今日21日、東村山市の情報センターで
市民ごみ講座「ドイツから学ぶ ゴミの出ないくらしと環境教育」が行われました。
講師は、自由の森学園の教諭・塩瀬治氏でした。
塩瀬氏は、分別すれば資源 というスローガンについて、ごみの減量を促す事にはならない、増やす。なぜなら、大量消費を認めることだから・・・と話されました。
また、日本とドイツのごみの対応の違いは、
日本が消費者にその責任を求めるのに対し、
ドイツは生産者にその責任を明確にし、生産物は、廃棄するときにそのすべてをリサイクルするシステムを価格に乗せて責任を果たさせることにある
と説明されました。
例えば、良く目にする冷蔵庫や廃車の車の不法投棄、
これを日本では、登記された地主や自治体がその責任を問われるが、
ドイツではその引き取り義務はメーカーにあり、不法投棄のマイナスイメージをこうむらないために、企業はリサイクルのシステムを作り、イメージアップにつなげていると・・・
また、ペットボトルも日本のように使い捨てではなく、何度も使えるように丈夫で、しかも大きさも統一規格で使い回しが出来るようになっていること、
さらに、アルミ缶などもデポジットを義務付け、結果として消費者も販売者も、リターナブルのびんを使った方が効率が良いというシステムを構築したため、びんの使用率が高まること
食品なども量り売りで、トレーなどには載っていないこと
などなど、消費者がごみを買わなくても済むシステムがあることなど示唆に富んだお話でした。
さらにこうした取り組みの根底には環境教育のシステムも開発が進んでいることも豊富な事例で話されました。
下の写真は、ドイツの妖精だそうです。
この妖精は、子どもたちの環境教育の教材だというのですが、このほかにも神経衰弱のように自然と科学を結ぶカルタのようなもの、10年ごとの同じ風景を切り取った絵本など、たくさんの教材や環境教育のシステムが国やNGOや学校、企業で作られていること、
ドイツの子どもたちは、自然の中の生き物の成育環境を学び、その生き物たちが生きられる社会を作ることの大切さを学び、ごみの問題も人間も含めた生物の生きられる環境づくりという観点で学んでいると、その取り組みの多彩さを話されました。
また、会の冒頭、先生は、日本はペットボトルの回収率は世界に比して高い率を誇っているが、リサイクルということについては、後れを取っている。
日本は、回収した多くを熱回収(サーマルリサイクル)にし、再生利用などの率が極めて低いと指摘した。
そして、回収したのちの最終処分までの監視が不十分であるとも。
つまり、東村山市が計画しているリサイクルセンターの建設は、
分ければ分別の名で、ペットボトルやプラスチックごみを買わざるを得ない現状はそのままに、税金でのごみ処理を一層進めるシステム作りであり、ごみを減らすシステム作りではないということである。
市民(消費者と販売業者と生産業者)と共に、どうやったらごみを出さない暮らしが出来るか、毎日の生活の中から考え、それを実行できるシステムを作り上げることが優先されるべきではないだろうか。
いつ起こるか分からない訴訟を理由に、25億円もの箱を建設するのではなく、こうした市民的な取り組みと、その効果を少しずつでも確実にあげれば、近隣住民と秋津の皆さんの御理解を得ることが出来るのではないだろうか。
今日の講座に参加して、この意を更に強くした次第である。
講座を開いてくださった皆さんと、講師に感謝したい。
市民ごみ講座「ドイツから学ぶ ゴミの出ないくらしと環境教育」が行われました。
講師は、自由の森学園の教諭・塩瀬治氏でした。
塩瀬氏は、分別すれば資源 というスローガンについて、ごみの減量を促す事にはならない、増やす。なぜなら、大量消費を認めることだから・・・と話されました。
また、日本とドイツのごみの対応の違いは、
日本が消費者にその責任を求めるのに対し、
ドイツは生産者にその責任を明確にし、生産物は、廃棄するときにそのすべてをリサイクルするシステムを価格に乗せて責任を果たさせることにある
と説明されました。
例えば、良く目にする冷蔵庫や廃車の車の不法投棄、
これを日本では、登記された地主や自治体がその責任を問われるが、
ドイツではその引き取り義務はメーカーにあり、不法投棄のマイナスイメージをこうむらないために、企業はリサイクルのシステムを作り、イメージアップにつなげていると・・・
また、ペットボトルも日本のように使い捨てではなく、何度も使えるように丈夫で、しかも大きさも統一規格で使い回しが出来るようになっていること、
さらに、アルミ缶などもデポジットを義務付け、結果として消費者も販売者も、リターナブルのびんを使った方が効率が良いというシステムを構築したため、びんの使用率が高まること
食品なども量り売りで、トレーなどには載っていないこと
などなど、消費者がごみを買わなくても済むシステムがあることなど示唆に富んだお話でした。
さらにこうした取り組みの根底には環境教育のシステムも開発が進んでいることも豊富な事例で話されました。
下の写真は、ドイツの妖精だそうです。
この妖精は、子どもたちの環境教育の教材だというのですが、このほかにも神経衰弱のように自然と科学を結ぶカルタのようなもの、10年ごとの同じ風景を切り取った絵本など、たくさんの教材や環境教育のシステムが国やNGOや学校、企業で作られていること、
ドイツの子どもたちは、自然の中の生き物の成育環境を学び、その生き物たちが生きられる社会を作ることの大切さを学び、ごみの問題も人間も含めた生物の生きられる環境づくりという観点で学んでいると、その取り組みの多彩さを話されました。
また、会の冒頭、先生は、日本はペットボトルの回収率は世界に比して高い率を誇っているが、リサイクルということについては、後れを取っている。
日本は、回収した多くを熱回収(サーマルリサイクル)にし、再生利用などの率が極めて低いと指摘した。
そして、回収したのちの最終処分までの監視が不十分であるとも。
つまり、東村山市が計画しているリサイクルセンターの建設は、
分ければ分別の名で、ペットボトルやプラスチックごみを買わざるを得ない現状はそのままに、税金でのごみ処理を一層進めるシステム作りであり、ごみを減らすシステム作りではないということである。
市民(消費者と販売業者と生産業者)と共に、どうやったらごみを出さない暮らしが出来るか、毎日の生活の中から考え、それを実行できるシステムを作り上げることが優先されるべきではないだろうか。
いつ起こるか分からない訴訟を理由に、25億円もの箱を建設するのではなく、こうした市民的な取り組みと、その効果を少しずつでも確実にあげれば、近隣住民と秋津の皆さんの御理解を得ることが出来るのではないだろうか。
今日の講座に参加して、この意を更に強くした次第である。
講座を開いてくださった皆さんと、講師に感謝したい。