいではないか。

 同じ仲間の葉山は遠くて不便だし、近くの分館はあまりにも狭すぎる。鎌倉本館+分館+葉山館の3点セットが揃ってこその神奈川県立近代美術館。とりわけ名建築の鎌倉本館なしの運営などまったく考えられない。

 県との契約を終えた八幡宮がこの建物を破壊したり、美術館以外の用途に使うなんて絶対に許されないことである。

 前置きが長くなったが、そんな鎌倉館では3回に分けて回顧展を開催することになったようだ。PART1では毎度お馴染みの作品が並んでいたが新館ではかなり多くの作品を初公開していたが、1枚でいいから息子の油絵を買いあげてくれませんか。



 いったい誰がどういう基準で買い上げているのかてんで面白くもない新規購入作品 蝶人
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神奈川県立近代美術館葉山館で「日韓近代美術家のまなざし」展をみて

2015-05-10 11:07:08 | Weblog


茫洋物見遊山記第178 回

 大日本帝国が朝鮮を植民地にしていた時代には、藤島武二、小杉放庵、富本憲吉をはじめ数多くの作家が半島へ出かけて絵を描いたり陶器を焼いたりしていたことを迂闊にもはじめて知った。

 わが帝国は、彼の地に芸術学校を作って美術の教育をしたり、内地に留学生を迎えたりしていたことをここに並んだ数多くの作品をみて遅まきながらはじめて知ることができた。

 絵画には当時の朝鮮の人々の風俗や習慣が物珍しく描写されており、過去の歴史的、文化人類学的な資料ともなっていて貴重であるが、それらの前提になっているのは、わが国の他国への侵略と支配であることを忘れてはならない。

 チョ・ヤンギョという作家の表現主義的な作品を興味深く鑑賞したが、彼は1956年に北朝鮮に「帰国」してまもなく行方不明になったそうだ。

 当時は在日朝鮮人の帰還運動が盛んで、私の妹の友人のリー・クッスンも元気に帰国していったが、今頃はどうしているんだろう。もしかするともう生きてはいないかもしれないな。拉致した日本人を返さない北朝鮮は、自発的に帰国したチョ・ヤンギョやリー・クッスンも返さないのである。

 なお本展はすでに5月8日に終了していますので悪しからず。


 チョ・ヤンギョ、リー・クッスンをいますぐ返せ17名の拉致被害者と共に 蝶人
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五味文彦編・現代語訳「吾妻鏡15飢饉と新制」を読んで

2015-05-09 12:23:07 | Weblog


照る日曇る日第777回


 本巻では正嘉2年(1258)から弘長元年(1261)までを扱っていますが、正元元年(1259)は記事が欠落しています。北条氏にとって具合の悪い事件が起こったのでしょうか。

 当時は本書のサブタイトル通りに飢餓が蔓延して、街中には子供や老人や病人が捨てられていたようですが、北条時頼や長時、政村、時宗などが救済の手を差し伸べた形跡はない。

 京から下った将軍宗尊の儀式の行列の順番とか弓の当たり外れを夢中になって論じているけれど、社会的弱者や貧民を冷酷に切り捨てる冷酷さは、こんにちの安倍政権の福祉切り捨て富国強兵武断政治にいささか似ているといえましょう。

 また宗尊は、そんな下らないことでしか北条に異を唱えられない傀儡将軍であったことがよく分かります。

 文応元年(1260)の10月8日には、北条政村の娘が比企能員の娘讃岐局の亡霊の蛇の祟りで患い、父親の政村が一日経を書写し、若宮別当僧正が加持祈祷している最中に、蛇のように身をよじり、舌を出して唇を舐めるなどして大騒ぎになった。

 結局同月27日には本復したのですが、悪辣非道な北条は、比企一族のみならず和田、畠山、三浦などのライバルを陰険な策動で皆殺しにしているのですから、こんな小者だけを呪詛したはずがない。

