チェルノブイリ・独を訪ねて 即時原発ゼロへ(上)
福島県民医連会長 松本純さんに
26年の努力と苦しみ
全日本民医連の「チェルノブイリ原発・ドイツ環境政策視察ツアー」(昨年9月)に参加した松本純・福島県民医連会長は、視察ツアーの内容を各地で講演しています。東京電力福島第1原発事故から1年10カ月という時点で、ひとたび重大事故を起こすと他に類のない被害を及ぼす危険性、「即時原発ゼロ」への思いなどを聞きました。
(福島県・野崎勇雄)
昨年9月22日から30日までの9日間、ウクライナのチェルノブイリ原発と周辺、再生可能エネルギーの運動に取り組み、脱原発を宣言したドイツに行きました。移動を除くと実質5日間の視察でした。
原発事故現場へ行ったのは視察2日目。ウクライナの首都キエフ市から北へ130キロメートル、麦とトウモロコシ畑、牧草地がどこまでも続く大草原をバスで向かいました。30キロメートル圏内は今でも立ち入りが制限され、ゲート型ガンマ線検出装置で検査をパスしたら、再び車に乗り込みます。
チェルノブイリ原発事故があった4号機前に立つ松本純会長=昨年9月24日、ウクライナ
先の見えぬ作業
強制避難し移住した跡に残った住家は、除染しないでそのまま壊し、土盛りされていました。
「移住権付きの避難者に与える土地は国中にいくらでもある」とのことでしたが、故郷が亡きものにされてしまった無念さを思うと悲しい風景です。事故現場は、まだ先の見えない「収束」作業中でした。
大平原の国ウクライナであっても、森林の島国の日本であっても、ひとたび事故に見舞われると故郷を追われ、この地球上に人の住めなくなる土地を増やしてしまうのが原発です。原発は、人類と共存できない存在なのではないでしょうか。
これに先立つ視察1日目、被災者相互支援団体「ゼムリャキ事務所」を訪問しました。原発事故で住みなれた土地を追われた被災者たちは、生活困難や健康被害をかかえて苦難の人生を送っているとのこと。チェルノブイリ事故による健康被害の教訓として、定期的な検査など子どもたちの健康に留意することや、高齢者への精神的な支援が必要なことを強調していました。
しかし、その人たちから「福島はどうなっている。大丈夫か」と聞かれたのにはどぎまぎしてしまいました。「私は低線量汚染のところ(福島市)に住んでいるが、そこにも高濃度汚染の地域から自治体ぐるみ移住してきて避難生活を送っている。多くの人は早く元に戻りたいと願っている」と言うと、「故郷を思う心は万国共通です」と逆に激励されました。
健康被害を実感
3日目は、キエフ市郊外のナロージチ地区を訪問。チェルノブイリ原発から西へ60キロメートル、事故から5年後に、高濃度汚染と公式に確認されたところです。同地区中央病院の医師や副区長と懇談しました。
汚染されていない地域に子どもをいかせて保養する仕組みや、農産物の放射能測定、内部被ばく防止教育などの質問に答えてくれましたが、26年を経過した今でもその努力を続けていることは大変なことと思いました。
一方、健康被害にかんしては、汚染地域や避難者の間で「若年での心血管・脳血管疾患が多い」「先天性異常もある」というものから「貧血が多い」「免疫が弱く病気がち」などさまざまな話があります。詳細な線量評価や疾病データは明らかではありませんが、「健康被害があると実感している」という被災者の言葉は重要です。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年1月16日付掲載
チェルノブイリでの努力は今後、福島原発事故の除染や健康被害のケアへ生かされなければなりませんね。
先日、NHKスペシャルをみた。「シリーズ東日本大震災 空白の初期被ばく~消えたヨウ素131を追う~」
すでに消えてなくなった放射性ヨウ素131を、まだ残っているセシウムの分布から逆算で予測。原発事故が起こった直後のヨウ素131被ばくの実態にせまる調査が始まっている。
時間がたって現れる被ばくの影響が現れます。定期検診など長期的なケアが必要ですね。
福島県民医連会長 松本純さんに
