先日、セネガル代表監督として2002年日韓W杯でベスト8の実績を誇る名将、ブルーノ・メツ氏の訃報がありました。死因はガンで、59歳と年齢的にはまだ監督ができそうなので、惜しまれる死です。メツは体調を崩し、UAEのクラブの監督を辞任してフランスの実家に帰省していました。
メツの思い出は、最大のものはセネガル代表監督時代の2002年日韓W杯の開幕戦でフランスを破った金星です。当時のフランス代表は1998年のW杯、2000年の欧州選手権を連覇した、世界最強チームと呼ばれたチームでした。ジダンが負傷欠場しましたが、ジョルカエフが代役のトップ下に入っていました。
これに対し、セネガル代表はFIFAランキング50位台と、参加32ヶ国で一番下でした。アフリカ予選でムスタファ・ハッジのいたモロッコを破って本大会に出てきたことは驚きでしたが、フランス、ウルグアイ、デンマークの強豪相手のグループリーグ突破を予想したファンはいなかったと思います。
しかし、このフランス戦はメツの戦略が冴えを見せました。当時のフランス代表は、CBがベテランのデサイー、ルブーフとスピードに難のあるコンビでした。ここをスピードに絶対の自信を持つFWディウフでえぐり、折り返しを狙うプランでした。
当時、ディウフはフランスリーグの下位チームに所属していたので、よほどのサッカーファンでも彼の名前は知りませんでした。しかし、彼のスピードでチャンスを作ったセネガルは、折り返しをディオプが決めて見事1-0でフランスを破り、グループリーグ2位で決勝トーナメントに進出します。
この実績が効いて、メツは金銭的に豊かな中東のクラブチームや代表チームで指揮を執ることになります。映像で見たのは2011年のアジアカップでのカタール代表でした。ただ、このカタールからはメツのチームらしい戦術的完成度は感じられませんでした。
カタールはグループ戦術などはある程度できるチームですが、セットプレーでボールウォッチャーになって容易に相手をフリーにする、わかりやすい欠点がありました。この欠点が直っていればさすがメツでしたが、アジアカップで見た範囲では直っていませんでした。
もちろん、メツはそれにハーフタイムで気づいて、ファーサイドへのボールにGKを出すことでカバーさせましたが、いくら金銭的に豊かでも、こういう戦術的な指示を実行できないチームを率いるのが幸せだったのかという疑問は残りました。
メツがもっといろんなチームを率いるところを見たかったという思いはあります。残念な死です。
メツの思い出は、最大のものはセネガル代表監督時代の2002年日韓W杯の開幕戦でフランスを破った金星です。当時のフランス代表は1998年のW杯、2000年の欧州選手権を連覇した、世界最強チームと呼ばれたチームでした。ジダンが負傷欠場しましたが、ジョルカエフが代役のトップ下に入っていました。
これに対し、セネガル代表はFIFAランキング50位台と、参加32ヶ国で一番下でした。アフリカ予選でムスタファ・ハッジのいたモロッコを破って本大会に出てきたことは驚きでしたが、フランス、ウルグアイ、デンマークの強豪相手のグループリーグ突破を予想したファンはいなかったと思います。
しかし、このフランス戦はメツの戦略が冴えを見せました。当時のフランス代表は、CBがベテランのデサイー、ルブーフとスピードに難のあるコンビでした。ここをスピードに絶対の自信を持つFWディウフでえぐり、折り返しを狙うプランでした。
当時、ディウフはフランスリーグの下位チームに所属していたので、よほどのサッカーファンでも彼の名前は知りませんでした。しかし、彼のスピードでチャンスを作ったセネガルは、折り返しをディオプが決めて見事1-0でフランスを破り、グループリーグ2位で決勝トーナメントに進出します。
この実績が効いて、メツは金銭的に豊かな中東のクラブチームや代表チームで指揮を執ることになります。映像で見たのは2011年のアジアカップでのカタール代表でした。ただ、このカタールからはメツのチームらしい戦術的完成度は感じられませんでした。
カタールはグループ戦術などはある程度できるチームですが、セットプレーでボールウォッチャーになって容易に相手をフリーにする、わかりやすい欠点がありました。この欠点が直っていればさすがメツでしたが、アジアカップで見た範囲では直っていませんでした。
もちろん、メツはそれにハーフタイムで気づいて、ファーサイドへのボールにGKを出すことでカバーさせましたが、いくら金銭的に豊かでも、こういう戦術的な指示を実行できないチームを率いるのが幸せだったのかという疑問は残りました。
メツがもっといろんなチームを率いるところを見たかったという思いはあります。残念な死です。
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