米国と新自由主義② 金融覇権で他国支配
横浜国立大学名誉教授 萩原伸次郎さん
―新自由主義がケインズ主義を敵視したのはなぜですか。
ケインズ主義は、租税・財政政策を大いに利用して、実体経済を軸とする持続的な経済成長を実現しようとします。累進課税制度によって富裕層と大企業から徴税し、社会保障を通じて低・中所得層に再分配する政策を是認します。それは、個人消費を活発にして有効需要を喚起し、企業の設備投資を促す政策だからです。需要が不足するなら国家の財政支出政策で有効需要を注入し、不況を乗り切って持続的な経済成長を実現しようとします。
持続的な経済成長にとって不都合な金融市場の投機的取引は、内外ともに厳重に規制します。「企業活動が投機の渦巻きに翻弄(ほんろう)される泡沫(ほうまつ)になってしまうと、事は重大な局面を迎える」(『雇用、利子および貨幣の一般理論』)というケインズの言葉は有名です。ところが、多国籍化した大企業と金融機関は、累進課税や社会保障制度、金融規制を障害とみなします。ですから、新自由主義は一言でいえば反ケインズ主義なのです。
米国の多国籍企業は1970年代に、低賃金を求めて中南米やアジアの発展途上国に生産設備を移転し始めました。相対的低賃金を背景にした西ドイツや日本の対米輸出攻勢に対抗するために、第三世界の低賃金を利用したのです。米国の労働者は、企業の海外移転によって米国内に取り残され、職を失う不利益を被りました。こうして、米国の「ケインズ連合」は崩壊しました。
米ニューヨーク証券取引所で取引時間終了後に表示されたダウ工業株30種平均株価=5月5日(ロイター)
自由化の実現
―新自由主義は米国の金融覇権とどんな関係がありますか。
米国では、レーガン政権期に金融自由化が一気に進みました。金利規制や金融機関の業態規制が自由化され、金融機関の収益が急速に増大しました。実体経済の持続的成長に代わって、金融資産の蓄積が急速に進むことになりました。
米国では、古くから投資銀行が大きな役割を果たしてきました。
証券市場で有価証券を発行・販売する業務に関わり、金融収益を上げる金融機関です。株式市場の活発化が収益増加の源となります。
レーガン政権以降、米国の投資銀行は世界的に国際資本取引の自由化を求め、実現していきます。米国の金融機関が世界の金融市場を股にかけ、利益を求めて自由に資本を動かし、他国の経済を支配する仕組みができあがっていきます。新自由主義的な金融自由化の普及によって、米国が世界中で金融覇権を行使するシステムがつくられたといえます。
米国の金融覇権が確立したのは、クリントン政権期だといわれています。1999年に金融サービス近代化法(通称グラム・リーチ・ブライリー法)が成立したからです。この法律によって、持ち株会社の下で商業銀行と投資銀行を合併することが可能になりました。
危機もたらす
米国では、33年に成立したグラス・ステイーガル法によって商業銀行と投資銀行が分離されていました。世界大恐慌の反省に立って実施された金融規制でした。20年代に、商業銀行は投資銀行に対して株式投機に関わる大量の貸し付けを行い、その破綻から29年10月の株価大崩落を引き起こしたのです。
戦後の国際通貨体制においても、ケインズの提唱によって、投機を抑え込む国際資本取引の規制が実施されました。ケインズ主義が有効性を発揮している間は、投機が横行して金融危機が勃発する事態は起こらなかったといっていいでしょう。
しかし、国際的資本取引の自由化が推進され、国内でも金融自由化が実施されると、世界経済に金融危機をもたらす要因が形成されます。顕著な例は97年のアジア金融危機です。
90年代後半に高度成長した東アジアは、世界の投資資本を大量にひきつけていました。
ところが、96年にタイで輸出主導の成長が崩壊し、世界の投資資本が一斉に引き揚げました。タイの危機はフィリピン、マレーシア、インドネシアに飛び火しました。国際資本取引の自由化を徹底的に推し進めた新自由主義的世界経済がもたらした金融危機だったことは明らかです。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2022年6月1日付掲載
多国籍化した大企業と金融機関は、累進課税や社会保障制度、金融規制を障害とみなします。ですから、新自由主義は一言でいえば反ケインズ主義。
米国の金融覇権が確立したのは、クリントン政権期。1999年に金融サービス近代化法(通称グラム・リーチ・ブライリー法)が成立。この法律によって、持ち株会社の下で商業銀行と投資銀行を合併することが可能に。
96年にタイで輸出主導の成長が崩壊し、世界の投資資本が一斉に引き揚げ。タイの危機はフィリピン、マレーシア、インドネシアに飛び火。国際資本取引の自由化を徹底的に推し進めた新自由主義的世界経済がもたらした金融危機だったことは明らか。
横浜国立大学名誉教授 萩原伸次郎さん