26年の努力と苦しみ
全日本民医連の「チェルノブイリ原発・ドイツ環境政策視察ツアー」(昨年9月)に参加した松本純・福島県民医連会長は、視察ツアーの内容を各地で講演しています。東京電力福島第1原発事故から1年10カ月という時点で、ひとたび重大事故を起こすと他に類のない被害を及ぼす危険性、「即時原発ゼロ」への思いなどを聞きました。
(福島県・野崎勇雄)
昨年9月22日から30日までの9日間、ウクライナのチェルノブイリ原発と周辺、再生可能エネルギーの運動に取り組み、脱原発を宣言したドイツに行きました。移動を除くと実質5日間の視察でした。
原発事故現場へ行ったのは視察2日目。ウクライナの首都キエフ市から北へ130キロメートル、麦とトウモロコシ畑、牧草地がどこまでも続く大草原をバスで向かいました。30キロメートル圏内は今でも立ち入りが制限され、ゲート型ガンマ線検出装置で検査をパスしたら、再び車に乗り込みます。
チェルノブイリ原発事故があった4号機前に立つ松本純会長=昨年9月24日、ウクライナ
先の見えぬ作業
強制避難し移住した跡に残った住家は、除染しないでそのまま壊し、土盛りされていました。
「移住権付きの避難者に与える土地は国中にいくらでもある」とのことでしたが、故郷が亡きものにされてしまった無念さを思うと悲しい風景です。事故現場は、まだ先の見えない「収束」作業中でした。
大平原の国ウクライナであっても、森林の島国の日本であっても、ひとたび事故に見舞われると故郷を追われ、この地球上に人の住めなくなる土地を増やしてしまうのが原発です。原発は、人類と共存できない存在なのではないでしょうか。
これに先立つ視察1日目、被災者相互支援団体「ゼムリャキ事務所」を訪問しました。原発事故で住みなれた土地を追われた被災者たちは、生活困難や健康被害をかかえて苦難の人生を送っているとのこと。チェルノブイリ事故による健康被害の教訓として、定期的な検査など子どもたちの健康に留意することや、高齢者への精神的な支援が必要なことを強調していました。
しかし、その人たちから「福島はどうなっている。大丈夫か」と聞かれたのにはどぎまぎしてしまいました。「私は低線量汚染のところ(福島市)に住んでいるが、そこにも高濃度汚染の地域から自治体ぐるみ移住してきて避難生活を送っている。多くの人は早く元に戻りたいと願っている」と言うと、「故郷を思う心は万国共通です」と逆に激励されました。
健康被害を実感
3日目は、キエフ市郊外のナロージチ地区を訪問。チェルノブイリ原発から西へ60キロメートル、事故から5年後に、高濃度汚染と公式に確認されたところです。同地区中央病院の医師や副区長と懇談しました。
汚染されていない地域に子どもをいかせて保養する仕組みや、農産物の放射能測定、内部被ばく防止教育などの質問に答えてくれましたが、26年を経過した今でもその努力を続けていることは大変なことと思いました。
一方、健康被害にかんしては、汚染地域や避難者の間で「若年での心血管・脳血管疾患が多い」「先天性異常もある」というものから「貧血が多い」「免疫が弱く病気がち」などさまざまな話があります。詳細な線量評価や疾病データは明らかではありませんが、「健康被害があると実感している」という被災者の言葉は重要です。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2013年1月16日付掲載
チェルノブイリでの努力は今後、福島原発事故の除染や健康被害のケアへ生かされなければなりませんね。
先日、NHKスペシャルをみた。「シリーズ東日本大震災 空白の初期被ばく~消えたヨウ素131を追う~」
すでに消えてなくなった放射性ヨウ素131を、まだ残っているセシウムの分布から逆算で予測。原発事故が起こった直後のヨウ素131被ばくの実態にせまる調査が始まっている。
時間がたって現れる被ばくの影響が現れます。定期検診など長期的なケアが必要ですね。
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