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ユベントス練習場の記憶

2021-02-11 15:20:42 | ワールドサッカー
1996年のサッカー旅では、ユベントスの練習場になっていたかつてのユベントスの本拠地、コムナーレスタジアムにも行ってきました。1990年イタリアW杯でトリノの郊外にデッレ・アルピスタジアムが整備されたので、そこに本拠地を移していましたが、ここがユベントスの本拠地だった証に、外側の塀にかつての名選手「プラティニ」の落書きがありました。

スタジアムの椅子はすべて撤去されており、コンクリートの階段だけが残っていました。ここで選手が出てくるのを待っていましたが、練習は非公開になり、道路を渡った向こう側のグラウンドで行われることになりました。コムナーレスタジアムの控室で着替えた選手たちが道路を渡っていくところを待って、サインしてくれたのはGKのアンジェロ・ペルッツィでした。

FWビアリはサインを拒否し、FWデルピエロは小走りにサポーターにつかまらないように逃げてしまっていました。当時、私は一人でツアーに参加したこともあって、写真とサインの両方を狙おうとして中途半端になってしまいました。こういうのは、写真担当とサイン担当を分けておけば、もっと効率よく両方を狙えたでしょう。

非公開練習とは言っても、浦和サポにわかりやすいイメージで言えば大原の奥のグラウンドで非公開練習をやるようなもので、裏道に分け入って見れば練習風景は丸見えでした。この日は首位攻防戦のACミラン戦の前日ということで軽めの調整で、2タッチだけでパスを回し、タイミングを見計らって手でボールを拾って方向を変えるという、傍からは意図がわかりにくい練習でした。

サインをもらえたツアー仲間は、この非公開練習が終わってからコムナーレスタジアムに戻ってくるところを狙っていました。そこでDFフェラーラやMFパウロ・ソウザらのサインをもらえた幸運な人もいました。私はとにかくサインをもらおうと、顔もわかっていなかったDFペソット選手からもらえました。

最後、選手が帰っていくタイミングで、MFデシャンが車を止めて窓を開けて、日本人全員にサインしてくれました。今思えば、デシャンは選手監督両方でW杯で優勝した、フランスの英雄です。これはラッキーでした。練習を見に行った成果はあったと、満足してバスでミラノに戻り、翌日の首位攻防戦に胸躍らせたことは忘れません。




GKアンジェロ・ペルッツィ


MFディディエ・デシャン

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