 モンゴルを撃退したものの夭折した時宗なんかも、きっと非業の死を遂げた御家人の悪霊に取り憑かれたのでしょう。能天気な観光客は知らないだろうが、死都鎌倉では、平成の御代になっても武者の亡霊が丑三つ時に暴れ回るのです。桑原、桑原。


 
     丑三つの若宮大路を騎馬でゆく血塗れの武者畠山重忠 蝶人

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だめよだめだめ~「これでも詩かよ」第137番

2015-05-08 11:08:22 | Weblog

ある晴れた日に第308回






       だ        だ
        め     め
         よ   よ
           だ
         め   め
       だ        だ
     め             め




 このままではだめよだめだめだめなのよおいらのくらしもよのなかも 蝶人
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ニッポンチャチャチャ~「これでも詩かよ」第136番

2015-05-07 13:21:02 | Weblog


ある晴れた日に第307回




            ン チ
         ポ       ャ 
       ッ           チ
      ニ              ャ
    ッ                  チ
   ポ                    ャ
  ン                      ニ
  チ                      ッ
  ャ                     ポ
   チ                   ン
    ャ                 チ
      チ              ャ
       ャ            チ
         ニ         ャ
           ッ      チ     
            ポ   ャ
              ン     



  モモンガアぐららあがあ鼻濁音を絶滅させないためにぐあんばろう 蝶人
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二十年はふた昔~蝶人五風十雨録第一回「五月一日」の巻

2015-05-06 13:38:13 | Weblog


バガテル-そんな私のここだけの話op.199


1996年5月1日 小雨
降りだす前にムクと熊野神社へ行く。野茂勝って3勝2敗。TBS磯崎社長辞任。反省だけなら猿でもできる。

1997年5月1日 曇、冷
妻に散髪してもらう。ムクと太刀洗へ散歩。藤の花が青い葡萄のように緑の棚から垂れ下がる。野茂3勝2敗。

1998年5月1日 陰
愛犬ムクの足弱る。青池夫婦と昼食。「アメリカ時代の荷風」読了。野茂2勝3敗。

1999年5月1日 晴
4人の布団を干し、太刀洗へ2度散歩。大小2種のオタマジャクシが群れ泳いでいる。母の自叙伝をパソコンで打ち始める。

2000年5月1日 晴
2時に紀尾井町のマドラへ行き9月号の編集会議。神宮外苑で開かれているガーデン展と明治記念館を見物する。

2001年5月1日 曇、肌寒し
資生堂の仕事、前田氏より8万円の請求書を送るべしと。風邪だいぶ治りつつあり。ハイドンSQ全集を聴きながらリライトをする。

2002年5月1日 雨のち晴れ
妻と大船のヨーカ堂へ行き、息子のフォーマル用紺スーツを9000円で買う。息子はこの頃良い子で路線図描きに熱中している。

2003年5月1日 晴、風冷たし
駅前の早見学園に行きたれど、連休にて無人。いったいどういうことなるか。ヤンキース対マリナーズの対決2戦目はヤ軍が雪辱。卓の結婚式に着てゆく服を決めた。

2004年5月1日 晴
栄子さんと卓が来る。卓ちゃんはいよいよ結婚するのだ。耕はまだ風邪が治らない。

2005年5月1日 曇
一人で熊野神社へ行く。宏さん十二所に来たりて、ドアのノブを修理。お世話様。文芸社あと20ページ。

2006年5月1日 晴、暑し
今年初の真夏日なり。文化講義。「4つのP論」の続き。清水君より電話ありて、明日工芸大に来てくれという。

2007年5月1日 曇のち雨
工芸大2名のみ。写真学科の池田教授の知遇を得たのは良かったが、携帯を学校に置き忘れてしまった。

2008年5月1日 晴、暖
太刀洗にてクロアゲハ大量発生。写真撮る。オタマジャクシの個体数減りて大きくなりたり。夜、耕を怒ってしまう。

2009年5月1日 晴
久しぶりに栄プールへ行き、妻と泳ぐ。横浜山手学院高校で腸インフル発生あれどソ連型なりき。

2010年5月1日 晴
長かった4月がようやく終わって5月になった。妻と太刀洗へ行き、オタマジャクシを半分取って十二所へ持っていく。

2011年5月1日 曇り一時小雨
先日キャンディーズのスーちゃんが亡くなった。SONYのプレステで、7700万人のアドレスが流失したり。

2012年5月1日 曇
十二所に一族大集合す。

2013年5月1日 陰
妻と逗子の家具屋さんのセールを見に行く。長男に好個のイスやベッドがあった。

2014年5月1日 晴
朝夷奈峠のオタマジャクシは、小蛇とともに大きくなりつつあり。峠の麓側の泉にも別のオタマを発見す。

2015年5月1日 晴
次男と一緒に県立鎌倉美術館本館と別館を見物し、御成裏通りでラーメンを食して別れたり。悲しいことに本館は来年春に閉館するらしい。


 クレーマーアルツハイマーブルーマーオッペンハイマーインディアンサマー 蝶人

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外国映画あれやこれや連休10連発!

2015-05-05 11:03:48 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.805、806,807、808、809、810、811、812、813、814


○ウィリアム・A・ウェルマン監督の「つばさ」をみて

 1929年米パラマウント製作の珍しい飛行機野郎の無声映画なり。

 敵のドイツ機を乗っ取って欧州の米軍基地に帰還しようとしたところを、無二の親友が撃墜してしまう。

 第1次大戦中はまだ無線がなかったから、こういう悲劇がありえた。もっとも無線があったとしても疑心暗鬼で撃ち落とされてしまったかもしれないが。

○マーヴィン・ルロイ監督の「若草物語」をみて

 オルコット原作の「小婦人」の4回目の映画化作品で、長女メグをジャネット・リー、次女ジョーをジューン・アリスン、3女ベスをマーガレット・オブライエン、4女エイミーをエリザベス・テイラーが演じている。

 私が一等好きなのは3女ベスで、可憐な少女が老ローレンスにピアノを贈られて喜ぶシーンでは思わず涙がチョチョぎれました。

 監督は「東京上空30秒」のマーヴィン・ルロイで、この1944年製作の映画はリアルな緊迫感があって良かった。


○ウィリアム・A・フレーカー監督の「モンティ・ウォルシュ」をみて

私の好きなリー・マービン、ジャック・パランスに加えてなんとジャンヌ・モローが花を添える異色の西部劇ずら。時代は急速に変貌して行くのに牧場でしか生きがいを見いだせないラスト・カウボーイの末路に悲哀がにじむ。


○クレランス・ブラウン監督の「仔鹿物語」をみて

 食うや食わずの開墾地では可愛い小鹿を飼育することが一家の破滅に至るという教訓が長長と語られる1946年製作のアメリカ映画なり。

 グレゴリー・ペックってどんな映画に出ても「いいなあ」と思わせる最高の役者だが、妻役と子役のミスキャストが大いに足をひっぱっている。


○ニール・ジョーダン監督の「クライング・ゲーム」をみて

 いにしえのアイルランド紛争をめぐって敵を殺さなければならなくなったIRAの若者の愛と苦悩を描く。

 政治的な対立は銃の対決に進み、銃の対決は殺すか殺されるかの獣的対決に劣化し、かくて霊的存在は下劣な獣的存在へと急降下し爬虫類の酷薄さと悲哀に沈湎して終わる。

 だからこそやっぱり戦争はよさなければならない。というような思いに導いてくれる映画なり。


○アルフレッド・ヒッチコック監督の「レベッカ」をみて

 前妻のレベッカの面影に陰険な家政婦長によって次第に追い詰められてゆく若妻役を東京生まれのジョーン・フォンテインが愛らしく好演している。

 人里離れたマンダレイの大邸宅を包む不気味な空気感をヒッチらしく描いているが、後半レベッカの死の謎とき裁判が始まるあたりから物語の展開がダレてくるのは映画が長すぎるから。

 ラストで家政婦長が屋敷に火を放つ理由もよく分からない。


○フレッド・ジンネマン監督の「地上より永遠に」をみて

 日本軍の真珠湾攻撃を目前に控えたハワイの米軍基地の陸軍兵たちの愛と葛藤を描く名匠の名作なり。

 軍曹のバート・ランカスターが惚れる上官の妻デボラ・カー、頑固な上等兵モンゴメリー・クリフトとその恋人ドナ・リード、陽気なイタリア系の兵士フランク・シナトラを惨殺するアーネスト・ボーグナイン、みなその人物像がくっきりと描かれ、好演しているのはやはりジンネマンの手腕の賜物であろう。

 とりわけランカスターへの不倫に燃えるデボラ・カーの冷たく淋しい横顔が印象に残る。2人の波打ち際の抱擁が、映画史上不朽の名場面となったのもむべなるかな。


○ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」をみて

 売れない脚本家ウィリアム・ホールデンの窮地を助けたのみならず、愛してしまった無声映画の女王グロリア・スワンソンの間に起こる悲劇を、彼女によって射殺された脚本家の視点で描く独創的なアメリカ映画の大傑作ずら。

 銀幕への復活と恋に破れ失意のどん底のおちた女優が、彼女の最初の夫であり忠実な召使エーリッヒ・フォン・シュトロハイムのはからいで演じる「サロメ」は、グロリア・スワンソン一世一代の名演技であり、世界映画史有数の名場面であらう。


○フランク・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」をみて

 社会正義派の正義の味方ジェームズ・スチュアートが資本主義の権化の悪玉ライオネル・バリモアの罠にはまって死のうとしたときに、「翼のない」2級天使ヘンリー・トラヴァースが天から遣わされて救いの手を差し伸べるという設定がユニーク。

天使は、もしジェームズ・スチュアートがこの世に存在しなかったら、いかに酷い街になっていたかを映像で見せるのだが、この辺はかなりしつこいずら。

 絶体絶命の窮地に陥った我らが主人公は彼の友人たちのカンパによって救済されるが、8000ドルを盗んで善人を陥れた悪玉を神様は裁かれないのだろうか?


○フランク・キャプラ監督の「或る夜の出来事」をみて

 大金持ちの父親から結婚に反対された娘クローデット・コルベールが、家出している間に新聞記者のクラーク・ゲーブルに出会って恋に落ちるのだが、お互いの行き違いから離れ離れになり、娘はいやいや元の恋人と結婚しようとするが、父親の機転で会場から脱出し、晴れて一緒になるまでの話なり。

 家出の道中での2人の出会い、マイアミからNYへ向かうバスの中や、新婚夫婦を偽装して泊ったモーテルでのさまざまなエピソードは部分的には面白いが、映画全体としてそれほど面白くはないずら。

 コルベールの方から愛を告白しているのに応えないゲーブルというあまりにも映画的な設定は人間的にはノーであるなあ。


 なにゆえに昔の映画のほうが面白い新人は旧人の遺産を継承できない 蝶人
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日本映画あれやこれや連休7連発!

