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元関脇豊ノ島、現役引退

2020-05-22 21:54:18 | 他スポーツ
無観客開催だった春場所限りで、写真の元関脇豊ノ島が引退し、年寄「井筒」を襲名していました。豊ノ島は高知県宿毛市の出身で、高校まで高知で過ごした後、相撲界に入門してきました。当時の高校相撲では、同じ高知県内の宿毛高校の豊ノ島と明徳義塾高校の琴奨菊はライバル関係で、国体の高知県選抜で団体戦で組んだこともある、浅からぬ縁です。

もっとも、豊ノ島は通常の身長体重で入門する新弟子検査ではなく、身長が169cmと低いので、基準に満たなくても運動能力が高ければ入門を認めるという「第二新弟子検査」で入門してきました。この規則は、かつて身長の足りない舞の海が頭にシリコンを埋めて入門したことがあり、身長体重が足りなくても有望な力士なら採用すると流れが変わった故の入門だったと思われます。

豊ノ島はその第二新弟子検査では、第一号の十両であり、三役力士です。彼の相撲では、その低い身長故に低く入ることができたもろ差しが印象的です。反り腰で土俵際で弓なりになる欠点もありましたが、毎場所とはいかなくても大活躍を見せることもありました。平幕時代に14勝1敗の好成績を残して、白鵬と優勝決定戦を戦った場所もあります。

このときに、元歌手の竹内沙帆さんとの婚約を発表しており、その優勝決定戦は夫人も見届けた土俵でした。本人も、その決定戦は敗れましたが「夢のような一日だった」とその感激に浸っていました。しかし、豊ノ島は負傷の多い力士でもありました。平幕時代に稽古場でアキレス腱を断裂して、2場所連続全休で幕下に落ちる苦難も味わいます。

幕下に落ちると給料が出なくなる、力士にとっては生活の危機ですが、沙帆夫人は「生活のことはいいからあなたの好きな相撲を取って」と幕下で土俵を務めることを許していました。なかなか幕下を抜け出せなかった豊ノ島ですが、負傷さえ治ればやはり実力者で、一時は幕内まで番付を戻した時期もあります。

それでも、春場所は再び幕下2枚目に下がり、2勝5敗と負け越しました。これで、これ以上家族に迷惑はかけられないと思ったのかもしれません。今回の年寄株は借株かもしれませんが、36歳まで土俵を務め、その経験が後進を育てることにつながると思います。親方として、今後の活躍を期待したいです。
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