きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

憲法施行70年 先駆性を考える 第2部 基本的人権掲げて④ 朝日訴訟が問いかけるもの(上)25条は何のためにあるか

2017-04-23 10:43:22 | 平和・憲法・歴史問題について
憲法施行70年 先駆性を考える 第2部 基本的人権掲げて④ 朝日訴訟が問いかけるもの(上)
25条は何のためにあるか


日本の憲法史に不滅の足跡を刻む「人間裁判」と呼ばれた訴訟が60年前の1957年に起こされました。原告・朝日茂さんの姓を取って朝日訴訟と呼ばれます。
朝日さんは、重度の結核患者で、毎日熱と血疾に苦しみベッドから一歩も離れられない状態でした。国立岡山療養所(岡山県)で入院生活し、医療扶助と日用品費・月600円の支給を内容とする生活保護を受けていました。
同県津山市の福祉事務所は、35年も音信不通だった朝日さんの兄を探し出し、月1500円の仕送りを約束させました。そのうえで朝日さんに対する600円の日用品費を打ち切り、仕送りの残りの900円を医療費の一部として国に納入する決定を下しました。当時、国の社会保障費の大削減が進められる中でした。



朝日茂さん

たたかう以外に生きる道はない
朝日さんは、国に対し訴訟を挑む決心を固めた心境を書き記しています。
―憲法25条にうたわれている「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という条文は、何のためにあるのだろう。
生活と権利を守るため、憲法を盾にたたかう以外、生きる道はない。それが朝日さんの決意でした。
当時、国や裁判所、法律家も含め、25条の生存権は「法的権利」とはいえず、国の努力義務を定めたにすぎないとする考えが支配的でした。国の財政は逼迫し、多くの国民も困窮するもとで仕方がないとされたのです。



朝日訴訟の記念碑(岡山県早島町、国立岡山療養所跡地近く、現独立行政法人南岡山医療センター入り口付近)

あっと言わせた一審「浅沼判決」
たった一人で国にたたかいを挑む朝日さんの姿に、多くの患者、市民、法律家が呼応し、そして労働運動の支援も広がって、大きな社会のうねりとなります。
一審となった東京地方裁判所は1960年10月、日本中をあっと言わせる歴史的な判決を下します。
「(憲法25条は)国民に対し『人間に値する生存』を保障しようといういわゆる生存権的基本的人権の保障に関して規定したもの」
「もし国がこの生存権の実現に努力すべき責務に違反して生存権の実現に障害となるような行為をするときは、かかる行為は無効と解しなければならない」
判決はこう述べて、厚生大臣の設定した生活保護基準が憲法に違反し無効だと断じたのです。裁判長・浅沼武判事の名を冠し「浅沼判決」と呼ばれます。
審理中、弁護団の熱心な要請に応え、東京地裁が岡山の療養所で朝日さん本人への出張尋問を行いました。そのときの浅沼裁判長の言葉を、朝日さんは手記に書き残しています。
「憲法は絵に描いた餅ではない」(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年4月21日付掲載


「朝日訴訟」で、弁護団の熱心な要請に応え、東京地裁が岡山の療養所で朝日さん本人への出張尋問。
朝日さんの思いだけでなく、まともな社会保障を求める運動があったからこそ…