2015-05-04 09:42:52 | Weblog

闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.798、799、800、801、802、803、804



○森一生監督の「悪名波止場」をみて

 女どもに金を巻き上げられたりヤクザにつかまって簾巻きにされて殺されそうになったり終始冴えない勝新太郎。

 そして親分のピンチを助けようともせず女と遊び回っている田宮次郎。

 女房を虐待したあげくに殺してしまう水原弘&下手くそな歌を拡散するダサイ青山ミチ、どうにも後味の悪い映画なり。

 見どころは小型ソフィア・ローレンのようなお色気を発散する滝瑛子だけ。


○田中重雄監督の「夜の配当」をみて

 繊維会社のリーマン、田宮次郎が脱サラしてトラブル解決会社を設立し、知謀を駆使して大組織に刃向かう。

 梶山季之の現代的な原作、田宮次郎の活きのいい演技、老練な山茶花究、のちに田宮の妻となった藤由紀子の可憐さなど見どころの多い1963年の大映映画なりい。

 東レなどのテキスタイルメーカーがアパレルを主導し経済界の重鎮であった昔を思い出させる映画でもある。


○新藤兼人監督の「一枚のハガキ」をみて

一枚のハガキには「今日はお祭りですが、あなたがいらしゃらないので、何の風情もありません」と書かれている。戦争で2人の夫に死なれ、夫の両親にも死なれ、女一人田舎の陋屋に暮らしている女性(大竹しのぶ)の半生の物語である。

いろんな事件があって後、彼女は最初の夫の戦友(豊川悦司)と再々婚して再出発するのであるが、2人の男女が天秤棒に水を汲んで麦畑に水をやる姿こそ、新藤兼人の歴史的名作「裸の島」の最晩年における再現ではないか。

私は本作のラストシーンにおいて、不毛の荒地に水を注ぎ、創造の種子を蒔き、営々と耕し続ける100歳の翁の不撓不屈の戦いの姿に接して、大きな感銘を受けずにはいられなかった。


○溝口健二監督の「祇園囃子」をみて

浪花千恵子のお茶屋に身をよせる芸妓木暮実千代が、舞妓志願の若尾文子を引き受けたばかりに身も心もボロボロにされ、それでもけなげに生きていこうとする祇園の女地獄物語なりい。

うわべだけは絢爛豪華に見えても、その色と欲の華やかな高楼を支配しているのは、資本と権力であり、その非情冷徹な論理が、美しく弱い女たちを残酷に貫いていく。

そういう意味では、花柳の巷で呻吟する芸妓、舞妓たちも資本主義の苛烈な戦場に隷属する哀れな性的慰安婦なのだろう。


○加藤泰監督尾の「緋牡丹博徒 花札勝負」をみて

その1 小太刀が長ドスに敵う訳はない。

その2 一宿一飯の恩義ゆえに大河内伝次郎を死に追いやった高倉健が、どういうヤクザの業界論理でその親分と縁を切り緋牡丹博徒こと藤純子の味方をするのかがいっさい説明されていない。

その3 健さんと藤純子が雨や雪が降るからお互いに傘を貸しっこするうちに情を通じて徒党を組むようになったという演出?は昔なら小児左翼病?とでも言われた旧態依然たる星菫主義でおらっちまともに見てられないよ。

その4 むかし一度見たはずだが、こんな詰らない映画だとは思わなった。


○古川卓巳監督の「太陽の季節」をみて

 石原慎太郎原作の三文小説を映画化した三文映画で、なぜか裕次郎ではなく長門裕之が主演している。女を妊娠させ堕胎に追いやった若者が女の葬式に洗われて遺影に石を投げつけたら遺族は男を半殺しにするのではないだろうか。

 ゆいいつの見どころである男根障子破りのシーンがきちんと撮られていないのは残念だが、ヒロインの南田洋子が輝くばかりに美しい。


○矢口史靖監督の「ロボジー」をみて

 2012年製作の邦画で、御年76歳の五十嵐信次郎ことミッキー・カーティスがロボットの着ぐるみ、(だから「ロボ爺」)を演じて世界をあっと言わせる喜劇映画である。

 でだしが詰らないので見るのを止めようかと思ったが、だんだん面白くなって、最後は夢中で見てしまった。

 考えてみれば矢口史靖は「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」の監督だからくだらない作品をつくるはずのない人物であった。

