Kobby loves 埼玉&レッズ

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波乱を起こした戦略(ACミラン対バルセロナ)

2013-02-26 16:56:41 | ワールドサッカー
熱も下がり、ワールドサッカーもいつもの集中力で見ることができたので、BS12で無料放送していた欧州CL決勝トーナメント1回戦、ACミラン(イタリア)対バルセロナ(スペイン)のビデオを見ました。この試合は相手がバルサということで、ACミランの戦い方が注目でした。

バルサは監督がグアルディオラからビラノバに変わっているので、一昨年のクラブW杯のサッカーは参考程度でしょうが、その浅いラインと驚異的なボール支配率とミスの少なさは驚異的なチームです。4年連続バロンドールのメッシもゴールを量産し、今年も優勝候補の一角です。

そんな相手にミランが取った戦略は、3ラインをコンパクトに保ち、バルサのボール回しを後ろにさせるものでした。いわゆるリトリートサッカーで、選手間の距離を短くしてメッシがドリブルで仕掛けてもすぐに複数で守る体勢ができていて、これほどまでにメッシが目立たない試合があるというのが驚きでした。

また、ミランはセカンドボールへの集中力は非常に高かったです。バルサがクロスを入れてもこぼれ球をしっかりクリアで切って、バルサに決定機をほとんど許しませんでした。FWのエルシャーラウィまで守備に帰り、ボール支配はされても崩されない安定したサッカーで前半を0-0で折り返します。

実況によれば、ミランのこういうサッカーはセリエAでもほとんどやっていないらしく、世界最強チームという評価のバルサには特別な戦略が必要とアレグリ監督が急造で作った戦略ですが、ミランの選手の技術も高いので消化できるだろうと判断したようです。

ただ、こういう戦いを徹底させても、点を取ることは難しいのですが、ミランにはちょっと運もありました。ミドルシュートが17番の選手に当たってコースが変わったところをボアテングが蹴りこんだ先制点は、17番のハンドを故意ではないと主審が取らなかった幸運ゆえのゴールでした。

このゴールでバルサは前に出てきたので、ミランにもカウンターのチャンスは生まれ、途中出場のニアンがDFライン裏のボールに追いついたチャンスから、エルシャーラウィがつないでムンタリが蹴りこんだ2点目は、第二戦がたとえアウェイのカンプノウでも突破の可能性が大いに膨らむゴールになりました。

ミランは開幕直後こそ思うように勝てませんでしたが、セリエAでも最近は好調で、マンチェスターCからバロテッリを補強して上り調子です。そういういいタイミングでバルサと当たれれば、こんな番狂わせを起こせるポテンシャルはあることを証明しました。
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フィオレンティーナの思い出

2013-02-26 13:13:32 | ワールドサッカー
風邪で会社を休み、こんな時間の更新になります。こういうときはワールドサッカーを見るチャンスで、ACミラン対ボローニャの映像も見ましたが、その試合は機会があればあとで書くことにして、書きためていたネタをとりあえず出します。

先日、ビデオで見たフィオレンティーナ対インテルはフィレンツェのアルテミオ・フランキスタジアムで行われました。ここは1920年代に作られた古いスタジアムで、昔行われた競馬のトラックの跡があり、スタンドとピッチが離れて見にくいスタジアムです。

このスタジアムには1999年に行ったことがあります。当時のカードはフィオレンティーナ対ペルージャで、今でも記憶に残っているのは中田英寿とバティストゥータ(以下バティ)です。特に全盛期のバティを見ておいたのは貴重な経験でした。

バティといえばノーステップで放つ強力なシュートでセリエA得点王にもなった元アルゼンチン代表FWです。もっとも、この試合ではペルージャGKマッツァンティーニがバティのシュートを研究していて、その強烈なシュートに合わせてセービングしたので、なかなか点は入りませんでした。

そんなとき、バティは一つミスキックをします。マッツァンティーニにとっては予想外の軌道で、ゴロで足元を転がったのが得点になり、すっきりしないもののバティゴールです。この試合は5-1の大差でフィオレンティーナが圧勝していて、ルイ・コスタとエジムンドが2点ずつ取っていると当時の観戦メモに書いてありますが、今でも覚えているのはバティだけです。

中田英寿はチーム内の信頼感を実感しました。当時はペルージャの1年目でしたが、セリエAで二桁得点を記録した年で、PKのキッカーも任されていました。この試合は大敗はしましたが、ボールが中田英寿に自然に集まってくるところは既に中心選手の貫禄でした。

もっとも、当時のペルージャには中田英寿のセンスについてこられる選手がおらず、エクアドル代表のカビエデスはトラップが足につかずチャンスを潰していました。これは中田英寿はいつかビッグクラブに移籍すべきと思いましたが、ローマではトッティの控えに置かれ、結果的にはビッグクラブは向いてなかったことが後でわかりますが。
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