Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

世界選手権を賭けた1対1(別府大分毎日マラソン)

2013-02-03 16:14:25 | 他スポーツ
今日はマンU対サウサンプトンを書くつもりでしたが、テレビで見た別府大分毎日マラソン(以下別大)が想像以上に面白い展開だったので、予定変更で記事にします。

今回の別大は外国招待選手の持ちタイムが2時間10分台が最高と、これといったメンバーが参加しておらず、国内招待選手で8分台を持つ川内優輝選手とロンドン五輪6位の中本健太郎選手の争いというのが下馬評でした。

しかし、マラソンというスポーツは選手のコンディションに大きく依存するので、本当にこの二人の争いになる可能性はそれほど高くないと思っていました。特に川内の場合、マラソンのレース数をこなすことを練習の一環と捉える調整法にしており、別大を調整レースにしてびわ湖でタイムを出しに行く可能性も考えられました。

別大も世界選手権の5人の代表枠を争う選考レースの一つではありましたが、川内は福岡で失速した後、防府とエジプトで2度のマラソンをこなしています。実業団のマラソン選手の常識は年間2レース程度なので、川内は走り過ぎというのが一般的な評価でした。

また、川内といえば埼玉県庁勤務の公務員で、2時間8分台を持つ市民ランナーというのも今までの常識では考えられませんでした。本人は出向先の春日部高校での仕事が定時制で夜なので、午前中に練習ができるのはありがたいとインタビューには答えていました。

川内と中本以外にサブテン(10分以内)がいない今回の別大は、本当にこの二人の争いになりました。ペースメーカーが引っ張るのは30km手前までと決まっていましたが、先頭集団につけていた一般参加の選手はこのペースメーカーにもついていけず、外国招待選手も伸びなかったレースは川内と中本の一騎討ちになりました。

展開は静の中本、動の川内で終始しました。川内は何度かスパートして振り切ろうとしましたが、中本は慌てずにペースを保ち、すぐに川内の背中を捕らえ、レース展開は二人が並走したまま終盤にもつれ込みます。

テレビの解説者は足を使っている分、川内は不利だろうと言っていましたが、川内は驚異的な身体能力を見せ、最後は中本を振り切って優勝しました。タイムも2時間8分台と申し分なく、世界選手権を目指すためにびわ湖参戦は取り止めると川内自身が言っていました。

世界選手権ではマラソン団体の銀メダルを持つ川内ですが、今度は個人戦でもという気持ちはあるはずです。春日部東高校出身の埼玉育ちのランナーの活躍は埼玉県民としても嬉しいものです。
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しびれた3次予選(2008年オマーン戦)

2013-02-03 10:55:21 | ワールドサッカー
今週は代表戦(ラトビア戦)の週なので、代表がらみのネタをできるだけ出していこうと思います。オフネタですが私の印象に残っている代表戦では、2008年に横浜国際競技場で行われた3次予選の第3戦、オマーン戦も思い出深いです。

当時の3次予選のルールは2位以内の通過と比較的楽になっていましたが、日本はオシム元監督の急病で後を継いだ岡田監督が率いていました。3次予選の直前で指揮権を引き継いだ岡田監督は、3次予選一杯はオシム監督の選考を引き継ぎ、最終予選から自分のやり方で戦う予定でいました。

しかし、オシム流はオシム監督が指揮しないと機能せず、日本は3次予選の2戦目、アウェイのバーレーン戦で痛い黒星を喫します。この敗戦を受けて、岡田監督は予定を繰り上げて、3次予選の途中で自分のやり方で戦うことを宣言します。

確かに、監督の心理としては自分のやり方で戦いたいはずだと、岡田監督の決断は理解できましたが、オマーン戦を落とすとW杯に出られなくなるという状況には、ただスタンドに座っているだけの私もしびれていました。

その岡田流は、遠藤のアンカー起用でした。今のザックジャパンにも引き継がれている遠藤と長谷部のダブルボランチですが、始まりはこの試合です。確かに遠藤は京都時代に守備的なボランチだった経験はありますが、国際試合のアンカーに耐えられるだけの能力を持っているか、当時は懐疑的でした。

しかし、それは杞憂に終わります。この試合でオマーンが日本を恐れて極端に引いていたからです。3-4-2-1を意図したようなオマーンの布陣でしたが、2シャドーが日本の中村俊輔と松井の攻撃的MFを恐れて引いていたため、1トップのアルホスニは完全に孤立し、ただロングボールを蹴りこむオマーンの攻撃は全く怖くありませんでした。

日本の先制点も早い時間に入り、しびれる試合のはずだったこの試合は日本の3-0と完勝に終わり、どうやらこれで3次予選落ちはなさそうだと安堵することができました。代表戦は浦和レッズのリーグ戦より1試合あたりの重みが大きいので、こういうしびれる状況に出会う確率は高いですが、この試合に負けたらW杯に出られなくなるという試合をスタンド観戦するのは結構プレッシャーもあるということを実感しました。
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ドイツ鉄道の旅

2013-02-03 10:29:09 | 雑記
またオフネタで失礼しますが、私が行った当時、ドイツは鉄道の旅がしやすい国でした。人口が密集している日本とは違って、高速鉄道を引くために高架線を用意する必要がなく、地上の線路で普通の在来線の脇に高速鉄道のICE(Inter City Express)を走らせることが可能なので、きめ細かく高速鉄道の網が巡っています。

当時の私は、25歳以下の年齢制限のあるヨーロッパ鉄道乗り放題のパス、ユーレイルユースパスを持っていました。大都市と大都市の間はどんどん通過していくICEは、遅れたことは少なく、日本ほどではありませんがドイツは比較的時間に正確な国というイメージは持っています。

日本の習慣と違うのは、自由席という概念がなく、空いていれば指定席の好きな席に勝手に座っていいというルールです。もちろん、その指定席を買った人が乗ってきたらどかないといけませんが、それで見知らぬドイツ人と一緒になり、どこへ行くか聞かれるなどのちょっとした交流もいい経験です。

ドイツでのオリエンテーリングの会場は、ウスラーという田舎の村でした。ここへ行くにはICEを降りてローカル線に乗り換える必要がありますが、そのディーゼル車のローカル線では面白い光景が見られました。単線の路線なので、列車交換のために頻繁に長時間の停車があるのですが、その駅で運転手が売店でコーラを買い、ラッパ飲みをしていたのは日本では考えられない光景です。

その後、F1に行くために乗ったホッケンハイムを通るカールスルーエ行きのローカル線も面白かったです。当時は休日ダイヤで予定した電車に乗れなかったアクシデントもありましたが、自転車を解体せずにそのまま電車に乗せていいルールになっていて、解体できないMTBがそのまま乗り込んできたのも一つの驚きです。

旅行の最後は、フランクフルト国際空港からタイのバンコクを回って日本に帰国することになっていました。フランクフルト国際空港が幹線でアクセスが良く、フランクフルトの町からちょっと離れていたので、ここはフランクフルトに泊まらなくても行けるだろうと判断した私は、フランクフルトを通り過ぎてマインツという町にドイツ最後の夜をチェックインしました。

マインツ大聖堂が見られるという理由もありましたが、私はどうしてもライン川を見たかったので、ライン川沿いの街マインツに行ってみました。ライン川も上流の方だったので、驚くような川幅の広さはありませんでしたが、ゆったりと流れる大河の雰囲気は出ていました。もっとも、このマインツでは、名産のドイツワインを飲みすぎて酔っ払った失敗談があります。これはまずいと必死の思いでホテルの自室に入って鍵をかけ、これで大丈夫と思ったらすぐに寝ていました。
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