 吉高由里子が愛らしく、五十嵐信次郎が枯れた味を出している。



   れぴとだんき独輪階じ上舌で聴わ人選鬱欒きらら 蝶人
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家族の肖像 その6~「これでも詩かよ」第140番

2015-05-03 08:49:52 | Weblog


ある晴れた日に第306回


「♪オオレエ、オレ、オレ、オレエ。お父さん、僕歌ったよ」
「何を歌ったの?」
「サッカーの唄だお」

「お母さん、歴史ってなに? 歴史ってなに?」
「それはね、昔何が起こったかっていうことよ。たとえばわが家の歴史はね」
「そうですよ、そうですよ。もう分かりました、分かりました」

「僕、おとぞうさん、好きですお!」
「そうなの」
「おとぞうさん、大好きですお。僕、おとぞうさん」
「こんにちは、おとぞうさん」
「こんにちは」

「みんないなくなっちゃったねえ」
「大丈夫、お父さんもお母さんもいるわよ」
「みんないなくなっちゃったねえ」

「大江光の『人気のワルツ』好きですお」
「どんな曲?」
「ラララア、ラララア、ラララア、ラララア」
「そうか、そういう曲なんだ」

「お父さん、夏は『夏美』の夏でしょう?」
「そうだよ。NHKの『どんど晴れ』の若女将だろ」
「『私は夏美です』」

「小林さんのおじさん、ダンボ知ってる?」
小林理髪店主「知ってるよ、大きな猫でしょ」
「違いますお。ダンボは象ですよ」
小林理髪店主「そうか、象かあ」

「ぼく、タカハシさんに『手とまってる』『ちゃんとやりなさい』っていわれちゃったよ」

「お母さん、しりとりしよ。ファミリーナ宮下」
「た、た……たぬき」
「----」

「お母さん、頑固者てなあに?」
「自分勝手でひとのいうことを聞かない人のことよ。耕君って頑固者?」
みなまで聞かず二階に去る子。



  をが句愛MOラテ★ジナびSHIごで安画ずづレナ#デグAジも短匹ら← 蝶人


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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第22回

2015-05-02 10:22:50 | Weblog


西暦2015年卯月蝶人狂言畸語輯&バガテル-そんな私のここだけの話op.198


所ジョージって、なかなかいいね。

「農協キャラメル」ほど美味しいキャラメルを私は知らない。4/3

またしてもヤマトは沖縄を「粛々と」絞め殺そうとしている。この抑圧、この暴威、この屈辱を断ち切る唯一無二の道、それはヤマトからの独立と輝かしい琉球共和国の樹立だ。4/6

3つの調子、4分の3拍子、4分の2拍子、8分の3拍子と違ったリズムの音楽にそれぞれの言葉が乗ってやりとりするような複雑な音楽が展開されるフィナーレは、この「ドン・ジョバンニ」以外ないのではないでしょうか。吉田秀和

ブルーノ・ワルターは、音が上がるときと下がるときで光と影をつけている。反抗してみたり諦めてみたり、そこから一種のなぐさめが出てくるような、要するに悲しみの中にもまったく絶望するにあたらないという一脈の光が差してくる。吉田秀和「ワルターの交響曲40番」

K568の12のメヌエットは、1788年12月24日にウイーンで作曲されました。暖房もなくて震えあがるようなクリスマス・イヴの寒い夜に、たった一人で貴族たちが踊る余興のための音楽を書いていたのかなあと想像すると、言い知れない感慨がわいてきます。吉田秀和

「仕事は一生懸命続けています。けれども僕はもう頭も混乱し、気力もつきてしまい、例の見知らない(「レクイエム」を注文し催促する)男の姿が目の前から追い払えないのです。ただ時折もう自分の終りの鐘が鳴っているのかなとふと気付かされるような感じがする時があります」モーツアルト、ウイーン1791年9月7日。吉田秀和訳

