Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

別所沼公園トレーニング20200508

2020-05-08 16:07:39 | 他スポーツ
晴れた気持ちのいい天気だったので、別所沼公園までトレーニングに出かけてきました。これまで、休みながらとはいえ5kmを4度走っていましたが、今回は1kmでいいから距離を延ばすことを目標にして、目標通り6kmを走り切ることができました。km当たりのラップはできれば6分切っておきたいですが、やはり延ばした分の最後の1kmは体が動かず失速していました。

今日は平日なので、休みの日は人の多い別所沼公園も、それほど人はいませんでした。もちろん、市民の憩いの場ですから、子供連れや自転車など、ランナーにとっては気を付けなければならない要素もあるので、本当のギリギリまでは追い込めません。車道もあるので、ラップ自体にはそんなにこだわらなくてもいいと思っています。

今回、GWの長い休みで、体幹トレーニングを試したり5kmを複数回走ったりと、いろいろ体のことは試してみました。疲れで翌日、ぐったりしていることもありますが、GWなのでそれは許すことにして、これからどこまで自分自身の限界を上げていけるかを進めていければと思っています。

S→1km 6:44
1→2km 6:11
2→3km 6:49
3→4km 6:41
4→5km 6:51
5→6km 7:28
total 40:47








ミヤコワスレ


テッセン









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田中マルクス闘莉王の記憶

2020-05-08 10:52:03 | 浦和レッズ
写真を持っている選手の記憶ネタは、元浦和DF田中マルクス闘莉王さんを取り上げます。闘莉王といえばその打点の高いヘディングで、貴重なゴールを奪えた印象ですが、ブラジル時代は本格的にヘディングの指導を受けておらず、日本留学時の渋谷幕張高校のときにヘディングのノウハウを学びました。

プロ入りは2001年、サンフレッチェ広島です。もっとも、当時は外国人枠でのプレーで、広島からは「君のために外国人枠は使えない」と戦力外となりJ2水戸へのレンタル移籍を経験します。この水戸時代がスターダムにのし上がるきっかけで、当時からCBの闘莉王が流れの中で上がる自由を与えられ、得点を量産し日本に帰化し、翌2004年には浦和に完全移籍することになります。

浦和入りの理由は「初優勝を果たす際のメンバーになりたい」で、事実浦和の3バックの中央でポジションを確保します。当時、浦和のDFは坪井(アルパイ)、闘莉王、ネネだったので、日本語、英語、ポルトガル語の3か国語で指示を出す難しい役割も果たします。歯に衣着せぬ発言もある闘莉王ですが、意外にも高校時代の成績は良く、英語力はあると聞きます。

闘莉王は気持ちを前面に出す選手です。負傷を抱えても、がちがちにテーピングを巻いて出場する気力もある選手で、たまに無理をして試合に出られる状態でないこともありますが、浦和の最終ラインに高さをもたらす選手でした。スピードには難があり、攻撃参加した際の戻りは遅い選手ですが、3バックのリベロで後ろをカバーすることで対応していました。

初優勝のメンバーになることはできました。2006年の浦和の優勝時のCBです。その後は日本代表にも定着し、「あまりにもすごすぎて夢にも出てこない」と言ったほどの、2010年南アフリカW杯に出場することができました。当時の岡田監督が、CBがフィジカル勝負で負けては意味がないという発想だったようで、中澤と闘莉王のCBが基本形でした。

浦和を2009年で去り、名古屋でも優勝メンバーになることができました。その後はJ2京都で昨年までプレーしました。京都時代にはFWで起用され、チームトップの14得点を挙げるなどの活躍もしました。日本人にはあまりいないタイプの、気力を前面に出すDFとして、印象的だった選手でした。
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