Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

通用する点(フランクフルト対ホッヘンハイム)

2013-02-01 17:41:55 | ワールドサッカー
母の急病で会社を休み、今日は予定外の時間ができました。そのため、ブンデスリーガのフランクフルト対ホッヘンハイムのビデオを見ました。誰でも知っているようなワールドクラスはおらず、知っている選手はホッヘンハイムのベンチにいたデルディヨク(スイス代表)とフランクフルトの1トップのマトムール(アルジェリア代表)だけの試合でした。

そのため、この試合を見るポイントは乾(フランクフルト)と宇佐美(ホッヘンハイム)のプレーに絞りました。乾は5得点を挙げ、既にチームの中心選手で、いいポジションを取っていればパスはちゃんと出てきました。

乾のプレーでどこが通用しているかは最大の興味でした。結論を先に言えば足元のテクニックです。日本人のサッカー選手は足元がうまいからプロになれた選手が多く、乾も野洲高校時代はテクニックで選手権を沸かせた選手でした。Jリーグの環境を卑下する必要はなく、そこでやっているプレーをそのまま出せばブンデスリーガを恐れる必要はないと、乾のプレーを見れば思います。

宇佐美に関してはロンドン五輪で思うように試合に出られず、バイエルンも放出されて下位チームのホッヘンハイムに移籍したので、まだ20歳と若いとはいえ伸びが止まっていることを危惧していました。ホッヘンハイムの戦術次第では守備に追われて技術を発揮できない可能性もあると思っていました。

しかし、この試合での宇佐美は悪くなかったと思います。相手のフランクフルトは4位と格上ですが、ホッヘンハイムのチーム戦術が前からプレスを掛けるものなので、宇佐美は高い位置でボールをもらえ、キープもドリブルも機能していたと思います。

少しホッヘンハイムの中盤が間延びしていて、宇佐美の守備範囲が広くなったのはチームとしての課題ですが、カウンターサッカーで守備に追われて持ち味が出ない最悪のシナリオはたどっていなかったので、少し安心しました。

最近は代表ではない大前にドイツのデュッセルドルフからオファーが来たりと、先に海外に行って活躍したら代表という、長谷部が切り開いたルートが確立しました。

どうしても、イタリアやイングランドのようにサッカーの強い国は自国のリーグに海外から選手が来る有利な条件で強化できますが、日本のようなサッカー発展途上国は外へ出て行かないと強化できません。言葉の壁はもちろんあるでしょうが、中田英寿に代表される先駆者は言葉を覚えて壁を破りました。今のブンデスリーガの日本人には、日本サッカーの未来を切り開くつもりで頑張って欲しいです。
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力の限り(琴椿)

2013-02-01 13:37:06 | 他スポーツ
20年近く前の平幕力士なので、読者の方にはついていけない話題かもしれませんが、私の思い出の力士の一人だった琴椿の記憶です。琴椿は平成に年号が変わったあたりに幕内にいた力士で、当時のスロー出世の記録を持っていた遅咲きです。

琴椿は稽古量の多さで知られた存在です。当時の佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴桜)が「琴椿は放っておいても稽古をする」と全幅の信頼を寄せていました。当時大関候補だった琴錦も、琴椿と稽古をすれば「もう一丁」の連続でなかなか終わらないと証言しています。

そんな琴椿を応援しようと思ったのは十両時代の相撲を見たからです。当時十両上位にいた琴椿は5勝7敗の成績で、相手も5勝7敗だったので、たとえこの相撲を勝っても次に負けて負け越すだろうから1日限りの生き残り戦だろうと高をくくっていました。

しかし、相撲内容は熱いものになりました。立ち合いで相手に潜られる絶対不利の体勢だった琴椿は、持ちこたえながら力と粘りで少しずつ相手の体を起こそうと必死の土俵を見せます。1分近い長い相撲の末、相手を起こした琴椿は寄り切りで勝ち、その場所を8勝7敗と勝ち越して幕内に上がります。

スロー出世や稽古量の話は後で知りましたが、十両時代の取り口から想像はできました。ただ、体が硬かった琴椿は投げられやすいという弱点も持っていました。貴闘力が土俵際で放った捨て身の二丁投げで、琴椿はひっくり返されて敗れています。

琴椿は幕内の上位にはあまり在位していなかった力士ですが、大関霧島を破って二桁勝った場所もありました。しかしその場所は痛恨にも負傷で途中休場でした。この場所で最後まで取っていれば三賞も狙えたので惜しまれます。

それでも、琴椿は幕下時代に一度は引退を決意して、就職活動用のスーツまで用意しました。親方から「もう一場所だけ頑張ってみろ」と引退を先延ばししたら、その場所で好成績を残し4年ぶりの十両復帰を決めた過去があります。

幕内まで上がれたことで、きっと相撲界にいて良かったという思いも持てたことでしょう。よく頑張ったと思います。
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日本を救った爪先ゴール(鈴木隆行)

2013-02-01 10:48:02 | ワールドサッカー
昨日はラトビア戦に臨む日本代表のメンバーが発表になりました。遠藤や今野も順当に選ばれ、驚くような選出はありませんが、初代表の大津には頑張って欲しいです。まだオフネタですが、日本代表の思い出では以前ネタにした韓国戦の次に印象に残っている、2002年W杯の初戦、ベルギー戦について書きます。

W杯の日本代表戦を生観戦するのはもしかしたら一生に一度かもしれません。このときは富士フィルムの抽選で母が当てたチケットを譲ってもらい生観戦が実現しました。普段の代表戦では私の観戦スタイルはまずは相手の布陣と出方を確認して、それから日本がどうやって攻めるかを見ます。

しかし、このときはある病気が治っておらず集中力が戻らず、またベルギーの背番号が見にくいので、ベルギーの布陣は確認できませんでした。何分かしてベルギーを追うことは諦め、こんな機会はないから日本を応援しようと気持ちを切り替えました。

この試合は早い時間でベルギーに先制されます。当時の日本はW杯の経験は3戦全敗のフランス大会しかなかった頃です。埼玉スタジアムを満員に埋めたサポーターには駄目かな?という雰囲気が漂っていました。そんなときに飛び出したのが鈴木隆行の爪先ゴールです。

左アウトサイドの小野伸二から出たパスはスタンドからは少し長いように見えました。ベルギーGKデブリーガーが処理をしようと前に出たところを、体を投げ出してわずかな可能性に賭けていた鈴木隆行が少し触ってコースを変え、同点ゴールになります。

このゴールで埼玉スタジアムの雰囲気が一変します。鈴木隆行は代表50試合を超えながら、ゴールはわずか11点というFWですが、この大舞台のゴールは値千金でした。1得点を挙げ、ファウルで取り消された幻のゴールも含めると絶好調だった稲本潤一も良かったですが、この試合の記憶は鈴木隆行のプレーが大きいです。

この試合はベルギーがビルモッツのオーバーヘッドで同点に追い付き、2-2の引き分けに終わりました。それでも、勝てなかった悔しさはあまりなく、W杯で勝ち点が取れたという喜びの方が大きい試合後でした。

あの当時のトルシエサッカーは賛否両論あり、オフサイドを無理に取りに行かない選手の自主的な判断もあったらしいですが、あの当時は日本サッカーを外から変えてもらうことが必要な時代だったと今では思っています。
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