「僕は本当はもう息も絶え絶えなんです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまう。ですが生きるということは実に楽しかった。僕の若い時は本当に華々しい前途を約束するような出発だったんですよ。でも自分の運命を勝手に変えることはできません」モーツアルト、ウイーン1791年9月7日。吉田秀和訳

「諦めなければなりません。何事も神様の望む通りに行われるでしょう。これで筆を置きます。これ(レクイエム)は僕の白鳥の歌です。僕はどうしてもこれを完成しないわけにはいかないのです。モーツアルト」モーツアルト、ウイーン1791年9月7日。吉田秀和訳

「そうです。私の母はユダヤ人でした。父はドイツ人です。母は戦争を避け、私を連れてイギリスに渡りました。そして父はドイツに残り出征しました。その時は誰もそんな長い間離れ離れになるとは思っていなかったのです」エリック・スミス

「両親はその後、それぞれ再婚しました。戦争が彼らを引き裂いたのです。父と再会した時、とても驚いたことがあります。それは私たちの一番好きな曲が、モーツアルトのクラリネット五重奏曲だったことです」エリック・スミス1990年12月3日のインタビュー

アメリカとか安倍蚤糞の大義、すなわち見勝手な都合で理不尽な人殺し戦争に巻き込まれて人殺しをしたり殺されたりするくらいなら、世界中から孤立無援になって孤独死するほうがよっぽどましだ。

昨夜たまたまBS日テレを見ていたら、小林よしのりと西尾幹二という2人の右翼が「北朝鮮となら戦争してもよい」とホザイていた。なんと愚かな人間だろう。こいつら完全に気違いだ。もういちど生まれ直してこい。4/9

私が納税者だが、国立大学であの国旗を掲げあの国歌を歌う必要はない。22世紀にっぽんにふさわしいデザインの国旗をコンペで選び直し、「君が代」の代わりに「青い山脈」を歌うなら構わないが。4/10

不出来なやつほど、かわゆい。4/10

戦後70年目にして「あやまち」が繰り返されようとしている。4/11

「NHK短歌」つまんないの。司会者も妙な人選だし、そもそも3人が座る場所からして狂ってる。4/12

土曜日に畏れ多くも安倍天皇様の北陸視察を朝昼晩のニュースで逐一放送していたNHKは、金正恩第一書記の地方巡業を伝える朝鮮中央テレビのようだった。「皆さまのNHK」は、いまや偉大なる安倍将軍様の広報放送と化した。4/13

天気予報はときどき嘘をつくが、それに対して誰ひとり謝ることがないのは不思議だ。4/15

やかましく鳴き叫ぶガビチョウよ、中国へ帰れ。鶯の美しいさえずりの邪魔をするな。4/16

大切なのは為すことの結果ではなくて、為さんとする心にある。山本周五郎4/16

海は不定形と無秩序の状態であり、神々と人間が力をつくして守らなければ、文明はいつでもそこへ逆行する。W.Hオーデン(辻征夫訳)

私どもの仕事では、少年時代の夢がすべてなのである。辻征夫

どこかの政党に呼び出されたからといって、テレビ局がのこのこ出頭する必要はない。なぜ断らなかったのか不可解。4/21

誰も頼まないのに、自公の2人の男が密室で勝手に安保法制の陰謀をめぐらす。長屋のご隠居と熊さん、八さんも混ぜてやんなよ。4/22

わたしはいわゆるひとつのヘイトジャパン・ジャパニーズだな。

マリス・ヤンソンスの「フェアウエル・コンサート」を視聴する。過去11年間アムステルダム・コンセルト・ヘボウ管弦楽団のシェフを務めたこの指揮者に対する聴衆の深い愛情と感謝の心が伝わってきて感動的だった。4/24

カトリーヌ・ドヌーヴより「柔らかい肌」のフランソワーズ・ドルレアックが好きだ。
いたずらに修辞に道草をくうて歌意を失うは現代和歌の躓きの石にあらずや。4/25

ランランのピアノはハイテク自動演奏機械を延々と聴かされているようで疲れる。中国産のガビチョウに似て言葉多くして心少なし。4/25

アカタテハは、いつも同じところに舞い戻る。右翼が、いつでも他国と戦争ができる昔の日本に戻りたがるように。4/29

「やれ同盟、ほれ同盟ホーヤレホ!」と有頂天になって踊り狂っているあいだに、とうとう脳天気なわらしべ童子は、巨大なエイリアンの真黒な内臓の奥の院に閉じ込められてしまったのでした。4/30


   私の頭はキャベツなの散歩してるとモンシロチョウがやってくる 蝶人

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なにゆえに第14回~西暦2015年卯月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2015-05-01 10:21:28 | Weblog


ある晴れた日に第305回


なにゆえにうちの奥さんオホホノホ朝から晩まで可笑しいからさ
 
なにゆえにうちの父さんグウグウグウとにかく人世疲れるからさ

なにゆえに1枚80円になってしまうのこれまでゴミ捨ては無料だったのに

なにゆえに雑巾の絵なんか描くのだろうそこにあるのは雑巾的美学?雑巾的真実?

なにゆえに天下国家をらあらあ騒ぐ蟻さんを踏まないように気をつけろ

なにゆえにMGMのライオンはらあらあ吠えるこの世のすべてが馬鹿馬鹿しいから

なにゆえに人生マンは頑張っているアンパンマンがいなくなったから

なにゆえに五月の文楽に行けなくなったネット購入に失敗したから

なにゆえに飛行機は時々墜落する鳥でもないのに空を飛ぶのは無理があるから

なにゆえに北朝鮮と戦争したがる小林よしのり西尾幹二の2人組で行け

なにゆえに国旗国歌を強要する新世紀の最新ヴァージョンをつくりませう

なにゆえに古典を読まずに新刊を読む世に新しきものなしと知るのが怖い 

なにゆえにわたしはなにゆえごっこをやめられないなにゆえにはたなにゆえに

なにゆえにNHKは安倍将軍様ばかり追いかける朝鮮中央テレビではあるまいに

なにゆえに多幸感がやってこないの私はそれほどタコではないので

なにゆえに人はこの世にあらわれた海から生まれ土に死ぬため

なにゆえに鶯のさえずりの邪魔をする画眉鳥よとく中国へ帰れ

なにゆえにそれでも煙草を喫み続ける家族と他人を毒殺するため

なにゆえにグールドはバッハを弾きながらぶつぶつ呟く春の小川がそよそよ行くから

なにゆえに厠半ばでいそいそ飛び出す平成花見会を断る時鳥おらず

なにゆえに脳障害を遺伝子異常に還元する自閉症専門家の脳を疑う

なにゆえに言葉や歌をブツブツ吐き出す受け取るだけではパンクするゆえ

なにゆえに仕事を二つも断った労多くして賃金少なし

なにゆえに三笠宮一族は靖国に詣づ天皇皇后は参拝せぬに

なにゆえに一度読んだ本を忘れ去るもういちどじっくり読みなおすため

なにゆえにこの国が嫌いになっていくのか七十年日本人やってきたけど

なにゆえに毎日なにゆえを連発するのなにゆえナイフで世を切り裂きたいから

なにゆえに水辺に蟹が見つからぬ三十年前朝比奈峠には蟹がわんさと這っていたのに

なにゆえにいともたやすく人を殺める人に半殺しにされたことがないから

なにゆえに米帝の前に跪く自立自尊の誇り投げ捨て

なにゆえにお気に入りの番組からお気に入りのアナウンサーが消えてゆく視聴者のおいらに断りもなく

なにゆえにアインシュタインが自閉症そんなら人類すべてが自閉症だ


 なにゆえに十本の指が怪しく蠢くゲルギエフは魔法使いの指揮者だから 蝶人
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