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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

労働講座 きほんのき⑥ メーデー 原点は8時間労働要求

2017-04-30 10:45:04 | 働く権利・賃金・雇用問題について
労働講座 きほんのき⑥ メーデー 原点は8時間労働要求

5月1日は労働者の祭典、国際的デモンストレーション(示威行動)の日である「メーデー」です。

時間短縮求める
メーデーの起源は、1886年(明治19年)の米国にありました。当時、1日10時間を超える長時間労働に苦しめられていた労働者が「1日8時間労働」を要求して5月1日にストライキに立ち上がったことが始まりです。ストは、シカゴを中心に全米で約35万人の労働者が参加。「8時間は仕事に、8時間は休日に、8時間は自分の好きに」と唱和して行われ、18万5000人が8時間労働を勝ちとりました。
しかし、資本家側は8時間労働の約束をほごにし、労働者に弾圧を加えてきました。そこで米国の労働組合は、1890年5月1日に再びストを行うことを決定。各国にも、同じ日に立ち上がることを呼びかけました。
これに労働者の国際組織(第2インタナショナル)がこたえ、毎年5月1日を国際的デモンストレーションの日とすることを決議しました。これが第1回国際メーデーです。



1946年5月の東京メーデー

日本の第1回は
日本で最初にメーデーが行われたのは、1920年(大正9年)の5月2日でした。東京・上野公園で開かれました。団結権もストライキ権もなかった時代です。デモの途中で革命歌を歌っても検挙される弾圧下にもかかわらず、約1万人の人が参加。上野公園から神田錦町まで行進しました。治安警察法の撤廃、失業の防止、最低賃金法の制定、8時間労働制、シベリア即時撤兵などを求めました。
ところが1936年(昭和11年)、日本陸軍の青年将校がクーデターを企てた「二・二六事件」が起き、戒厳令が公布され、メーデーは禁止されました。日本は翌年から日中戦争へと突入。終戦を迎えるまで、メーデーが行われることはありませんでした。
戦後、メーデーが復活したのは1946年です。中央メーデーに50万人が参加したといわれています。人びとは「働けるだけ食わせろ」「民主人民戦線樹立」などを政府に要求しました。
以来、毎年5月1日はその時どきの政治・経済的要求などを掲げ、労働者の団結と連帯を示す統一行動としてたたかわれています。

今年のメーデー
今年の第88回メーデーは、メーデーの起源である長時間労働の根絶が問われます。
政府の「働き方改革実行計画」に労働時間の上限規制が盛り込まれました。しかし、過労死ラインの残業を容認し、長時間労働にお墨付きを与える内容です。「8時間労働」を掲げたメーデーの原点に立って、実効性ある上限規制を求める声を広げるときです。
今年はまた、トランプ政権の戦争政策を安倍政権が支持し、戦争法と一体である「共謀罪」法案の成立が狙われるなど、平和と民主主義の危機がかつてなく高まるなかで行われることも特徴です。暗黒の政治体制をつくり、戦争に突入した戦前のような時代に逆戻りさせてはなりません。
一方で、核兵器禁止条約締結の歴史的動きが生まれているもとで開かれるメーデーです。核兵器の全面禁止、平和と暮らし、民主主義を守る政治への転換を求めてたたかうメーデーとなります。

第88回中央メーデー 5月1日 東京・代々木公園で
全労連などでつくる実行委員会が開く第88回中央メーデーは、「働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう」を基本スローガンに、東京都渋谷区の代々木公園で開かれます。
午前9時開場で、10時から文化行事。11時からの式典では、小田川義和・全労連議長が主催者あいさつ、市民団体、政党代表らによる連帯・激励あいさつ、労組代表の決意表明が行われます。午後0時20分からデモ行進を開始、並行して文化行事が行われます。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年4月28日付掲載


メーデーの起源は、1886年(明治19年)の米国。
日本で最初にメーデーが行われたのは、1920年(大正9年)。
今年の第88回メーデーは、メーデーの起源である長時間労働の根絶を!
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