―新自由主義がケインズ主義を敵視したのはなぜですか。
ケインズ主義は、租税・財政政策を大いに利用して、実体経済を軸とする持続的な経済成長を実現しようとします。累進課税制度によって富裕層と大企業から徴税し、社会保障を通じて低・中所得層に再分配する政策を是認します。それは、個人消費を活発にして有効需要を喚起し、企業の設備投資を促す政策だからです。需要が不足するなら国家の財政支出政策で有効需要を注入し、不況を乗り切って持続的な経済成長を実現しようとします。
持続的な経済成長にとって不都合な金融市場の投機的取引は、内外ともに厳重に規制します。「企業活動が投機の渦巻きに翻弄(ほんろう)される泡沫(ほうまつ)になってしまうと、事は重大な局面を迎える」(『雇用、利子および貨幣の一般理論』)というケインズの言葉は有名です。ところが、多国籍化した大企業と金融機関は、累進課税や社会保障制度、金融規制を障害とみなします。ですから、新自由主義は一言でいえば反ケインズ主義なのです。
米国の多国籍企業は1970年代に、低賃金を求めて中南米やアジアの発展途上国に生産設備を移転し始めました。相対的低賃金を背景にした西ドイツや日本の対米輸出攻勢に対抗するために、第三世界の低賃金を利用したのです。米国の労働者は、企業の海外移転によって米国内に取り残され、職を失う不利益を被りました。こうして、米国の「ケインズ連合」は崩壊しました。
米ニューヨーク証券取引所で取引時間終了後に表示されたダウ工業株30種平均株価=5月5日(ロイター)
自由化の実現
―新自由主義は米国の金融覇権とどんな関係がありますか。
米国では、レーガン政権期に金融自由化が一気に進みました。金利規制や金融機関の業態規制が自由化され、金融機関の収益が急速に増大しました。実体経済の持続的成長に代わって、金融資産の蓄積が急速に進むことになりました。
米国では、古くから投資銀行が大きな役割を果たしてきました。
証券市場で有価証券を発行・販売する業務に関わり、金融収益を上げる金融機関です。株式市場の活発化が収益増加の源となります。
レーガン政権以降、米国の投資銀行は世界的に国際資本取引の自由化を求め、実現していきます。米国の金融機関が世界の金融市場を股にかけ、利益を求めて自由に資本を動かし、他国の経済を支配する仕組みができあがっていきます。新自由主義的な金融自由化の普及によって、米国が世界中で金融覇権を行使するシステムがつくられたといえます。
米国の金融覇権が確立したのは、クリントン政権期だといわれています。1999年に金融サービス近代化法(通称グラム・リーチ・ブライリー法)が成立したからです。この法律によって、持ち株会社の下で商業銀行と投資銀行を合併することが可能になりました。
危機もたらす
米国では、33年に成立したグラス・ステイーガル法によって商業銀行と投資銀行が分離されていました。世界大恐慌の反省に立って実施された金融規制でした。20年代に、商業銀行は投資銀行に対して株式投機に関わる大量の貸し付けを行い、その破綻から29年10月の株価大崩落を引き起こしたのです。
戦後の国際通貨体制においても、ケインズの提唱によって、投機を抑え込む国際資本取引の規制が実施されました。ケインズ主義が有効性を発揮している間は、投機が横行して金融危機が勃発する事態は起こらなかったといっていいでしょう。
しかし、国際的資本取引の自由化が推進され、国内でも金融自由化が実施されると、世界経済に金融危機をもたらす要因が形成されます。顕著な例は97年のアジア金融危機です。
90年代後半に高度成長した東アジアは、世界の投資資本を大量にひきつけていました。
ところが、96年にタイで輸出主導の成長が崩壊し、世界の投資資本が一斉に引き揚げました。タイの危機はフィリピン、マレーシア、インドネシアに飛び火しました。国際資本取引の自由化を徹底的に推し進めた新自由主義的世界経済がもたらした金融危機だったことは明らかです。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2022年6月1日付掲載
多国籍化した大企業と金融機関は、累進課税や社会保障制度、金融規制を障害とみなします。ですから、新自由主義は一言でいえば反ケインズ主義。
米国の金融覇権が確立したのは、クリントン政権期。1999年に金融サービス近代化法(通称グラム・リーチ・ブライリー法)が成立。この法律によって、持ち株会社の下で商業銀行と投資銀行を合併することが可能に。
96年にタイで輸出主導の成長が崩壊し、世界の投資資本が一斉に引き揚げ。タイの危機はフィリピン、マレーシア、インドネシアに飛び火。国際資本取引の自由化を徹底的に推し進めた新自由主義的世界経済がもたらした金融危機だったことは明らか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます