あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

忘年会~これでも詩かよ第166番

2016-01-13 14:05:55 | Weblog

ある晴れた日に 第357回


詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
さとう三千魚さんの「浜風文庫」の忘年会だ。

詩人、詩人、詩人
夜の神田の「葡萄舎」で
詩人だけの忘年会さ。

ちょっと早く来すぎたので、駅から歩いて鎌倉橋へ。
1944年11月、この橋を米軍機が爆撃したんだ。
よって33個の弾痕が残ってる。

さてお立ち会い、今からザッと半世紀近く前
私は鎌倉河岸のほとりに建つ、小さな会社に通ってた。
五階建ての、小さな、小さなビルだった。

今宵、その跡地を訪ねてみると、
巨大なビルが建っていた。星なき夜空に、聳えてた。
コープビルという立派な、立派なビルジング。

「もしや昔ここにあったRという会社をご存知ですか?」と尋ねると、
守衛さんが「はい、名前だけは聞いたことがあります」と答えたので
ああ、これだけでも神田へ来た甲斐があった、と私は思った。

詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
10人集まる忘年会さ。

さて「葡萄舎」を目指したが、
何回地図を眺めても、さっぱり場所が分からない。
煙草屋のおやじに尋ねたら、「葡萄舎」なんてわしゃ知らん。

知らん、知らん、知らん
「葡萄舎」なんて、わしゃ知らん。
忘年会なんて、わしゃ知らん。

さんざめく交差点の信号の下で、
キョロキョロ辺りを見回していたら
「おにいさん、どこいくの、あそばない、ね、あそびましょ」と誘われちゃった。

「あそびたいのは山々だけど、これから忘年会であそぶんだ」と答えたら
「そんなのやめて、あたいと遊びましょ。3千円、3千円、3千円」
って、言われちゃった。ちゃった。ちゃった。

うんにゃ、いま冷静になって思い返してみるに、
「3千元、3千元、3千元」と言ってたかも。
3千元は高いかも。ちよっと、ちょっと、高すぎるかも。

「おらっちは、これからどうでも詩人の忘年会へ行くのだ」と宣言したら、
ちょっと綺麗な上海帰りのルリちゃんは、
あっと言う間に、伊集院光似のリーマンの方へ飛んで行っちゃった。

ちゃった。ちゃった。ちゃった。
「葡萄舎」なんて、知らないわ。
詩人なんて、知らないわ。

ちゃった、ちゃった、ちゃったって、
我が敬愛する詩人、鈴木志郎康さんの極私的パクリなんだけど
ネエちゃん、分かってくれるよね。

詩人、詩人、詩人
詩人だって忘年会をひらく。
さとう三千魚さんの「浜風文庫」の忘年会だ。

詩人、詩人、詩人
夜の神田の「葡萄舎」で
これから詩人の忘年会さ。


 レッツダンス!などと煽ってはいたが踊りは得意じゃなかったなボウイ 蝶人

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マーク・ローレンス監督の「ラブソングができるまで」をみて

2016-01-12 13:45:21 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.967


 80年代に一世風靡した地方ドサ回りのロートル・ミジュシャンが才能ある若い作詞家に助けられてラストチャンスをものにして一発逆転ヒットチャートにカムバックし新しい恋をゲットするというウエルメイド・コメディなりい。

 主役のヒュー・グラントはこの映画の撮影中にパニック障害(一日も早い回復を祈る!)になったそうだが、歌って踊って大活躍。ヒロインのドリュー・バリモア選手も可愛い。

 ブリトニー以上の超人気スターに扮したヘイリー・ベネットの仏教かぶれの歌とセクシーなダンスがご愛嬌なりい。原題は「音楽と歌詞」で「初めに音楽、次に言葉」を踏まえているようだ。


 短歌雑誌で有名選者の詠草立ち読みしたがこれはすごいと思える歌なし 蝶人
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メモリーズ盤のシャルル・ミュンシュ指揮ボストン響ライブを聴いて

2016-01-11 11:23:00 | Weblog


音楽千夜一夜 第355回



 駄演凡演も多いのですが、あたしゃあ昔から熱血漢ミンシュの乾坤一擲の炸裂棒が大好きで、特に相性が良かった故国のフランス国立管弦楽団とのベルリオーズやドビュッシーなどのフランス音楽を好んで聴いてきました。

 この2枚組CDは彼が常任を務めたボストン交響楽団を指揮した一夜のコンサートをそのままライヴ収録したもので、前者は1952年12月26日、後者は1958年2月8日のボストンにおけるモノラル録音です。

 モーツアルトの交響曲31番と41番、そしてブルックナーの7番というのはちょっと異色のレパートリーというても構わないでしょうが、これが期待を大きく裏切る大熱演で、ともかく涙がチョチョ切れます。

 41番はもうクラシックファンにとっては耳タコの定番でしょうが、ここで聴けるジュピターはどちらかと云うとベートーヴェンのシュトルムウントドランク旋風ふうにえいやあと駈け抜ける力演で、こういう演奏を聴いたらきっとモーツアルトも泣いて喜んだことでしょう。

 もはやモザールの最後の交響曲とかユピテルとかいうレッテルを最初から全部吹き飛ばしてしまったようなゴーイングマイウエイの快演です。

 剛力だけではありません。31番のパリの第2楽章を聴いて涙しないひとは、かの人でなしの心安倍蚤糞以外は一人もいないでしょう。

 ミンシュとかバーンスタイーンとかいう指揮者は完璧に自己中の音楽表現者で、後生大事に♪に忠実にやることなどはあまり重要視していませんから、この2人の(そしてカラヤンの)弟子である小澤などは彼らのそういう由緒正しい「武者振り」を学べば良かったのですが、小心者ゆえにその武者修行が中途半端に終わってしまい、中年以降現在にまで及ぶ長い長い藝術的停滞があると、私なんかは考えています。

 要するにあまりにも斉藤先生の優等生すぎて、ついにミンシュとかバーンスタイーンのように命懸けで己の殻をぶち破る「掟破りの豪胆さ」が欠如していたんですね。勿体ないずら。

 あれま、途中で話がずれてしまいましたが、後半のブルックナーは、私の好きな朝比奈やヴァントやチエリビダッケのいずれでもない独自の境地を天馬空を行く孤高の7番であります。


 バーキンのジーンズ姿見て入店を拒否した有楽町の仏蘭西料理屋 蝶人
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佐々木芽生監督の「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」をみて

2016-01-10 10:28:09 | Weblog




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.966



NYの御金持じゃない御爺さん(元郵便局員)と御婆さん(元図書館司書)が営々と築きあげた前衛アートコレクションを、彼らの半生の歩みと共に紹介するとても珍しい映画です。

狭いアパートの中はミニマルアートの銘品でいっぱい。やっぱり好きだからどうしても欲しくなるし、アーティストもある程度値段を無視しても買ってもらいたくなるんだろうなあ。

薄給のすべてをつぎ込んだ4000点のコレクションをワシントンのナショナリギャラリーに寄付した2人。こういう人とコレクションこそ世界遺産に値する。偶にはうちの息子の作品も買ってやってくださいな。


耕君から「お父さん怒ったり注意したりしないでね」と云われてしまった大晦日 蝶人
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トニー・ギルロイ監督の「フィクサー」をみて

2016-01-09 11:25:44 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.965


NYの弁護士事務所のもみ消し屋、ジョージ・クルーニーが良心の痛みに耐えかねて事務所や悪徳企業を裏切り最後に悪人ばらに一矢を報いる話だが、なんというてもジョージ・クルーニーが絵になるずら。

陰鬱な物語の進行と画面全体に漂う悲愴な暗さは明らかに今は亡き本邦特産の富士フィルムのテーストの賜物。

あほばか能天気コダックの対極にあって長年世界の映画創作界に貢献した深刻沈痛富士ブランドは、いうたらなんやけど、スタインウエイに対峙するベーゼンドルファーに等しい貴重な存在理由をみずからの手で放棄して、聖子とみゆきの化粧品の世界へと逸脱してしまった。


  津津浦浦自公のポスター貼られたり総閉塞のこの国の冬 蝶人
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マーク・フォスター監督の「007慰めの報酬」をみて

2016-01-08 12:08:30 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.964



 恋人を殺されたジェームズ・ボンドが報復に走ろうとして英国紳士とはとても思えない乱暴な活劇を繰り返す異色の2008年度作品ずら。

 主役のダニエル・クレイグはかつてのボンド役とは似ても似つかない風貌で、英国人だがどこかプーチン大統領に似ていて個人的には好きくないずら。なんでジョージ・クルーニーなんかを起用しないんだろうね。

 イタリアのシエーナでのカーチエースから始まりナッソー、アフリカ、また欧州と世界各地を目まぐるしく移動して観客の目を楽しませてくれるが、「トスカ」が上演されている
オーストリアのブレゲンツ音楽祭で悪者たちが連絡を取り合うというめちゃくちゃな設定には驚いた。

 しかし心中の孤独と苦しみに耐えつつ群がる敵をどんどん殺し、上司のMを演じるジュディ・デンチをはらはらさせるボンドもまあ悪くはなかったずら。


 目の色を変えてラアラア叫んでる水爆水爆それがどうした 蝶人

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メリル・ストリープの3本をみる

2016-01-07 15:09:31 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.960、961、963


○ノーラ・エフロン監督の「ジュリー&ージュリア」をみて

 米国人のための仏蘭西料理本を書いたジュリアと、そのレシピを一年で自習して顛末をブログに書いたジュリーの物語を交互に描く自伝的映画ずら。

 ジュリアを演じるメリル・ストリープの演技が大いに笑える。この二人は手紙を交換しただけで結局会うこともなかったようだが、ジュリアは、彼女が苦労して創造したレシピを利用しておのれを売り込もうとする現代人のジュリーのやり口を快く思ったはずがない。


○フィリダ・ロイド監督の「マンマ・ミーア」をみて

風光明媚なギリシアの孤島で繰り広げられる結婚コメディで熟女3人が絶叫するABBAの「ダンシングクイーン」が凄まじい。

 ミュージカル映画は嫌いだが、この映画はそれほどでもなかったのはメリル・ストリープが自ら唄っているからかしら。


○フィリダ・ロイド監督の「マーガレット・サッチャー」をみて

 新自由主義の権化の生涯をメリル・ストリープが巧みに演じる。

 男からの差別に耐え、駄目男どもを見返し、頂上に立ったはずの鉄の女が、その男どもを莫迦にした瞬間に権力から滑り落ちたという風に脚本は描いているが、さてその実態はどうだったんだろう。

 それにしてもあれほど不人気だったサッチャーが、フォークランド戦争に勝利するや英国民の圧倒的支持を獲得する姿をみていると、思わず肌に粟が生じるのを覚えるずら。


  正月の眠りを醒ます核実験たった一発で夜も眠れず 蝶人
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現代語訳「吾妻鏡 将軍追放」を読んで

2016-01-06 12:52:06 | Weblog


照る日曇る日第836回


 吉川弘文館から延々と刊行され続けてきた「吾妻鏡」の現代語訳であるが、これが最終巻かと思うといささかの感慨なしとしない。

 結局は源家から権力を簒奪し、ライバルたちを皆殺しにしてその頂上にのし上がった北条一族の統治に都合のよい部分を切り張りした、いわばでっち上げの偽歴史書ではあるのだが、それでも彼らの狡猾な浅知恵をくぐって散見される真史の隠されたスケルトンを脳内で推理してみるのは面白くないこともなかった。

