本来、夏場所の13日目だった今日の記憶ネタは、元横綱大乃国の芝田山親方の記憶です。大乃国は北海道の十勝地方の出身で、同郷の元横綱北勝海は柔道の大会で顔を合わせて知っていた仲です。大乃国の青木少年は柔道で五輪出場を目指していましたが、実家の経済力を考えてよりお金になる相撲界を選びます。
大乃国は若いうちから上位キラーで知られるようになりました。当時の大乃国は体重160kgほどの体型で、おそらくこの体型のまま横綱になっていればもっと強い横綱になれたと思います。それができなかった理由は、一時200kgを超えた体重の増加でした。当時の相撲界は「大きいことはいいことだ」という文化があり、体重は何キロあってもいいという食生活をさせていました。
その結果患ってしまったのが、当時はあまり知られていなかった病気であった「睡眠時無呼吸症候群」でした。これで体に力が入らない状態になり、横綱としては不名誉な成績も何度か経験します。そのため、大乃国は相撲界では前例のなかった減量を目指すことにしますが、200kgからの減量はなかなか成果に結び付きませんでした。今の力士は、ベスト体重より重くて動きが鈍いと思うと、自分で減量するようになりましたから、過去のデメリットに力士自身も学んだようです。
そんな大乃国が、名を上げたのは昭和63年九州場所の千秋楽の千代の富士戦でした。当時、53連勝中だった千代の富士は、この一番を勝って翌場所も全勝して双葉山の記録に並ぶつもりでいました。しかし、大乃国はこの一番に「俺だって横綱だ」と勝つ気十分でした。立ち合いで十分に腰を落として立った大乃国は、千代の富士に技を出させる前に寄り切ってこの偉大な連勝記録を止めています。
その後は皆勤して7勝8敗と負け越し、師匠の放駒親方が理事長を訪ね、「不成績の責任を取って大乃国を引退させて欲しい」と申し出たこともありました。理事長の説得で現役を続けましたが、大器と呼ばれながら優勝は2回と横綱としては物足りない成績で土俵を去ることになりました。
現在は体重も160kgほどまで絞り、日本相撲協会の広報部長を務めています。スイーツが好きな親方としても知られ、NHKの食べ歩き番組にも出演していたこともあります。現役時代はそれほどの活躍ではなかったですが、今いる地位は重要な地位で、理事長になった北勝海を支えています。相撲を選んだ少年時代の決断は正しかったのでしょう。
大乃国は若いうちから上位キラーで知られるようになりました。当時の大乃国は体重160kgほどの体型で、おそらくこの体型のまま横綱になっていればもっと強い横綱になれたと思います。それができなかった理由は、一時200kgを超えた体重の増加でした。当時の相撲界は「大きいことはいいことだ」という文化があり、体重は何キロあってもいいという食生活をさせていました。
その結果患ってしまったのが、当時はあまり知られていなかった病気であった「睡眠時無呼吸症候群」でした。これで体に力が入らない状態になり、横綱としては不名誉な成績も何度か経験します。そのため、大乃国は相撲界では前例のなかった減量を目指すことにしますが、200kgからの減量はなかなか成果に結び付きませんでした。今の力士は、ベスト体重より重くて動きが鈍いと思うと、自分で減量するようになりましたから、過去のデメリットに力士自身も学んだようです。
そんな大乃国が、名を上げたのは昭和63年九州場所の千秋楽の千代の富士戦でした。当時、53連勝中だった千代の富士は、この一番を勝って翌場所も全勝して双葉山の記録に並ぶつもりでいました。しかし、大乃国はこの一番に「俺だって横綱だ」と勝つ気十分でした。立ち合いで十分に腰を落として立った大乃国は、千代の富士に技を出させる前に寄り切ってこの偉大な連勝記録を止めています。
その後は皆勤して7勝8敗と負け越し、師匠の放駒親方が理事長を訪ね、「不成績の責任を取って大乃国を引退させて欲しい」と申し出たこともありました。理事長の説得で現役を続けましたが、大器と呼ばれながら優勝は2回と横綱としては物足りない成績で土俵を去ることになりました。
現在は体重も160kgほどまで絞り、日本相撲協会の広報部長を務めています。スイーツが好きな親方としても知られ、NHKの食べ歩き番組にも出演していたこともあります。現役時代はそれほどの活躍ではなかったですが、今いる地位は重要な地位で、理事長になった北勝海を支えています。相撲を選んだ少年時代の決断は正しかったのでしょう。