春闘 財界方針の歴史 賃上げ抑制 いまなお続く枠組み
経団連(日本経済団体連合会)は1月17日、2023年春闘に向けた経営サイドの方針書(「経営労働政策特別委員会報告」)を発表しました。
今回は49回目の「報告」になります。第1回の「報告」は1975年春闘に向けて当時の日経連(日本経営者団体連盟、02年に経団連に統合)が出しました。報告のタイトルは「大幅賃上げの行方研究委員会報告」でした。
賃上げで物価高騰から生活を守れとアピールする人たち=1月12日、東京都千代田区の経団連会館前
当時マスコミが「賃金爆発」と評した前年の大幅賃上げ(32・9%)の再現を阻止する、いわば大幅賃上げ“退治”のための「報告」でした。
その「報告」で75年春闘での賃上げは15%以内にすべし、76年春闘以降は1けた賃上げ(1けた春闘)にすべし、というガイドラインを日経連が打ち出したのです。
結果、日経連のガイドライン通りの春闘になりました。日経連(財界)の力がいくら大きくても財界単独で大幅賃上げを抑え込むことはできません。カギは労働組合の労使協調の潮流を味方につけたことにあります。
つまり、日経連が労働運動の労使協調主義の潮流を「賃金自粛」の「経済整合性論」に引き込み、それらの労組の助けを借りて「管理春闘」を「成功」させたのです。
管理春闘とは財界が労働組合の助けを借りて「要求づくり」から「たたかい方」そして「妥結」まで管理する手法です。75年春闘では74年の大幅賃上げの再現を阻止し、賃上げを「15%以内」に抑え込みました。
ところで、管理春闘という言葉は80年代の前半にメディアが命名し、使用されるようになりました。
80年春闘の概略はこうでした。当時、労働組合のセンターは総評、同盟のほか中立労連と新産別の4団体でした。この4センターがこぞって80年春闘に向けて提示した賃上げ自粛要求は8%でした。結果は6%台の賃上げに終わりました。
この80年春闘について金子美雄氏(元最低賃金審議会会長)がある試算をしています。それは、仮にこの国に労働組合がゼロだとして、どれだけの賃上げが実現したか、という試算です。結果は10%強というものでした。
金子試算をふまえて80年以降の春闘は、労使の一体化によって賃上げ抑制が図られる「管理春闘」と名づけられたのでした。しかし実際は、管理春闘は前記の75年春闘から始まっていたということでしょう。
以上のような管理春闘が延々と続き、いまなお続いています。今春闘で物価上昇以上の賃上げを労働者階級が勝ちとるには管理春闘の枠組みを打破し、生計費重視の大幅要求を提示し、統一ストライキを含む賃上げ闘争を展開することが必要です。そのような労働組合のたたかいを未組織の労働者や勤労国民は強く支持するでしょう。
「賃上げはたたかいとるもの」ということを強調しておきたいと思います。
牧野富夫(まきの・とみお 労働運動総合研究所顧問)
「しんぶん赤旗」日曜版 2023年2月5日付掲載
経団連の賃金抑制の提言。1975年から始まる。
当時マスコミが「賃金爆発」と評した前年の大幅賃上げ(32・9%)の再現を阻止する、いわば大幅賃上げ“退治”のための「報告」が始まり。
80年春闘の概略はこうでした。当時、労働組合のセンターは総評、同盟のほか中立労連と新産別の4団体。この4センターがこぞって80年春闘に向けて提示した賃上げ自粛要求は8%でした。結果は6%台の賃上げに終わる。
それが40年も続いている。
経団連(日本経済団体連合会)は1月17日、2023年春闘に向けた経営サイドの方針書(「経営労働政策特別委員会報告」)を発表しました。
今回は49回目の「報告」になります。第1回の「報告」は1975年春闘に向けて当時の日経連(日本経営者団体連盟、02年に経団連に統合)が出しました。報告のタイトルは「大幅賃上げの行方研究委員会報告」でした。
賃上げで物価高騰から生活を守れとアピールする人たち=1月12日、東京都千代田区の経団連会館前
当時マスコミが「賃金爆発」と評した前年の大幅賃上げ(32・9%)の再現を阻止する、いわば大幅賃上げ“退治”のための「報告」でした。
その「報告」で75年春闘での賃上げは15%以内にすべし、76年春闘以降は1けた賃上げ(1けた春闘)にすべし、というガイドラインを日経連が打ち出したのです。
結果、日経連のガイドライン通りの春闘になりました。日経連(財界)の力がいくら大きくても財界単独で大幅賃上げを抑え込むことはできません。カギは労働組合の労使協調の潮流を味方につけたことにあります。
つまり、日経連が労働運動の労使協調主義の潮流を「賃金自粛」の「経済整合性論」に引き込み、それらの労組の助けを借りて「管理春闘」を「成功」させたのです。
管理春闘とは財界が労働組合の助けを借りて「要求づくり」から「たたかい方」そして「妥結」まで管理する手法です。75年春闘では74年の大幅賃上げの再現を阻止し、賃上げを「15%以内」に抑え込みました。
ところで、管理春闘という言葉は80年代の前半にメディアが命名し、使用されるようになりました。
80年春闘の概略はこうでした。当時、労働組合のセンターは総評、同盟のほか中立労連と新産別の4団体でした。この4センターがこぞって80年春闘に向けて提示した賃上げ自粛要求は8%でした。結果は6%台の賃上げに終わりました。
この80年春闘について金子美雄氏(元最低賃金審議会会長)がある試算をしています。それは、仮にこの国に労働組合がゼロだとして、どれだけの賃上げが実現したか、という試算です。結果は10%強というものでした。
金子試算をふまえて80年以降の春闘は、労使の一体化によって賃上げ抑制が図られる「管理春闘」と名づけられたのでした。しかし実際は、管理春闘は前記の75年春闘から始まっていたということでしょう。
以上のような管理春闘が延々と続き、いまなお続いています。今春闘で物価上昇以上の賃上げを労働者階級が勝ちとるには管理春闘の枠組みを打破し、生計費重視の大幅要求を提示し、統一ストライキを含む賃上げ闘争を展開することが必要です。そのような労働組合のたたかいを未組織の労働者や勤労国民は強く支持するでしょう。
「賃上げはたたかいとるもの」ということを強調しておきたいと思います。
牧野富夫(まきの・とみお 労働運動総合研究所顧問)
「しんぶん赤旗」日曜版 2023年2月5日付掲載
経団連の賃金抑制の提言。1975年から始まる。
当時マスコミが「賃金爆発」と評した前年の大幅賃上げ(32・9%)の再現を阻止する、いわば大幅賃上げ“退治”のための「報告」が始まり。
80年春闘の概略はこうでした。当時、労働組合のセンターは総評、同盟のほか中立労連と新産別の4団体。この4センターがこぞって80年春闘に向けて提示した賃上げ自粛要求は8%でした。結果は6%台の賃上げに終わる。
それが40年も続いている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます