今年は、メンデルスゾーンの生誕200年になります。
聴けば幸福感を感じさせるといいます。
今年は、生没の記念の年となる大作曲家たちがめじろ押しだ。本欄で既にハイドン没後200年を紹介したが、ほかにもヘンデル没後250年、ムソルグスキー生誕170年などが続く。今回は生誕200年目にあたるメンデルスゾーンをとり上げてみたい。
日本では「結婚行進曲」や「ヴァイオリン協奏曲」が有名なフェリックス・メンデルスゾーンは、現在のドイツのハンブルクで裕福な銀行家の家庭に生まれた。多くの作曲家が経済的な困難とたたかいながら苦しい創作の道を歩んだのにべ、彼は少なくとも経済的な面では生涯何の心配もなく過ごせたきわめて数少ない作曲家の一人だ。
ロマン主義
メンデルスゾーンが活躍した19世紀前半は、ロマン主義とよばれる芸術上の大きな運動が文芸や絵画、音楽など各分野で高まった時代だ。ロマン主義は、愛、情熱、理想など個人の感情的な内容を作品に色濃く反映させた点に特徴がある。音楽では、形式を重んじる古典派から一転して、自由な形式や内容が登場するのがこのころで、ロマン派音楽の時代とよばれる。
このような運動が高まった背景には、「幸福の追求」という人間にとって基本的な要求の高揚があることに気づく。それは、ある面ではフランス革命を先駆けとした封建支配を打ち倒す社会変革の動きとして表れ、別の面では芸術上のロマン主義として表れた。制約からの人間の感情の解放、個性の尊重などを真っ正面にかかげて大きく花開いた人間解放の画期的な時期だったといえる。
私たちがロマン派の音楽作品に親しみを感じるのは、そのような背景を曲の中から感じとれるからだろう。中でもメンデルスゾーンの作品は、ロマン主義のもつ「幸福」感を最も豊かに聴き手の心に響かせるものだ。
指揮を確立
メンデルスゾーンが音楽史に残した功績は、作曲家とともに指揮者としても大きな役割を果たしたことで、現在のような指揮者の姿が確立するのは彼の力によるものだ。
それまでは、演奏会といえば自作を披露する場で、指揮とはあくまで自作を指揮することを意味していた。しかしメンデルスゾーンは、積極的に他人の作品での演奏会を開き、自ら指揮者として多くの作品を紹介した。
とりわけバッハの作品を重視し、当時まったく忘れられていた「マタイ受難曲」の復活演奏を行ったことは有名だ。一方で、メンデルスゾーンを考えるときに忘れられないのは、ヨーロッパ社会におけるユダヤ人問題だ。とくにナチス時代のユダヤ人抹殺のいまわしい歴史は忘れてはならない。ユダヤ人家系のメンデルスゾーンもナチス時代はすべての作品の演奏が禁じられ、名前すら当時の出版物からすべて消し去られた。ナチス崩壊後は名誉も回復され、大戦終結後すぐに行われたベルリンフィルの戦後第-回の演奏会は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲の演奏で幕が開けられた。
メンデルスゾーンの作品は、当時の作曲家の中でもロマン主義のもつ理想主義的な姿が色濃く表現されているために、深刻にならない明るさが持ち味だ。定番曲はもちろんだが、普段はあまり聴く機会がないような作品からも、彼のそのような面を聴きとってみたいと思う。
16歳のときの作品「弦楽八重奏曲」(スメタナ四重奏団が名演)やピアノ曲「幻想曲嬰へ短調」(メジューエワのピアノがすがすがしい)など、若いころの作品に耳を傾けると、当時のはつらつとした息遣いが感じられて気持ちがいい。
(ひやま・こうすけ 音楽史研究家)
【しんぶん赤旗日曜版 2009年4月26日より転載】
聴けば幸福感を感じさせるといいます。
今年は、生没の記念の年となる大作曲家たちがめじろ押しだ。本欄で既にハイドン没後200年を紹介したが、ほかにもヘンデル没後250年、ムソルグスキー生誕170年などが続く。今回は生誕200年目にあたるメンデルスゾーンをとり上げてみたい。
日本では「結婚行進曲」や「ヴァイオリン協奏曲」が有名なフェリックス・メンデルスゾーンは、現在のドイツのハンブルクで裕福な銀行家の家庭に生まれた。多くの作曲家が経済的な困難とたたかいながら苦しい創作の道を歩んだのにべ、彼は少なくとも経済的な面では生涯何の心配もなく過ごせたきわめて数少ない作曲家の一人だ。
ロマン主義
メンデルスゾーンが活躍した19世紀前半は、ロマン主義とよばれる芸術上の大きな運動が文芸や絵画、音楽など各分野で高まった時代だ。ロマン主義は、愛、情熱、理想など個人の感情的な内容を作品に色濃く反映させた点に特徴がある。音楽では、形式を重んじる古典派から一転して、自由な形式や内容が登場するのがこのころで、ロマン派音楽の時代とよばれる。
このような運動が高まった背景には、「幸福の追求」という人間にとって基本的な要求の高揚があることに気づく。それは、ある面ではフランス革命を先駆けとした封建支配を打ち倒す社会変革の動きとして表れ、別の面では芸術上のロマン主義として表れた。制約からの人間の感情の解放、個性の尊重などを真っ正面にかかげて大きく花開いた人間解放の画期的な時期だったといえる。
私たちがロマン派の音楽作品に親しみを感じるのは、そのような背景を曲の中から感じとれるからだろう。中でもメンデルスゾーンの作品は、ロマン主義のもつ「幸福」感を最も豊かに聴き手の心に響かせるものだ。
メンデルスゾーンが音楽史に残した功績は、作曲家とともに指揮者としても大きな役割を果たしたことで、現在のような指揮者の姿が確立するのは彼の力によるものだ。
それまでは、演奏会といえば自作を披露する場で、指揮とはあくまで自作を指揮することを意味していた。しかしメンデルスゾーンは、積極的に他人の作品での演奏会を開き、自ら指揮者として多くの作品を紹介した。
とりわけバッハの作品を重視し、当時まったく忘れられていた「マタイ受難曲」の復活演奏を行ったことは有名だ。一方で、メンデルスゾーンを考えるときに忘れられないのは、ヨーロッパ社会におけるユダヤ人問題だ。とくにナチス時代のユダヤ人抹殺のいまわしい歴史は忘れてはならない。ユダヤ人家系のメンデルスゾーンもナチス時代はすべての作品の演奏が禁じられ、名前すら当時の出版物からすべて消し去られた。ナチス崩壊後は名誉も回復され、大戦終結後すぐに行われたベルリンフィルの戦後第-回の演奏会は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲の演奏で幕が開けられた。
メンデルスゾーンの作品は、当時の作曲家の中でもロマン主義のもつ理想主義的な姿が色濃く表現されているために、深刻にならない明るさが持ち味だ。定番曲はもちろんだが、普段はあまり聴く機会がないような作品からも、彼のそのような面を聴きとってみたいと思う。
16歳のときの作品「弦楽八重奏曲」(スメタナ四重奏団が名演)やピアノ曲「幻想曲嬰へ短調」(メジューエワのピアノがすがすがしい)など、若いころの作品に耳を傾けると、当時のはつらつとした息遣いが感じられて気持ちがいい。
(ひやま・こうすけ 音楽史研究家)
【しんぶん赤旗日曜版 2009年4月26日より転載】