粉飾された賃金抑制策「経労委報告」を読む④ 問われる経団連の介入
日本福祉大学名誉教授 大木一訓さん
「報告」は、春闘はもはや過去のものになったと見ている。連合の「2023春季生活闘争方針」を見ても「基本的な考え方や方向性、問題意識」など多くが経団連のそれと一致している、今日の「春闘」は、「経営のパートナー」となった労働組合と経営側との話し合いの場になっている、そうした実態を「世の中に正しく理解して」もらいたい、と「報告」はいう。
そこで最近の大企業労働組合の「実態」を見てみると、そこでは①組合員の職場討議や要求集約が行われない②労働者の要求にもとつく団体交渉が消失して、組合活動の大半が生産性向上などの経営課題についての協議によって占められる③賃上げの要求内容や妥結結果が対外的にも組合員に対してさえも隠蔽(いんぺい)される④産業別の統一した要求や運動から離脱して企業別の活動に終始する―等々の動向が見られる。
「物価高騰からくらし守ろう」「すべての労働者の賃上げを」と訴える全労連の人たち=2月15日、東京・有楽町イトシア前
労使関係を空洞化
大企業組合の変質はたしかに進んでいるようである。変質する労働組合をさらに企業の翼賛団体へと転換させることをめざしてか、「報告」は新たに労使委員会や労使協議会などの場を設定し、年間をつうじて労使で議論していくことも提唱している。
だが、春闘は消失したであろうか。大企業組合などにみる深刻な実態をわれわれは直視し、さらに調査研究しなければならないが、しかし連合傘下でもなお春闘をたたかっている組合があること、国民春闘共闘に結集する諸組合が例年にも増してエネルギッシュなたたかいを展開している事実を見失ってはなるまい。「春闘終焉(しゅうえん)」はプロパガンダである。
ところで「報告」は、「春闘の終焉」や労働組合の翼賛化だけではまだ満足しない。労働者という言葉を避けて「働き手」と言い、「闘争」「団体交渉」という用語を封印して「交渉・協議」という言い方に固執するなど、「労働者」も対立的な「労使関係」も存在しない日本社会の実現を目指している。憲法や労働法で保障されてきた労使関係を空洞化させ、事実上否定する動きに出ているのである。
軍国主義の再来か
経団連はこうした政策を、政府の掲げる「新しい資本主義」と軌を一にする「サスティナブルな資本主義」の実践として位置づけ取り組んでいく、という。そこで組織される労使協調に「未来への協創」という新語をあてているが、どんなに言葉を飾ろうと、その本質が職場労働者に対する大資本の専制支配強化に導くものであることは明らかである。敗戦後、侵略への加担と国民に対する強権支配の廉(かど)で戦争責任を問われ、真摯(しんし)な反省をしたはずの財界であるが、経団連はいままた狂気の軍国主義化をすすめる岸田内閣と一緒になって、同じ道を歩もうというのであろうか。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年2月23日付掲載
「報告」は、「春闘の終焉」や労働組合の翼賛化だけではまだ満足しない。労働者という言葉を避けて「働き手」と言い、「闘争」「団体交渉」という用語を封印して「交渉・協議」という言い方に固執するなど、「労働者」も対立的な「労使関係」も存在しない日本社会の実現を目指している。憲法や労働法で保障されてきた労使関係を空洞化させ、事実上否定する動きに出ている。
「サスティナブル(持続可能)な資本主義」といっても、中身は労使協調で現場労働者への資本家の専制支配そのもの。
日本福祉大学名誉教授 大木一訓さん
「報告」は、春闘はもはや過去のものになったと見ている。連合の「2023春季生活闘争方針」を見ても「基本的な考え方や方向性、問題意識」など多くが経団連のそれと一致している、今日の「春闘」は、「経営のパートナー」となった労働組合と経営側との話し合いの場になっている、そうした実態を「世の中に正しく理解して」もらいたい、と「報告」はいう。
そこで最近の大企業労働組合の「実態」を見てみると、そこでは①組合員の職場討議や要求集約が行われない②労働者の要求にもとつく団体交渉が消失して、組合活動の大半が生産性向上などの経営課題についての協議によって占められる③賃上げの要求内容や妥結結果が対外的にも組合員に対してさえも隠蔽(いんぺい)される④産業別の統一した要求や運動から離脱して企業別の活動に終始する―等々の動向が見られる。
「物価高騰からくらし守ろう」「すべての労働者の賃上げを」と訴える全労連の人たち=2月15日、東京・有楽町イトシア前
労使関係を空洞化
大企業組合の変質はたしかに進んでいるようである。変質する労働組合をさらに企業の翼賛団体へと転換させることをめざしてか、「報告」は新たに労使委員会や労使協議会などの場を設定し、年間をつうじて労使で議論していくことも提唱している。
だが、春闘は消失したであろうか。大企業組合などにみる深刻な実態をわれわれは直視し、さらに調査研究しなければならないが、しかし連合傘下でもなお春闘をたたかっている組合があること、国民春闘共闘に結集する諸組合が例年にも増してエネルギッシュなたたかいを展開している事実を見失ってはなるまい。「春闘終焉(しゅうえん)」はプロパガンダである。
ところで「報告」は、「春闘の終焉」や労働組合の翼賛化だけではまだ満足しない。労働者という言葉を避けて「働き手」と言い、「闘争」「団体交渉」という用語を封印して「交渉・協議」という言い方に固執するなど、「労働者」も対立的な「労使関係」も存在しない日本社会の実現を目指している。憲法や労働法で保障されてきた労使関係を空洞化させ、事実上否定する動きに出ているのである。
軍国主義の再来か
経団連はこうした政策を、政府の掲げる「新しい資本主義」と軌を一にする「サスティナブルな資本主義」の実践として位置づけ取り組んでいく、という。そこで組織される労使協調に「未来への協創」という新語をあてているが、どんなに言葉を飾ろうと、その本質が職場労働者に対する大資本の専制支配強化に導くものであることは明らかである。敗戦後、侵略への加担と国民に対する強権支配の廉(かど)で戦争責任を問われ、真摯(しんし)な反省をしたはずの財界であるが、経団連はいままた狂気の軍国主義化をすすめる岸田内閣と一緒になって、同じ道を歩もうというのであろうか。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年2月23日付掲載
「報告」は、「春闘の終焉」や労働組合の翼賛化だけではまだ満足しない。労働者という言葉を避けて「働き手」と言い、「闘争」「団体交渉」という用語を封印して「交渉・協議」という言い方に固執するなど、「労働者」も対立的な「労使関係」も存在しない日本社会の実現を目指している。憲法や労働法で保障されてきた労使関係を空洞化させ、事実上否定する動きに出ている。
「サスティナブル(持続可能)な資本主義」といっても、中身は労使協調で現場労働者への資本家の専制支配そのもの。
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