 北条の陰険さはこの16巻においてもいやらしく発揮されていて、文永3年(1266年)7月、彼らに盾突き始めた将軍宗尊を、実際は鎌倉から京に追放したにもかかわらず、そのような武ばった記述はどこを探しても見当たらず、あたかも彼が毎年恒例の二所詣を行ったかのように淡々と叙述している。

 多くの御家人を冷酷に殺戮したのみならず同族のライバルを周到に始末した北条時頼の恐るべきマキャベリズムを一切描くことなく、さながら聖人君子のように理想化する手口も堂に入っていて、読めば読むほど嫌になる。

 その時頼が没し時宗が後を継いだところで「吾妻鏡」が擱筆されているのは、その後の2度にわたる元寇とそれに伴う混乱が、悠長な歴史書編纂の余裕を永久に奪ってしまったからではないかと愚考するのだが、さていかがなものだろうか。

 されど些事ながら、弘長3年(1263年)9月大10日の項にある「損傷した金、切銭の使用禁止通達」や文永2年(1265年)3月5日の「大町、小町、魚町、穀町、武蔵大路下、筋替橋、大倉辻の7か所に限って商店の営業を許可する(現在の鎌倉市内のそれとほぼ共通する)通達」はじつに興味深いものがある。

 恐らく「吾妻鏡」の本当の価値は偽りに満ち満ちた政治的記述などにはなく、鎌倉時代の経済的社会的データバンクとして貴重な意義を持ち続けていくのであろう。


  ほんたうの愛を求めてプルーストジェンダーの魔境を軽々と超ゆ 蝶人
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吉川一義訳プルースト「失われた時を求めて9ソドムとゴモラⅡ」を読んで

2016-01-05 11:32:34 | Weblog


照る日曇る日第835回


 自分自身が同性愛者であったプルーストが描き出すシャルリュス男爵の外面マッチョで、その癖女々しい所作や性癖のあれやこれやは、まことにリアルなもので、喜劇に似て悲劇的な“おかま”の実存と本質を、それこそ自虐的に浮き彫りにしてあますところがない。

 シャルリュス男爵とは主人公の「私」であり、とりもなおさずプルーストその人でもあったし、私たちの内部に潜んで蠢く異性でもあった。

 本巻の最後で、その「私」は、いったんは別れようと決意した恋人アルベルチーヌがレズビアンであったと知って驚愕し、なんとか彼女が強力な恋敵に走るのを必死に引き留めようとするのだが、そこでヒステリックに逆上している「私」とは、もはや男であることを放棄した女プルーストなのである。

 げに「失われた時を求めて」こそは、同性愛を、異性愛と並んで、いなそれ以上の人間的な性愛と位置付け、その快楽と苦脳の栄光と悲惨を十字架に架けて称揚した、世界で最初ともいうべき小説なのであった。


        ひとつ家に四人が眠るお正月 蝶人
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ジョン・スタージェス監督の「荒野の七人」をみて

2016-01-04 17:41:10 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.959


黒澤の「七人の侍」のハリウッド版リメイクであるが、農民に雇われた助っ人対野盗の決闘という大枠は変わらないが、七人のキャラクターや脚本の随所で異同がある。

とりわけ本作では油断した七人が全員野盗の捕虜になり武装解除されて追放される点が大きく異なる。それまでに大勢の味方を殺されている野盗の首領がどうして彼らを皆殺しにしないのか不思議であるが、結局その恩情が仇になり、ガンマンの意地と捨て身の逆襲で悪者たちは全滅してしまうのであったあ。

めでたし、めでたし。でもないか、生き残ったのは三人だけだから。

黒澤の大迫力とリアリズムには到底及ぶべくもないが、ユルブリンナーの五郎丸のような凛々しさも好ましく、まずは無難に鑑賞できる西部劇である。


「ジェジェジェジェ」の賞味期限が尽きたので「びっくりぽん」に乗り換えてます 蝶人
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